第12話 花の香りに背中を押されて
翌日、楠木に貰った半額券を持って美容室へと出向いた俺は、ものの二時間ほどで別人へと化していた。
・・・・・・というのは嘘で、髪が短くなり、眉が整えられただけで佐保山天の原型は普通に保たれている。
だからと言って不満があるわけではなく、いつも行ってた千円カットの床屋よりは確実に上手だし、最後に貰ったコーヒーも美味かった。
帰り道。俺はまっすぐ家には帰らずに駅前へと繰り出した。別に買う物があったわけではないが、せっかく髪を切ったし、ワックスも塗ってもらった。顔も剃ってもらってさっぱりとした俺は、もしかすると上機嫌なのかもしれない。単純な男だ。
だが、大きな窓ガラスに映る自分の姿を見ると、今日は美容室に行ってよかったのかもしれない。
一応、昨日買った服に楠木に貰ったTシャツを着てきた。ズボンは元々持っていたジーパンを履いているが、髪型も合わさって中々どうして似合っているように見えた。楠木の言うことは本当だったらしい。今まで爽やかさの「さ」の字もなかった俺が、多少なりともこの駅前の人込みの中に溶け込めている気がして、あれ? もしかして今の俺、カッコイイ? などと調子に乗ってもいた。
そんな俺だが、内面まで変わったわけではなく、気づくとアニメイキングの前に自然と足を運んでいた。アニメイキングはアニメのグッズや漫画、DVDやCDなどが売っている。言ってしまえばオタクご用達の店だ。
「漫画の新刊でも漁ってみるか」
俺はビルを昇って二階にあるアニメイキングへと足を向けた。
中へ入ると思ったよりも人が多かった。そうか今日は日曜日か。中には子供連れの夫婦もいたりして、一体何を買いに来たんだと不思議に思いつつも、俺は新刊コーナーへと辿り着いた。
えーっと、あ。魔法少女ふりふりピュアラの単行本、今日発売日だっけか。大きな広告の下に並べられた、可愛らしい衣装をきた魔法少女が血に染まっている異様な表紙に目が止まる。
俺は一冊手に取り、レジへと向かった。
「ん?」
その時、近くでなにやら怒号のようなものが聞こえた。見ると人だかりができていて遠くの客も怪訝そうにそこを眺めている。
「だーかーらー! 私が最初に触ったんだから私のでしょ!」
俺も近づき何が起きているのか見に行くと、ラノベコーナーで女同士がなにやら言い争っているようだった。
いや、よく見てみると違う。まるで粘土に爪を立てたような小さい目をさらに細め顔を真っ赤にして大きな声をあげる小太りの女がただ一方的に怒鳴っているだけだ。向かいにいる、黒髪の女は肩を震わせ、ただただ怯えているようだった。
周りのヤジウマはともかく店員は何をしているんだと見てみるが、店員は互いに目を配らせたりして行くかどうか迷っているようだ。まぁ、関わりたくないわな。
俺はそれを咎めようだなんて思わない。何故なら俺だって同じ気持ちだ。勝手に醜い争いをしていればいい。あの、無言で立ちすくむ彼女には申し訳ないが、面倒ごとは誰だって嫌なのだ。
俺は集まった人込みをかき分け、レジに並ぼうとした。その時。
「ッ!?」
心臓が跳ねた。目が合ったのだ。小太りの女とではない。その向かいにいる女。前髪に隠れた、だけど大きな瞳。夜空に映る満月のような、瞳が、俺を見たのだ。
色識紫苑。俺の『過ち』だ。
どうして彼女がこんなところにいるのだ。家は逆方向のはずだ。
などと言っても、いるものはいる。色識さんの行動範囲に文句を垂れたってしょうがないのだ。そんなことよりも、俺は色識さんの視線と交錯してしまい、どうすればいいか分からなかった。
満月はゆらゆらと揺れていた。水面に映るかのように。唇は震え、助けて、と俺に語りかけているようで・・・・・・。
分かっている。色識さんがああいう輩に反論できるほど肝が据わった女の子ではないことも。誰かが手を差し伸べてやらないと簡単に崩れ落ちてしまうことも。
俺は・・・・・・。
助ける。今すぐ駆け寄って、色識さんを助ける。
あぁ、それは素晴らしいことだ。感動的で人徳的。まるで物語の主人公のようでそんな勇ましい姿を見たら誰もが俺を称えてくれるだろう。
――待てよ、その子困ってるじゃないか。
いいセリフだ。うん、これにしよう。そうやって頭の中で都合の良い妄想を繰り広げていた俺は、気づいたら会計をしていた。
「六百八十円になります」
レシートを受け取りそのまま店を出た。
「・・・・・・」
陰湿な店内とは対照的に快晴の空が俺を出迎えてくれた。空はいいよな。お天道様の下でどんな醜いことが繰り広げられていようが関係なしにいつだってマイペースだ。さぞストレスのない日々を送っているんだろう。羨ましい限りだ。
店を出て、窓ガラスを見つける。自分の姿を映し出す鏡やガラスは、思っていたよりもこの世界には多くある。多分、意識したから初めて気づいた事実だ。俺は大きな窓ガラスに映る自分を見つめる。
何ともオシャレな恰好だ。サイズもバッチリ。体のラインがしっかり出ていて男らしい。だけど青いカジュアルな色を含むことで爽やかさもあり、短くさっぱりとした髪型がそれをより一層際立たせている。変わった。俺は少なくとも。
だがそれは外見だけだ。どんなに恰好をつけたところで、困っている女の子を助ける甲斐性など俺にはありはしない。
「バカみたいだ」
少し外見がマトモになったからといって調子に乗っていた自分が阿呆らしい。なんて滑稽なのだろうか。結局俺は誰かと手を取り合い生きていくことなんてきない。人と関わったところでいいことなんてない。
帰ろう。
俺なんかが出る幕ではなかった。俺は間違っていない。
醜く内に引き篭る、俺なんかが。
『俺なんか、だなんて。もう二度と言わないで』
「・・・・・・」
昨日の情景が蘇る。夕日を背に、泣きそうな声で言い放った楠木の言葉。何を根拠にそんなことを言ったのかは分からないし、楠木が何を考えていたのかも知らない。
だけど・・・・・・。
「クソッ!」
きっと俺が今からしようとしていることは単なるお節介だ。親切などではない、当人からしてみれば余計なお世話かもしれない。だが、その要らない気遣いは決して負の感情を生み出すものではないと俺は知っていた。
突然転んだ傷を手当されても、口にトマトをねじ込まれても、勝手に服をコーディネートされても。なんだこいつ、とは思っても、その行為自体に嫌悪感を抱いたことなど一度もなかった。
そのことを知っていたから、俺は、帰ろうとする足を止めることができたんだと思う。
「行けばいいんだろ行けば!」
誰に対して悪態をついているのか。俺は弾かれたように踵を返した。
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