私の彦星様

海月陽菜

私の彦星様

「――もしもし」


「もしもし、どうしたん?」


 家で少し遅めの晩ご飯を食べ終わった頃だった。

 幼馴染の近藤太一くんから電話がかかってきたのは。


「いや、別に何かあったわけじゃないけど。久しぶりに香菜と喋りたいなって思ってん」


「へー、まあ暇やったしええよ。喋ろ」


 太一くんとは家がまあまあ近所で、確か出会いは幼稚園の近くの公園だったと思う。幼稚園から高校までずっと一緒だった。いわゆる腐れ縁とかいうやつ。

 高校までずっと一緒だった、そんな私の幼馴染は、大学進学を機に東京へ行ってしまった。

 一方私は地元である兵庫県の大学に合格したので、関西に残ったまま。同じ兵庫県といえど家と大学は結構離れているので、大学の近くのアパートの一室を借りて一人暮らしをしている。

 太一くんによると、ゴールデンウィークや夏休み、年末年始などの長期休みには帰省するようにしているらしい。実際、太一くんが帰省するとなればどちらからともなく遊ぶ予定を立てて会うし、そのたびにお互いの近況を話す仲でもある。

 それでも、高校卒業までは毎日のように会っていた彼が急にいなくなって、最初はだいぶ変な感じがしたんだっけ。

 兵庫と東京。新幹線で約三時間の距離。行こうと思えば行けるけれど、そこまで気軽に行けるわけでもない。


「最近どうなん?」


「んー、そうやねえ……」


 今日は七夕。七月上旬。

 つまり、大学の期末試験が迫ってきているということ。

 その存在を思い出すたびにため息をもらしてしまう。


「そろそろテスト勉強せなとは思ってるんやけど、サークルとか、バイトとかで時間なくて……」


「ほんまに? やる気ないだけとちゃうん?」


「うるさいなあ、もうちょっとしたらちゃんとやるし」


「お前のもうちょっとはいつやねん」


 電話越しに低い笑い声が聞こえる。


「成績優秀な近藤くんは、もう始めてるんですかー?」


「……実は俺も課題に追われててん。やっぱ大学の勉強って高校までのと全然違うよな」


「へえ、意外」


 そんな他愛もない会話をしながら、真面目で成績優秀で、眼鏡が似合う太一くんの顔を自然と思い浮かべる。


「ていうか今日、お前の誕生日やん」


「せやで。やから祝ってよ」


 そう、今日は七夕。そして、私の誕生日でもある。


「祝ってくれる彼氏はおらんの?」


「は!?」


 急に飛んできた意地悪な台詞に動揺してしまった。


「いませんよ、残念ながら」


「そっか」


 絶対今苦笑された。なんか悔しい。


「あーあ、私の彦星様はいつ迎えに来てくれるんやろ」


「何言ってんの」


 大学に行けばかっこいいと思う人はそれなりにいた。けれど好きになる人はなぜかいなくて、彼氏もできたことのないまま今日で二十歳を迎えてしまった。


「なあ、香菜」


「何?」


「ベランダに出てみて」


「どしたん? 急に」


「いいから、早く」


「しゃあないなあ」


 どうせ天の川が綺麗に見えるとかやろ、と思いながら少し重い腰を上げる。星を見るのは好きやけどね。

 閉じていた網戸を開けてベランダに出ると、夜の涼しい風が身体の脇を吹き抜けた。


「出たよ——って、ええ!?」


 私の部屋はアパートの三階の一番端。

 何気なく下の道路を見て——私は自分の目を疑った。


「ちょっ、太一くん、何でいるん!? ……ちょっとそこで待ってて!」


 私は慌てて電話を切って駆け出した。靴を履く手間ももどかしいと感じた。

 太一くんは一階のエントランスの壁にもたれかかっていて、私が来ると身体をゆっくりと起こした。


「久しぶり」


「久しぶり、じゃないやろ!」


 今年の七夕は火曜日。思いっきり平日。


「えっ、何で? 明日一限からとちゃうの? いや、一限やなくても普通に授業あるやん?」


「何でって……」


 太一くんはふっと笑った。


「だって今日は、香菜の二十歳の誕生日やん」


「やからって、わざわざ帰って来んくても」


 私を祝うためだけに、新幹線で三時間もかけて?


「ああ、用事ならもう一つあるで」


「え、何?」


 私が聞き返すと——太一くんはすっと真顔になった。

 彼の瞳はやけに真剣に見えて、私は目を逸らせなくなる。


「今日は香菜に、誕生日おめでとうと……好きやって言いに来た」


「――っ!?」


 どくんっと心臓が大きく鳴った。


「今、何て……?」


 思わず聞き返すと、太一君ははあ……と大きなため息をついた。


「やから、お前のこと、ずっと好きやったって」


「え……」


「俺と、付き合ってくれん?」


「ええ……?」


 小さい頃からずっと一緒だった太一くんは、私のことが好きだったなんて。すぐに信じらるわけがない。

 でも、ずっと一緒の幼馴染だから分かる。太一くんは、こんな嘘をつくような人じゃない。

 太一くんの気持ちもその真剣さも分かった。だけど……


「私、太一くんのこと、幼馴染としか思ってなくて……」


「ほんまに?」


 すると太一くんは一歩私に近づいた。


「え、ちょっと」


 距離を詰められた分後ろに下がると、また近づいてくる。

 あっという間に背後の壁に追い詰められてしまった。


「俺のこと、男として見てくれへんの?」


「えっと、それは……」


 気づけば太一くんの顔は、私の顔のすぐ近くに迫っていた。そして太一くんは壁に右手をついた。


「俺は香菜のこと、ずっと女の子として見てたで?」


 そう言われて気づく。昔は私よりも小さいくらいだった太一くんが、とっくに私の伸長を抜かしていたことに。

 そして、太一くんの血管の浮いた腕も骨ばった大きな手も、低く掠れた声も、全部男の人のものだということに。

 あれ? 太一くんって、こんなにかっこよかった?

 昔はあどけなくてかわいかった顔も、気づけば大人の顔に変わっていて。

 気づいた瞬間、胸が高鳴りだす。

 ああ、もしかして私、太一くんのことが好きなんかな。

 今まで好きな人ができんかったのは、今日のためやったんかな。


「私もやっぱ、太一くんのこと、好きかも……」


「えっ、ほんま!?」


「いや、まだよく分からんけど……」


「分からんってなんや」


 太一くんは花が咲いたようにぱっと笑って——その笑顔が、私の胸をきゅうっと甘く締めた。


「じゃあ、俺と付き合ってくれる?」


「……はい」


「よかったあ……」


 太一くんはその場にしゃがみこんでしまった。


「ちょ、大丈夫?」


「香菜に振られてたら、俺泣きながら帰りの新幹線に乗る羽目になってたで」


 安堵したような太一くんの様子に私まで笑顔になってしまった。


「……そうそう、ケーキ買ってきたんやった。食べる?」


「え、買ってきてくれたん? 食べる!」


 うち上がって——と言おうとして、部屋が散らかっていたことに気づいた。


「やばっ、部屋片づけんと!」


「別に気遣わんくてええよ。お前がよく散らかすのも知ってるし」


「あかんやろ。だって太一くんは、私の……彼氏になったんやから」


「!」


 太一くんはびっくりして、それから蕩けたような笑顔を見せた。


「そっか、俺、香菜の彼氏か」


 自分で口に出すのも恥ずかしかったのに、太一くんにまでそう言われてしまうと勝手に顔が熱くなってる。


「うるさいなあ。とにかく片付けてくるから! 私が呼ぶまで勝手に入ってきたらあかんで!」


「はいはい」


 私は太一くんを残してアパートの階段を駆け上った。

 部屋に入る前、今度こそ空を見上げると、小さな星でできた川がうっすらと見えた。

 なあんだ、私の彦星様は、意外と近くにいてくれたんやね。

 七夕に起きた最高の奇跡ににやけてしまいそうになるのを堪え、私は部屋に戻って片づけを始めた。

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