第13話 過ちとの邂逅

 息を切らしながらアニメイキングの中に入り先程のラノベコーナーへと向かう。


「ハァ・・・・・・ハァ・・・・・・」


 だが、そこにはもう人だかりはなかった。


 一体、どうなった?


 レジの前に並ぶ列に目をやると、小太りの女が嬉しそうに一冊の本を抱えていたのが目に入った。どうやら、間に合わなかったようだ。


「い、色識さんは」


 俺は辺りを見渡す。


 すると、店の奥で一人視線を床に落とし佇む人影を見つけた。色識さんだ。一瞬、違う本を選んでいるのかと思ったが、そうではないらしい。視線は確かに下に向けられているがそれは並べられた本を通り過ぎ、何もないタイルの床を見ていた。


 事はどうやら済んだらしい。一件落着とは言えないだろうがおそらく色識さんのほうが折れたのだろう。


 俺の役目は二人の争いを止めることだった。だからもうここには用はないはずだった。


 だが、何かもう一つ、別の役目がある気がして、俺は色識さんの元へと歩み寄った。


「あの、色識さん」


 そう、声をかけると、ビクンっと跳ねるように反応した色識さんがこちらをおそるおそる見る。


「えっ・・・・・・さ・・・・・・まく・・・・・・」


 おそらくは俺の名前を呼んだのだろうが。声が掠れてしまっていた。それも仕方のないことだと思う。店の中で、あんな大勢の目の前で怒鳴り散らされたら恥ずかしいだろうし委縮してしまうのも当然だ。


「大丈夫か?」


 俺はしまった、と思った。大丈夫でないことなど一目瞭然だ。気の利かない、なんとデリカシーに欠けた発言だったのだろうか。しかし、そんな俺にも色識さんは。


「はい、大丈夫、です」


 掠れた声を出しながら、一生懸命笑顔を作って俺に言った。


 色識さんの顔。そして声。すぐさま蘇る『過ち』の記憶。


 面と向かって話す気恥ずかしさと胸に突っかかる罪悪感に俺は逃げるように目を逸らしながら言った。


「何があったんだ?」

「私・・・・・・本を買いにここへ来たんですけど、目的の本が最後の一冊しかなくて・・・・・・手に取ったんですけど、そしたら後ろから女の人が声をかけてきて・・・・・・」


 なるほど。やはり、思った通りその本が欲しかった性格の悪い女が難癖をつけてきただけのようだ。


「そうか・・・・・・さっきは、その、すまん」

「何が、ですか?」


 キョトンとする色識さん。俺としてはさっき目が合ったにも関わらず無視して店を出たことを謝ったのだが。まぁいい。


「いや。さっきのヤツまだいるみたいだから、取り返してこようか? だって色識さんが最初に手に取ったんだから、半ば強奪みたいなもんだろ」


 まぁ本当に取り返せるかは分からない。相手が女とはいえ少々常識外れなところもあるみたいだし、男の俺から見てもすごい威圧感だった。


 だが色識さんは。


「いえ、いいんです」

「でも、読みたかったんだろ?」

「それは、そうですけど・・・・・・」


 色識さんは怒るでもなく、むしろ優しい笑みを浮かべて言った。


「それはあの人もきっと同じでしょうから」


 胸を打たれた気がした。それは色識さんの笑顔が可愛いということもあるが、なによりもあんな難癖をつけられて、その後にこんな言葉が出てくることに。色識さんの優しさが腐った俺の性根を浄化していくような、そんな感覚を覚えた。


「彼女も好きなんですよ、あの本が。私も好きですし、同じものを好きな者同士、相容れないはずありません。だから、私はいいんです。彼女があの本を読んで、喜んでくれれば」


 色識さんは、何も変わっていなかった。どんな理不尽なことがあっても絶対に人のせいにはしない。全て自分に非があったと。


 そんな色識さんは、きっと。俺のことを恨んでなんかいないんだろう。結局自然消滅してしまった俺達の関係も、自分のせいだと思いこんで・・・・・・。そう思うと、俺は、とんだクソ野郎だ。


「ちょっと、びっくりしちゃいましたけど」


 色識さんは困ったように笑い、一瞬見えた赤く腫れた目は、カーテンのような前髪に隠れてしまった。


 結局、俺が来た意味はなく、むしろ色識さんの優しさに心を痛めるだけだった。



 別れるのも気まずかった俺は、色識さんと一緒にアニメイキングを後にして帰路についていた。


 先程は明確な目的があったから話しかけられたが、隣を歩く色識さんに俺はかける言葉がなく無言で二人歩いていた。ただ、居心地が悪いという訳ではなかった。前からこうなのだ。俺も色識さんも自分から率先して話すタイプではない。こうして二人で黙って歩くのは言ってしまえばいつもどおりだった。


 だから駅に着くのはあっという間だった。


 色識さんの家は俺とは逆方向の場所なのでお互い別の切符を買う。


「えっと、私。そろそろ電車が来るので・・・・・・」

「あぁ、うん。それじゃ」


 素っ気ないかもしれない。だが、それでも色識さんは嬉しそうにいていた。


「今日は本当にありがとうございました」

「いや、別に俺はなんもできなかったし、礼を言われるようなことはしてない」

「ううん、してくれましたよ。いっぱい」


 そうは言われても、俺は本当に何もしていない。何かをしようとして、逃げたからだ。踵を返した時には時すでに遅し、何ともダサい男だ俺は。


「それに・・・・・・」


 色識さんは一瞬俯いて、その後俺の顔を見上げた。


「なんだか今日の佐保山くん、すっごくカッ・・・・・・です」

「え?」

「カッ、カッコいい・・・・・・です」


 その言葉に俺はギョっとしてしまい慌てて目を逸らして自分の前髪を弄る。


 ちらりと横目で色識さんを見ると、彼女も自分の言ったことに恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にして目を逸らしていた。


「じゃ、じゃあ私はこれでっ」

「お、おう」


 ぎこちない別れの挨拶をして、色識さんは小走りで改札口へと向かった。切符を通す際、上手く入らなかったのか、へにょりと切符が曲がりそのままひらひらと床へと落ちる。後ろで待っていた人へ「す、すみません!」と頭を下げてホームの奥へと消えていった。


 ふぅ、と息を吐く。


 俺は電車が来るまで待合室で時間を潰すことにしてスマホを見た。一通りまとめサイトを見た後、すぐにやることがなくなったので何の気なしにLIMEを開いた。


『佐保山くん、お久ぶりです。色識です。突然でごめんなさい。ご迷惑なのは分かっているんですが、もう一度だけ、佐保山くんときちんとお話がしたいです。都合がつく日で構いません。私はいつでも合わせられますので、どうかよろしくお願いします』


 画面に表示された、最後に俺に送られたメッセージ。


 主張をするのが苦手な色識さんがこの文章を打ったのかと思うと、申し訳ない気持ちになる。だってこの文章には、色識さんのしたいこと、やりたいこと、言い方を変えれば単なる我侭が羅列されていたからだ。そんな色識さんの最初で最後の我侭を俺は無視したのだ。


 それに、あぁ。どんどん、どんどんと決壊したダムのように記憶が溢れ出てくる。


 俺が告白されたあの日。色識さんは顔を真っ赤にして、慣れない大きな声で、ボリュームを多少間違えながら、言っていた。好きです、と。


 それがどれだけ勇気のいる行動で、色識さんが一生懸命伝えようとしていたのかが、今は分かる。ちょっとの相槌も、少しの反論も、できないような人なのだ。そんな彼女が誰かに好意を伝えるなどという大それたこと、相当の理由がない限りできることじゃない。


『バカ。たった三カ月で好きだった人を嫌いになれるワケないじゃん』


 いつか言われた、楠木の言葉を思い出す。


 まさか、な。


 人は都合のいい解釈をしがちで、それは大抵外れていてロクなことにはならない。だから自分勝手な妄想だと決めつけて頭の奥底で泳がせているのが正解なのだ。


 だが、この日の俺は、やはりどこかおかしかったのかもしれない。髪を切ることで、違う服を着ることで、別人になったと錯覚して、頭のネジが外れていたのかもしれない。


「めんどくさ」


 そう漏らした、人と関わることへの否定の意。だけどそんな言葉とは裏腹に、俺はそこまで悪い気分ではなかった。それがどうしてか分からない。もしかしたら今日寝て明日起きたら気が変わっているかもしれない。人の心情とはそれほどまでに簡単で適当なものなのだ。


 だが、もしも俺の性根が、どこかのお節介なギャルに叩き直されてしまったのだとしたら。それはやはり、人の心なんて大したもんではなくて。入学したての張り切っていた自分を黒歴史扱いするのは、もう少し後にしよう。


 そう、思った。

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