第54話 報い
あたしが戻る頃にはすでに片付けは終わっていて、クラスのみんなも自分の椅子を教室に持っていくところだった。
すぐにみんなの元駆けつけると仲の良い子が声をかけてくれた。
「あ、柚子! 足大丈夫だったの?」
あたしは「うん」と答え、「あの、あたしのせいで負けちゃって・・・・・・」とどもりつつ頭を下げた。
「いいよ全然! 気にしてないよ!」
その子だけでなく、みんながそう言ってくれてあたしはとても嬉しかった。
なんだかこれからうまくいきそうな気がして、「ありがとう」とみんなに礼を述べて笑って見せた。
そういえば、とあたしは口火を切って今夜の打ち上げのことを尋ねた。体育祭の後は打ち上げをしようってみんなで約束をしていたから、再度確認のために聞いてみたのだ。
「打ち上げ? あー、今回は中止になったんだよね。だからこれ片づけたら解散ってことで」
そうなの?と聞き返すと何故か周りのみんなはニヤニヤしながら頷いた。
そっか、打ち上げ楽しみだったんだけどな。
と、そんなことを言っても中止になったのなら仕方がないのであたしは自分の椅子を教室に運んでその日はまっすぐ家に帰った。
翌日学校に来ると、クラスの子の話し声が耳に入った。
「昨日の打ち上げ楽しかったねー」
黒板の前で談笑する男子たちの間をすり抜けて、あたしはいつものグループの中へと入っていく。
おはよう、と挨拶をすると。何故かその日はみんなが顔を合わせて、そのあと一拍置いてからぎこちなく挨拶を返してくれた。
打ち上げって、中止になったんじゃなかったっけ。と、あたしは思わず聞いてしまう。
「そうだけど、それがどうしたの?」
さっきあそこの子が、とそこまで言ったところであたしは口を噤んだ。なんとなく不穏で不気味なこの雰囲気に呑まれたのだ。あたしを見ているようで見ていない。口は真一文字に閉ざされているようでその奥では嗤っているようなそんなみんなは、少し怖かった、
ううんなんでもない。そう言ってあたしは自分の席についた。
さっきのみんなの様子変だったな。どうしたんだろう?
その疑問はすぐに晴れることになる。
結果から言うと、打ち上げはあった。他のクラスの子に聞いたら近くのカラオケボックスでウチのクラスの子たちと会ったというのだ。
だからあたしは、多分ハブられた。
どうしてそんなことをするんだろうと、あたし何かしたのかなと思い返してみても、思い当たるのは体育祭でのあの出来事。でも、あれは確かにみんな許してくれたはずだし解決済みの案件のはずだ。
だけどきっと、そんな無駄に前向きなあたしの感情が表に出てしまって、それがみんなの気に触れてしまったのかもしれない。
あくる日もあくる日も、似たようなことは続いた。
遊ぶ約束をして駅前に行っても誰もいなかったり。あたしの知らないLIMEのグループがいつのまにか出来上がっていたり。昼休みになると一斉にどこかへ行ってしまったり。
あたしはクラスで孤立していた。
朝の挨拶も別れの挨拶も全部無視されるようになった。
なんでだろう。どうして? せめて理由を教えて欲しかった。直すべきところがあるなら直すから、あたしを拒絶しないでと、切に願った。
まぁ、こういう人たちもいるのかな。人それぞれだよね。
いつものように自分に言い聞かせるけど、胸は痛いばかりで感情の取捨選択が上手いってくれない。心にあるのは助けてという身の丈に合わない祈りのみ。
「なぁ楠木さん」
ある日のことだった。
ふらふらと浮浪者のように廊下を漂うあたしの背中に低い声が投げかけられた。
振り返ると、短めの髪でどこか清潔感のある顔立ち、体もどこか筋肉質で、それなのに手は綺麗で細い、クラスの男子である蓮埼健人くんが立っていた。
どうしたの、と。久しぶりに誰かと会話する緊張を感じながら努めて冷静に答えた。
すると蓮埼くんは一度頭を掻いた後、意を決したように口を開いた。
「もしかして楠木さん、最近クラスの女子からイジめられてない?」
核心。そして図星。あたしの心を表情はひどく揺れた。
「最近サボテンともなんかあったみたいだし、大丈夫?」
心配するようにあたしの顔を覗き込む蓮崎くんの視線から逃げるようにあたしは目を逸らして、なんでもないよとはぐらかした。
大丈夫、ちょっと喧嘩してるだけだから。ちょっと経てば仲直りするよ。そう言うと蓮埼くんは。
「そっか、分かった。でも何かあったら相談してよ。俺も、サボテンにもさ」
蓮埼くんはそれだけ言って去っていくが、その表情は納得したようには見えなかった。
佐保山に、相談・・・・・・。そうしたいのは山々だった。佐保山と話したい。佐保山と前みたいに一緒にお昼を食べたい。ちょっとからかってやって、困ったような顔をする佐保山をもう一度見たい。あの甘酸っぱい空間に居たい。
でも、きっと今の佐保山にそれは迷惑だから。佐保山は嫌がるだろうから。我慢しよう。
これくらいは、あたし一人でなんとかしよう。そう思った。
それに、佐保山との関係も少しは前進したんだし。きっとこの状況も時間が経てばなんとかなるはず。あたしはそう前向きに考えていたのだ。
ある日の放課後、この後どうしようかとあたしが独り自分の席に座っていると一番仲の良かった友人である恵が声をかけてきた。
「柚子っち、ちょっといい?」
あたしは突然の出来事に思考が停止したまま錆びれたロボットのように頷くと恵と共に教室を出て人気のない階段の踊り場に着いた。
「柚子っちごめんね! なんか最近、その。ハブっちゃって」
遠回しな言い方ではなく、ド直球の言葉。でもそれがなんとも恵らしいなって思った。
深々と頭を下げる恵にあたしは慌てて答える。大丈夫だよって、そんなこと全然ないのに。強がって平気なフリをしてみせた。
本当はとっても悲しくて寂しかったけど、ここでその思いを吐き出したところで意味がないと思ったから。
「純子たちに楯突くと、今度はアタシがハブられるから・・・・・・それで仕方なくて」
恵の言うことは痛いほどに分かる。
純子というのはクラスでもっとも最上位のカーストに存在する女子だ。あたしも純子のグループとつるんでいて、髪を染めなきゃハブるとか、ピアス開けなきゃシカトするとか。彼女はそういう子だったから恵を責めようとは思わなかった。
しょうがないよ。そう言って恵に笑いかける。
「本当にごめんね。柚子っち」
目を赤くした恵を見て、あたしの方が申し訳なくなってくる。あたしのために、あたしのせいで恵にこんな思いをさせてしまった。
あたしは手を差し伸べる。仲直りの握手をしようって、そういう意味で。
恵も笑って応じてくれた。手を握り合ってその温かさにあたしは泣きそうになるのを必死で堪えた。
ほら、やっぱり。いつまでも悪いことっていうのは続かない。こうしていつか光は射すから。
「そうだ柚子っち、仲直りのついでになんだけどちょっと花が欲しいんだよね」
ふと、恵がそんなことを言いだした。
「ほら、柚子っちの家って花屋でしょ? アタシも最近ちょっと花に興味でてきてさ」
照れくさそうに言う恵にあたしはノータイムで「いいよ!」と答えていた。
「あっ、でもアタシ今月お金なくて」
無料サービスですよ、とあたしはまるで営業トークのような感じで話す。すると恵は「ごめんね~」と手を合わせて見せた。
じゃ、じゃあすぐに持ってくるね! なんて、一番嬉しいのはあたしだって隠す気もなくあたしは家へ向かって駆けだした。
家に帰るとお母さんは店番をしていて丁度接客中だった。
本当は店の花を持ち出すのは昔から禁止されている。これは立派な商品だからってお母さんによく言い聞かされていた。
でも、ちょっとくらいいいよね。恵にあげるためだもん。お母さんも分かってくれるはず。
あたしは棚の上にあげられた一つのオレンジ色の花を手に取った。
その花はマリーゴールド。開くように咲くその花を簡易的にテーピングしてあたしは握りしめる。
そしてもう一度学校へ戻って恵を探した。
恵はバレーボール部だから、多分まだ体育館にいるはず。
あたしの予想は的中して、体育館には明かりがついていて、丁度休憩中なのか壁に寄りかかる恵を発見した。
恵!
体育館に響き渡るまるで子供みたいな声に自分で恥ずかしくなってしまう。恵はというと驚いたような表情をして、
「えっ!? 柚子っち!? それって」
うん、花。持ってきたよ。あたしがそう言うと、
「マジ!? 別に今じゃなくても明日でよかったんに」
今すぐ渡したかったの。わたしのその言葉に恵は少し困ったような顔をする。
確かに、ちょっと焦りすぎたかもしれない。今持ってきても恵は迷惑だよね。反省。
このまま長居するのももっと迷惑になると思ったあたしは。また明日ね! とだけ言ってその場を去った。
あたしの背中に、恵の声が投げかけられることはなかったけど、それでもあたしは確かな前進を感じて。スキップで帰路に着いた。
家の前で、お母さんが仁王立ちしていた。
「勝手に花持って行っちゃダメでしょ」
どうやらバレていたらしい。あたしは素直に謝って、その分のお金をお母さんに渡した。
「別にお金の問題じゃないんだけどね。で、あんたが持っていったのはマリーゴールドよね? 誰に渡したの?」
友達だよ、とあたし。
だってマリーゴールドの花言葉は「友情」。恵との仲直りにはぴったりの花だもん。
「・・・・・・仲の良い子なの?」
何故か心配そうなお母さん。そんなお母さんにあたしは「親友」だよと自信満々に答えた。
「そう、それならいいのよ」
それでも煮え切らないお母さんにあたしはまたも自信しかない顔で言って見せた。
大丈夫だよ。もう、きっと。
翌日。教室に着くと人だかりができていた。
どうしたんだろうと思って近づくと、その場所があたしの席付近であることが分かった。あたしが近づくと、周りの子の視線は一斉にあたしに集まった。
いつもならあたしから避けるように目を逸らすのに、今日は真逆だ。
もしかして、これはチャンスかもしれない。あたしはみんなに向かっていつかと同じように元気よく「おはよー!」と言うと、くすくすと乾いた笑いが起きた。その中心には純子がいて、あたしを気味の悪い細目で見つめていた。
そしてその奥に、恵の顔を発見し、あたしは飼い主を見つけた子犬のように駆けた。
恵! その言葉は、口に出ることはなくて、あたしの視線はある一点に注がれた。
あたしの席。いつも座って見慣れたあたしの席。だけどそこにはいつもと違う、バラバラに散りばめられて無造作に引きちぎられたオレンジの花弁が土混じりに落ちていた。
・・・・・・え?
意味が分からなかった。これは、なに?
一つ、花弁を拾うと渋いレモンのような香りが鼻につく。
この独特の香りは、間違いない。マリーゴールドのものに相違なかった。
もう一度恵に視線を戻す。あたしの親友。友情の証としてこの花を送った恵に視線を戻す。
その恵は、口を開けて、腹を手で抑えて、猿のように汚い声を上げながら、狂ったように笑い転げていた。
「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
それはまるで悪魔の笑い。腹底に溜まった膿が沸騰するかのような不快な音。
純子があたしの席に近づくと、机の上に散らばった友情の残骸をまとめて掴み、それをあたしに投げつけた。
「信じてやがんの、ばーか」
純子が言う。
「昨日の放課後に言ったんだけどさ、そしたらこいついきなり走って帰ってったん。そしたら花握りしめて体育館にまで来てマジびびったわ。ありえないっしょ」
恵が言う。
「うっわキッショどんだけ必死なん」
「マジウケるわ、友達いないと大変だね」
みんなが嗤う。
縋るように、あたしは恵に手を差し伸べた。
「触んなよ」
昨日握ったはずの温かい手は、あまりにも冷たくあたしの手を払いのけた。
それを見ていっそう、周りが盛り上がる。ケタケタと妖怪のように人を嘲笑うような声。
あたしを指差して、見世物にして、誰かを貶めることで己の精神の均衡を保とうとする人たちの挽歌を立ち尽くしながら聞くだけ。
花言葉というのは、一つの花に何個も存在するのが常。だからマリーゴールドも友情の他にもう一つ花言葉が存在する。
それは「絶望」。きっとお母さんはこれを危惧してたんだ。
あぁ、そっか。
あたしはその瞬間すべてを理解した。
この光景はあたしの知っているもの。あたしが小学校の頃、見ていたもの。
頬を垂れていった雫が、花弁に落ちる。けれども、死んだ花にいくら水をあげても咲くことはなく。あたしの涙は無様に机を濡らして、周りの蔑んだ声を盛り上げるだけ。
「こいつ何泣いてんの、ヤバすぎでしょ」
悲しいからでも、悔しいからでもない。涙が出る理由だなんて、痛いからに決まっている。
痛い、痛い。胸が痛い。
理解した瞬間、あたしは泣きじゃくった子供みたいにただただ言葉を漏らし続けた。
ごめんね。ごめんね。
「はぁ? なに急に、謝ったって許すわけねぇじゃん」
違うよ。あんたたちになんて謝らない、謝ることなんて一つもない。
あたしが謝らなければいけないのは、今も教室の後ろで寝たふりをしているあいつ。
佐保山があたしに怒っていたのは、あたしが黙っていたからとかそういうんじゃない。そもそも、向けられていたのは怒りとは別の感情だったんだ。
憎しみ。
あれは憎しみだ。
ドス黒く、雨雲のように陰ったその瞳はあたしを確かにそういう感情で捉えていた。
あたし、バカだ。大馬鹿だ。
佐保山のことが好きだとか、仲直りしたいだとか、そんな夢物語みたいな妄想をしていたけど。これはそれ以前の問題だった。
佐保山に好き嫌いの感情を向ける資格なんてあたしにはなくって、そもそも接触すら許されないような、そんな罪を背負った人間だったんだ。
気付いてしまえばあたしはなんて滑稽で自分勝手なんだろうって呆れてくる。
「きたねぇからセンコー来るまでに片づけておけよな」
最後に純子があたしの頭に、花瓶に入っていた水をぶちまけて土をばら撒いた。
ポタポタと雫が落ちてあたしの涙を洗っていく。化粧が落ちて、口の中に薬品のような味が染みるけど、そんなの気にせずにあたしは跪いて、自分の上着で濡れた床を拭いた。
苦しい。死ぬほどに、心が湾曲してしまうほど苦しい。
でも、佐保山は、きっと同じくらい。ううん、もっと苦しかったのかもしれない。それをただ傍観していただけのあたしに対する天罰を、あたしは受け入れなくちゃいけない。
逃げることは決して許されない。
これはあたしのしてきたこと。一番大好きな人に、してしまったこと。言い訳なんて許されない。別に、あたしは彼をフッただけで、それ以上は何もしていないじゃないか、なんて口にしようものならこの舌は焼ききれることだろう。
それくらいに、あたしの罪は重いものだった。
だから、あたしは純子の言う通り、先生が来るまでにここを綺麗にしなくちゃいけない。
雑巾は・・・・・・全部純子が捨ててしまった。
びしょびしょに濡れた上着はもう使えないので、体操着を取り出して雑巾代わりに使おうと自分のカバンを開ける。
目に入ってきたのは、二つの弁当箱。
もし、もしも。極小の蕾が奇跡を起こして開花した時。また佐保山といつでも食べれるようにって毎日持ってきていた花弁の形をしたピンクの弁当箱。
「おい、早くしろよ。サボってんじゃねぇぞ」
後ろから髪を掴まれ、顔を机に押し付けられる。
あたしは、そのピンクの弁当箱を見つめて、過去の幸せを思い返していた。そしてその思い出がスパイスになり、舐めた机の表面はこの世のものとは思えないほどに苦く嗚咽を漏らしてしまう。
それでも、あたしは泣いちゃいけない。
そうしたらきっと、あたしはあまりにも卑怯な人間として確立してしまうから。だから、流していいのは嬉し涙だけ。
あぁよかった。ようやく佐保山の気持ちが分かったよ。佐保山はあたしのことがこんなにも憎かったんだね。殺したいくらいに憎かった。でも、優しいから、拒絶程度で許してくれたんだね。
ごめんね。本当に、ありがとう。
あたしは血が滲むほどに口を噤んで、骨が砕けるほどに歯を噛みしめて、吐き出しそうになる酸性の液を必死に喉の奥で塞き止めながら堪え続けた。
看守の人が目を光らせる中、あたしは頭を垂れて 受け入れなければならない。
これは、イジメなんかではないのだから。
そう、これはきっと。
――報い、なのだから。
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