第9話 腹を満たす以外の昼食

「いらっしゃいませ」


 楠木に引っ張られて店に入ると、落ち着いた声で深くお辞儀をする礼儀正しい店員が出迎えてくれた。


 息を吸うと柔らかい空気が鼻を通っていく、コーヒーの匂いが香るおしゃれなカフェだ。


 木造の壁に、少し暗めの光が反射して独得の雰囲気が店内を包み込んでいる。確かに女性はこういうところは好きそうだが、飯を食うにはいささか物足りないと思う。腹が減っているのにコーヒーを飲んだって仕方がないし、お菓子だって腹の足しになんてなりやしない。


 そんなカフェでまともに食事もしたことのない俺は勝手な偏見を抱いたままレジカウンターに張り付けられたメニューを覗き込んだ。


「意外と、食うもんあるんだな」

「でしょ?」


 そこにはコーヒーのお供であるお菓子だけでなく、サンドイッチやパスタなど胃袋に収める用のメニューがきちんと載っていた。それに日替わりの定食などもあり、変わったところでは寿司なんかもあるらしい。コーヒーに寿司が合うかどうかは疑問だが、なんにせよカフェとやらへの認識を改める必要があるようだ。


「決まった? あたしサンドイッチとカフェモカにしようかな」


「あー、じゃあ俺は定食で」


 せっかくだしカフェの実力とやらを確かめさせてもらおう。メニューに載せるだけなら誰だってできるからな。大事なのは味だ。


 俺と楠木は店員に注文をし、向かい合うように丸テーブルに着いた。


 すると五分ほど経った頃に先に楠木のサンドイッチとカフェモカが運ばれてきた。チーズとトマトをレタスで包んだ肉類のないさっぱりとしたサンドイッチで女子らしいチョイスだ。大きさもピクニックに持っていくような一口サイズで食べやすそうではあるが、その大きさが値段に釣り合っているかどうかは分からない。


 一方カフェモカはというと少し焦げ目のついたホイップクリームの上にチョコレートが網状にトッピングされていて甘い香りがこちらまで漂ってくる。


「カフェモカとカフェオレとカフェラテって、何が違うんだろ」

「知らずに頼んだのか」


 てっきりこの手のものに関しては通だと思っていたのだが、楠木はカフェモカをじろじろと見ながら首を傾げた。


「甘けりゃカフェモカで、苦けりゃカフェラテでいいんじゃないか?」

「じゃあカフェオレは?」

「さぁ、色じゃないか? なんか黒っぽいイメージがある」

「あー」


 そんなしょうもない話をしながら俺は自分の飯が運ばれてくるのを待った。


 その間にも、楠木がサンドイッチに手をつけようとしなかったので俺は気を使わせるのも居心地が悪くてテーブルに頬杖を突いて言った。


「先に食っていいぞ」


 すると楠木は驚いた表情で、


「そう? ふーん、ありがと。でもやっぱり待つことにする。佐保山の頼んだ定食も気になるし、美味しそうな料理目の前に置いて食べた方が得じゃない?」

「貧乏くさい考えだな。俺も人のこと言えるわけじゃないが」


 食品サンプルのリアルなハンバーグを食卓に並べて白米を掻き込むとどこからともなくデミグラソースのいい匂いがしてくる、おそらくそれと同じようなことだろう。俺も金がない時はこの方法でなんとか食い繋いでいた時期もあった。


 それから少し経って、ようやく俺の定食が運ばれてきた。目玉焼きとほうれん草の炒め物が真ん中に居座り、ブロッコリーとミートボールが端によそわれていて定食という割には案外素朴な印象だ。


「あーやっぱりお味噌汁とかないんだね」


 楠木の言う通り定食にはほぼ必ずついてくるであろう味噌汁はなく、変わりに小ぶりのマグカップにコーヒーが注がれていた。まぁ、カフェで味噌汁なんて出てきたら匂いが混ざってしまうしな。


「やっぱりっていうと、前に頼んだことがあるのか?」

「うん、友達と集まった時にね。お腹空いてたから注文してみたんだけど、なんか定食っていうよりサイドメニューの盛り合わせだよね。ちなみにあたしの時はきのことかベーコンだったかな。美味しかったけどね」


 おどけて言う楠木。なら最初に言ってくれればいいのにと思ったが、そこまで空腹ではなかったことも手伝って運ばれてきた定食にいちゃもんをつけることはしなかった。 


 俺はとりあえず湯だったコーヒーを息で冷ましてから少しだけ啜ってみた。


「それはカフェなに? モカ? ラテ?」

「苦いからラテじゃないか?」

「そっかぁ、ラテかぁ。あ、でも黒いよ? 実はオレなんじゃない? ほら、匂いもなんかオレっぽい」


 黒くて苦い場合、どちらの事項が優先されるのだろうか。


「じゃああたし、ラテに一票!」


 勝手に投票を始めた楠木だった。俺もラテだと思ったが、二人しかいないのに一緒のものに投票をしては面白みもなんともないので「じゃあオレで」と清き一票を入れておいた。


 二人しか、か・・・・・・。


 俺の向かいにいるのは一人の女子だ。


 やたらキャピキャピとしていて最近のギャルっぽく語尾があがるイントネーションの話し方をする楠木は、顔は化粧抜きで言ってもすごく整っているしスタイルもいい。世間一般で言えば所謂美少女というヤツだ。


 そんな存在と二人っきりで話をしながらご飯を食べている。その事実を改めて認識した俺は楠木と目を合わせるのがなんとなく気まずく、テーブルの隅に置かれたメニュー表をじっと見ていた。 


「いいでしょ?」 


 向かいの声に目だけ向けると、何が楽しいのか楠木はくすくすと笑いこちらを見ていた。よく笑う奴だ。そんな笑顔に対し俺はぶっきらぼうに応える。


「なにが」

「カフェ。一緒に食べてるだけでもこうやって他愛もない話で盛り上がれてさ。牛丼とかマッグとかじゃこんな雰囲気にならないでしょ?」


 それは確かに頷かざるを得ない。


 けたたましく鳴り響くポテトの揚がった音とか、やたら気合いの入った店員の掛け声に出入りの激しい客と掻き込む箸の音だとか。あの中でこういった話なんてした覚えはない。あれはあくまで食べるため、胃を満たす為だけの行為だったからだ。


 それに比べてこのカフェは店の香りとか、小さく流れるジャズの音楽とか、静かな周りの客の雰囲気に呑まれてどうしてかリラックスできてしまっていた自分がいた。


 だが、ここで肯定してしまうのはなんだか負けた気分がするので、結局俺は再びメニュー表へと目を戻して若干苦みの感じるコーヒーを啜った。


 ふと、そのメニュー表に俺の頼んだ定食が載っていて、そこに記載されたコーヒーの種類に目が行く。


 こいつの正体はモカでも、ラテでもオレでもなく、エスプレッソコーヒーというものらしい。


 なんだそれは。


 ますます混乱する頭を覚ますように、俺はそのエスプレッソコーヒーを飲み干した。

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