第10話 ギャルの独壇場

「ん~46点かなぁ」


 会計を終え、店を出て少し離れたところで楠木が伸びをしながら言った。


「店出た途端とんでもない言い草だな。味は及第点だったろ」

「バカ。お店じゃなくて佐保山の点数だって」

「なんだよ、そもそもそれは加点制なのか? それとも減点制か? それによってだいぶ変わってくるぞ」

「減点制」


 きっぱりと言われた。持ち点が100点だとすればそれを半分ほど削り落とすほどに俺の言動はまずかったらしい。


「まず全然楽しそうじゃなかった。マイナス30点。あたしの方を全然見てくれなかった。マイナス50点。一回も笑ってくれなかった。マイナス20点」

「おい待て。それ全部同じようなもんじゃねぇか、ひっくるめろ」


 減点させたいがための不正なのではないかと呆れてしまう。俺の持ち点は納得いかない減点制度の犠牲になってしまった。


「ん? でもそれだと0点じゃないか? さっき46点て言ってたよな」


 そう言うと楠木は巻いた毛先を指で弄りながら、


「気、使ってくれたから」


 全く心当たりがない。好きなミートボールを最後に残しておくこと以外、特に何も考えずに食事をしていた。


「あたしが佐保山のご飯待ってるときに、声かけてくれたでしょ? ちょっと彼氏~って感じで、よかったよ。だからおまけでちょっと加点しておいてあげました」

「別に気使ったわけじゃないんだけどな。それを言うなら楠木だって気使ってたろ。俺だったら飯運ばれてきた瞬間食いつくけど」

「あたしも気を使ってなんてないって。やっぱせっかくの外食は誰かと一緒に食べたいじゃん? 相手が彼氏なら尚更ね」

「あぁ、相手が彼氏ならな」


 先週知り合ったばかりの俺にその理論は通用しない。だが、それでも俺なんかに気配りしてくれたのだとしたら、もしかすると楠木は案外、良い奴なのかもしれない。と、思った矢先。


「そういえばさ、来た時から思ってたけど、なんで全身黒色で統一してるの? ぶっちゃけダサくない? 黒って合わせるのには万能だけど、全部黒にしちゃったら意味ないよ。むしろなんか怪しい感じする。ファッションセンスゼロ?」


 いきなり人の服装にずけずけと文句を言い始める楠木であった。やはり優しくなんかない。


 確かに今日の服装は中学一年生の時から着ているプリントTシャツと中学一年生の時から穿いているチノパンに、中学一年生の時から着ているパーカーを羽織っているだけで、これをファッションと呼んでいいのかすら分からない。


 生憎、服にかける金なんてないし五年前で時が止まっているタンスの中身にまともな服など入っているはずもない。


「という訳で次は服屋ね! あたしが佐保山をコーディネートしてあげるから! 大丈夫あたし服のセンスいいって友達からも評判なんだよ?」


 忘れていたがこの女、尋常でないほどのお節介なのだ。頼んでもいないのに要らない世話を焼く、厄介なギャルなのだ。


 俺は「えぇ・・・・・・」と心の底から嫌悪感丸出しの声を絞り出す。


 だって服屋ってあれだろ? 入った瞬間、店員がどこからともなく表れて「こちらの服なんかお似合いですよ!」と押し売りをしてくる悪徳商売を良しとして過剰な接客で俺みたいな客を翻弄するロクでもない店だろ? 


 高校に入学したばかりの頃、調子に乗って五つほど離れた駅にある有名なメンズの服屋に行ったことがある。


 入るなり頭ニワトリ族のおちゃらけた店員が俺に話しかけてきたのを思い出す。にへらと笑い、人を見下すかのような顔で。


 きっとあの店員はこう思っていたはずだ「うわ、なんか冴えないブ男がウチの店に来たよ」と。店員も、そして周りにも洒落たイケメンと称される男しかいなく俺みたいな男が場違いであることはあまりにも明確だった。そんな嘲笑うような店員の顔が今も脳裏に焼き付いて離れない。だから服屋は嫌いなのだ。あんなの、俺が行くような場所ではない。


「佐保山、服装きちんとすれば意外とイケるかもよ?」

「いや、俺は・・・・・・」

「背も高いしさ。顔も・・・・・・中くらいはあると思うよ? んー、もうちょっと前髪切ったらカッコイイよ」


 楠木の手がスッと伸びてきて、俺の前髪を掬いあげた。開けた視界に飛び込んできたのは楠木の笑顔。俺を見下してなんかいない。嘲笑ってなんかいない。屈託のない弾けるようなその笑顔に、俺は頭を掻きながら、


「わかったよ」


 結局大嫌いな服屋に行くことを決心した。



 意外と服屋はカフェから近い所にあった。看板には店の名前らしき文字が筆記体でごちゃごちゃ書かれている。落ち着いた外装と店の大きな窓ガラス付近に立ち並ぶマネキンを見る限り、若者向けの店らしい。


「なぁ、ジェスコにしないか?」


 あそこの男性服コーナーには店員がRPGの敵のようにそこらをうろうろしていることはなく、パートのおばちゃんがレジで客が来るのを地蔵のように待っているだけなのでこちらとしては心持ちが非常に楽なのだ。


「バカ。ああいうところって着れればいいっていう服ばっかなんだから。部屋着買うくらいだったら安上がりでいいんだけど、今回は佐保山に合うオシャレな服を探しに来たんだよ?」

「でもなぁ・・・・・・」


 店を前に、俺はどうやら怖じ気づいてしまったらしい。入り口付近で足を止める俺を、楠木は一瞬不思議そうに見る。


 すると、


「ほら、行くよ」

「お、おい!」


 あろうことか楠木は、俺の手を握ったのだ。突然触れた楠木の肌に俺は驚いてしまい、抗うこともしないまま店内まで引っ張られてしまった。


 店に入ると服屋特有の乾いた毛玉のようなにおいがして、思い出したくない記憶が脳を駆け巡る。今すぐにでも帰りたい。そんなことを思っていると、繋がれたままの楠木の手に力がこもり、俺の手をギュッと握った。


 目の前を歩くおしゃれな恰好の楠木にこうされていると、まるで「任せなさい」と言っているようで、何故だかほんの少しだけ安心できた。


 もし俺の気持ちを全て理解したうえでこんな真似をしているのだとしたら、楠木は相当デキる女だと思う。


 そうして楠木は迷わず上着が置いてあるコーナーへ足を運んだ。


「じゃあまず佐保山一人で選んでみて」

「マジか・・・・・・」

「お手並み拝見ってね」


 俺が異議を唱える暇もなく、楠木は少し離れたところに行き、腕を組んでこちらを見ていた。


 とりあえず、黒ではなければいいのだろう? 楠木の言葉を思い返すとつまりそういうことだ。


 ・・・・・・そう思ったのだが、服選びというヤツは何年経っても難解だった。


 まず、服の種類、特に上着なんてパーカー以外に知らないし、上下の合わせなども分からない。とりあえず、ズボンは無難な紺色辺りにするとして、上は何色にすればいいのだろうか。青はなんだか明るすぎるし、赤は派手だ。黄色は子供みたいに見えるし白は気取ったホストのようだ。


「じゃあ、黒しかないじゃないか・・・・・・」


 結局、行きつく先は黒だった。特にイケてるわけではないが、変ではない。無難なのだ。鏡の前で自分と睨めっこをする。うーん・・・・・・。


 すると、


「どうかされましたか?」


 バクンと胸が跳ねた。体が強張り、息が止まる。俺の横に、長身のイケメンが立っていた。口角をあげて俺を見下ろしている。


「あ・・・・・・」


 いいえ、なんでもないです。そう言えばこの接客モンスターを撃退できるのかもしれない。だが、焦燥感と劣等感に追いやられパニック状態となった俺はただ口を開けることしかできなかった。


「あ、すみません。先程から上着の色を気にしているようでしたので、もしかしてお悩みでしょうか」


 俺の様子を見て、店員が話を切り出す。


 放っておいてくれ、と心の中で叫んだ。何故話しかける。レジで大人しく待っていろと文句を垂れた。きっと店員にもノルマだとかあるのかもしれない。だがそれはもっと違うヤツにして欲しい。いるだろう、そこら中に俺なんかとは違う冴えたヤツが。


 そこで俺はあぁ。と気付いた。違う。同情だ。見下しているのだ。この男は。あの時の頭ニワトリ族の店員と同じだ。見ろ、こんなにも嗤っている。


「あの、お客様?」


 無言で俯く俺に、店員が心配そうに声をかける。


 いや知っている。こんなのただ単に俺がひねくれているだけだと。それでも鏡に映る冴えないブ男と長身の爽やかな店員を見比べると全てが嫌になってくる。俺がオシャレなど、やはり烏滸がましかったのだ。


 靴下とパンツだけ買ってさっさと帰ろうと、そう思った時だった。


「ジャケットってありますか? できれば春物の、レザーじゃなくてスタンドカラーのがいいんですけど」


 すぐ後ろ。黄色の髪をなびかせた楠木が立っていた。


「はい、勿論ございますよ。ええっと・・・・・・?」


 店員が俺と楠木を交互に見る。


「あぁ、なるほど。分かりました。ではこちらへ」


 ジャケットとやらがあるコーナーへと案内される。呆気に取られている俺は「ほら行くよ」と楠木に背中を物理的に押されて店員の後を追った。


 ジャケットコーナーは、俺が見ていたパーカーコーナーの何個か後ろの通路にあったらしくすぐに着いた。若い兄ちゃんたちがストリートでポーズを決めている写真の下にズラッとジャケットは並んでいた。


「それでは、ごゆっくり。何かありましたらお気軽にお声掛けください」


 落ち着いた口調で丁寧にお辞儀をした店員は奥へと消えていった。


「大丈夫?」

「あぁ・・・・・・」


 店員との一騎打ちに乾ききった喉だったが、段々と潤い、声が出せるようになっていた。それが楠木が来てくれて安心したからだとは思いたくはないが。


「佐保山、店員さんにビビりすぎ。後ろから見たらめちゃキョドってたよ」

「苦手なんだよああいうの」


 最初はバカにするような顔の楠木だったが、嫌悪感丸出しな俺を見て少し表情を変えた。


「店員さんが一番詳しいんだから、どういうのが似合いますかね~って聞けばいいんだよ。別に恥ずかしいことじゃないよ?」

「でも、他の客だって、もっとお洒落なヤツいるだろうに。売り上げの為ならそいつらに声をかけたほうが絶対効率いいのに俺なんかに声かけなくたっていいだろ」

「佐保山が悩まし気な顔してたからじゃない?」

「どうだか。どうせ俺みたいなヤツが服を真剣に選んでるものだから可笑しくってバカにしに来たんだろ。営業スマイルで仮面被ってたけど、そうに違いない。やぱっり俺なんかが来る場所じゃないんだよ、ここは」


 きっと楠木からすればくだらない、子供じみた主張だと思う。だが、蘇る過去の記憶に湾曲された俺の性根はそう思わざるを得ないのだ。


 こんなことを言ったら、さすがの楠木だって呆れてしまうと思ったが、


「ふーん・・・・・・まぁいいや。服、選んじゃお?」


 楠木は一瞬考えたような顔をしたがそれ以上追及することはせずに、ぶら下がったジャケットに手を伸ばした。


「とーりーあーえーずー・・・・・・これからいこっか」


 そう言って楠木が最初に手に取ったのは、黒のジャケットだった。


「おいおい、黒はダメって散々言ってなかったか?」

「黒ずくめはダメって言ったの。下に白か灰のシャツ着ればいい感じに合うっしょ?」


 そうだったのか。てっきり黒は完全に除外して考えるものだとばかり思っていた。


「イタリアンカラー、はちょっと大人っぽすぎるかな。佐保山、根暗なくせに童顔っぽいところあるし」

「根暗で悪かったな」

「でもジージャンにするには爽やかさが足りないんだよねぇ。うん、やっぱりスタンドカラーかテーラードかな」


 ボソボソと一人で俺を酷評する楠木は、最初に取った黒のジャケットと、その他に二つ、襟の大きさの違うジャケットを持って俺を試着室に押し込んだ。


「はい、上着脱いで」

「いや出てけよ」


 何故か狭い試着室に楠木まで入ってくる。


「別に上脱ぐだけなんだからいいでしょ。え、何? もしかして恥ずかしいの?」


 ひひ、と楠木が笑う。その悪戯な笑みもほぼゼロ距離だ。いつものシャンプーの香りが試着室に充満し、時々体が触れてしまう。


「それに、狭いと手伸ばしにくいからジャケット着づらいでしょ? 脇のとこ、バリッ! っていっても知らないよ?」

「わかったよ」


 渋々了承した俺は、今着ているよれよれの上着を脱ぎ捨てた。上着とはいえ、女子の目の前で衣服を脱ぐというのは恥ずかしく、体が熱くなる。


「じゃあ着せるね」


 俺は腕を少し上げる。楠木は袖を通すため俺にほぼ抱き着く形になる。正面から肌が重なり、思いもよらぬ柔らかさに俺は目を瞑る。なんとかジャケットを羽織り終えたのか楠木が一旦後ろへ退いた。


「うーん。悪くないけど。悪くないってだけかなぁ」


 鏡を見る。今着ているのは黒のジャケットだ。ジャケット自体初めて着るので、不思議な感じがするが、着慣れた黒の為か違和感はそれほどない。


「別にこれでいいだろ、薄手で夏にも着られそうだし」

「ううん。普段使いにはこれでいいけど、やっぱり買い物に行くときの服はもっとオシャレなのがいいと思う。よし、次」


 納得いかないのか楠木は別のジャケットを羽織らせる。


 この後も何回か試したが、楠木は首を傾げるばかりで中々決まることはなかった。


「もういいだろ。結局素材が悪けりゃ何着たって同じなんだよ」


 そう、自虐してみる。


「確かにそれはそうなんだけどね」


 自分で言っておいてなんだが、こうもきっぱり肯定されると悲しい。だがそれが事実であることは変わりない。もうかれこれ一時間ほども着せ替え人形にされているが、そろそろ潮時だ。


「待って、最後にこれだけ!」


 そう言うと楠木は走ってどこかへ消えたかと思うとすぐに戻ってきた。


「ちょっと佐保山には合わないと思ってたんだけど、やっぱ着てみないと分からないだろうし、お疲れのところ申し訳ないんだけどこれだけ着てみて!」

「あぁ、これで最後だからな」 


 そこまで言うなら一着くらい最後に着てもいいか。と俺は楠木から青いジャケットを受け取る。青は最初、俺が明るすぎると思って排除した色だ。着こなせれば派手すぎず地味すぎずいい色だとは思うが、如何せん根暗の太鼓判を押されている俺では到底無理な芸当だ。諦め半分に袖を通してみる。


「・・・・・・どうだ?」


 無言の楠木。まぁ、そういう反応だろうな。鏡を見ても完全に俺が服に負けている感がすごい。もういいだろ、と俺は脱ごうとするが、


「いい」

「え?」

「いいじゃんそれ! ちょっと冒険しすぎた感があって心配してたけど、いいよ佐保山! 今結構カッコイイよ!」


「カッ・・・・・・ッ!?」


 カッコイイ? その単語に疑惑と不安、そして感じたこともない高揚が胸を包む。


「あー佐保山、体格は悪くないんだよね。ラインはしっかりしてるし。あたしも青はハナから選択肢から外してたんだけど、この服ならそれほど明るい青じゃないし、どっちかっていうと紺? それにサイズもぴったりで、結構着こなせてるのがちょっとウケる」


 何がウケるのかはさておき絶賛のご様子の楠木。


 これが店員だったら売り上げの為に必死だなとか思ってしまうのだが、当然楠木にとってはこの店の事情など知ったことではないだろうし、もしこれが本心からなのだとしたら。そう思うと少し嬉しい自分がいた。俺はそれをなるべく顔には出さないように、


「じゃあこれにするわ」

「うんうん! そうしよっ!」


 そうして俺は一度ジャケットを脱ぎ、レジまで持っていく。


 バーコードをスキャンして、画面に表示された七千四百円という文字に腰が抜けそうになったが、なんとか堪えて多めに入れておいた札を財布から引っこ抜いた。


 丁寧に畳まれた俺の初ジャケットは、布製の袋に入れられ、更にその上から大きいビニールの袋に入れるというダブル包装で厳重に保護された。それを見て、ここはきっといい店なのだろうなと思った。


 会計を終えた俺は先に外で待っている楠木の元へと向かう。


 その途中で、先程俺に話しかけてきた店員と目が合った。すると「いいものが見つかったようで、良かったです。ありがとうございました。またいつでもお越しください」と、あの営業スマイルで俺に言ってきた。


 俺はというと、やはり言葉を発することはできなかったが、頭を下げて、店を出た。

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