鬼哭神喰【Ravana Asura】

アズサヨシタカ

第1話 折れた剣心


 父は、ただの一度も、私を褒めてはくれなかった────。



 脳裏によみがえったそれは、かつての己がこぼした憤懣ふんまんだった。

 己を認めてくれぬ父に対し、顧みてくれぬ父に対し、ドロドロと煮えたぎっていた憤懣。


 思えば────。


 私は、その憤懣のままに剣を振り続けていたのかもしれない。


 本当に、腑抜けたことだと自嘲に項垂れながら、踏み出した歩みは度し難いほどに力無かった。


 夕暮れの峠道。

 彼方に沈みゆく茜の色彩は、故郷で幾度も眺めた輝きと同様である。

 遠く海を隔てても変わらぬその色に、込み上げるのは郷愁と懐古……なれば、それは込み上げた先からわだかまり、どうにも御し切れぬ焦燥となって心身に淀む。


 私は項垂れたまま、フラフラと歩く。

 ふと、前方に騒がしい気配が揺れた。

 顔を上げれば、見やった先に居並ぶのは十数名の男たち。

 一見して、山賊か盗賊かの二択であろうゴロツキの風体。手に手に武器を携え、一様に殺気だった剣呑な雰囲気で行く手を塞いでいる。


「何だ、オマエたちは……」


 ……この私を、真結月まゆづき冬次郎とうじろうと知っての狼藉か?


 そう続けそうになって、やめた。

 ここは遠き異国の地。

 遥か東方での我が剣名が、どれほどの威嚇になるわけもない。そんな男は知らぬと鼻で笑われるのが関の山。なれば、無駄に言葉を連ねるだけ徒労というもの。


 いずれにせよ、これから起きることに変わりはない。


 多勢にあかせて旅人を襲うような悪漢どもを見逃す慈悲など、私は持ち合わせていない。


 私は、己が背負った得物に意識を向ける。

 そこにあるのは刀剣だ。

 この国にて多く見る、両刃の直剣とは違う。反りのある刀身に片刃を備えたそれは、遥かな故国にて〝大太刀〟と呼ばれる造り。だが、大太刀としてもなお、その長大さという点で異質であった。


 刃渡り四尺、柄丈は二尺四寸。合わせた全長は六尺四寸……大陸の尺度では百九十二センチメートル……まさに身の丈を超える長物。柄の長さだけで普通の刀剣の刃渡りを超えている。


 あまりにも大仰にして、異形なる特大の大太刀。

 銘はない。

 高名な刀工が鍛えた、紛れもない大業物なれど、えて、銘は刻まれていない。


 無論、私は伊達や酔狂でこんな長物を携えているわけではない。いや、ある意味では、伊達と酔狂には違いないか…………。


 自嘲に、我知らず口の端がつり上がる。


 背負った異形太刀。

 連れ添ったその重みは、今はとても軽い。

 軽いはずなのに、どうにも重苦しいそれを、私は未だ捨て去ることもできずに背負い続けている。


「……滑稽かな……」


 口の端が、更なる自嘲に歪み果てた。

 斜めに背負った異形太刀。左腰に垂れた鞘を左手でつかみ、右肩より伸びた柄を右手で握る。


 長大過ぎる刃渡りは、ただ引くだけで抜き放てるはずもない。ゆえに、その抜刀法には多くの工夫と細工による験算があり、錬磨があった。


 だが、今となってはもう、そんな技法も機巧も意味を為さない。


 鞘走る澄んだ音色と共に、我が愛刀を抜刀する。

 ただ引いただけで抜き放たれたその刃光に、前方で殺気立つ者共がザワと粟立った。


 黄昏の光を照り返し、大きく弧を描いた白銀の刀身。

 その歪な三日月を目の当たりにしたゴロツキたちは、一瞬、毒気を抜かれたかのごとく、眼と口を唖然と開いて……。


 直後、堪えかねたとばかりに笑声を上げた。


 ある者はこちらを指差し、ある者は腹を抱え、ある者は地面を踏み鳴らしての大爆笑。


〝何だそれは!〟

〝拍子抜けにもほどがある!〟

〝頭がどうかしているのではないか!〟


 そのような意味合いの内容を、とても下劣で下卑た言葉で叫びまくっているようだ。


「……やはり、滑稽であるか……」


 まあ、それが道理だろうな。

 何せ、抜き放った刀身は、その半ばでボッキリと折れているのだから。

 大仰なまでに長大な造りながら、今や実質の刃渡りは二尺ほど……普通の大刀にすら及ばぬ在り様だ。

 立場が逆ならば私も笑う。

 あるいは、剣士として憤る。

 そんな得物で剣士を名乗るのかと、折れ砕けた刃で勝負に挑むのかと、武士の魂たる刀を何と心得るのかと、あきれ果てるだろう。


 だから、私は向けられる嘲弄の全てを肯定した。


「笑うなら、笑え……」


 この無様は笑われて当然である。


 だが────。


 息吹をひとつ。

 大きく踏み込んだ挙動に重ねて、右腕を振り下ろす。

 折れた刀身が斬と閃き、先頭で指差し燥いでいたゴロツキの笑声を断ち切った。

 噴き上がった血飛沫。

 朱に煙る光景に、周囲にわいていた笑声が戸惑い濁る。

 ゆるりと間合いを詰めた私の動きは、しかし、ゴロツキ共には眼にも留まらぬ瞬動だったのだろう。


 それもまた道理だ。

 凡夫と達人では、感じる時の流れが違うのだ。


 まして、人と神にあってはなおのことだろう。


 なれば、この者たちが私の動きを刹那に見落としたように────。


 私の動きもまた、あの魔剣士には、何とも悠長にして鈍重に感じられたのだろうな────。


 抱いた屈辱に、私はギリと歯噛みする。


 仄暗い憤怒のままに、居並ぶゴロツキのひとりを睨みつけた。

 おんと返した刃で、一刀に斬り伏せる。

 前のめりに息絶えるゴロツキを、半身に踏み込み躱しながら、私は左手につかんだ長鞘をぐるりと回して左腰に添えた。

 右手に握った異形太刀をひるがえす。


「斯様な敗残の刃でも、人を斬るには充分である」


 私は滔々とうとうと呟きながら、その折れた刀身を鞘口に当て、静かに滑らせて納刀。右半身に身構え、グッと総身をたわめる。


 居合いに抜き打つための構え。


 明確なる追撃の姿勢に、だが、周囲のゴロツキたちは、未だ状況の急転に戸惑い揺れたまま。

 彼らが口々に呻きながら得物を構えるのと、私が剣気を放ったのは同時だった。


真結月まゆづき封韻ほういんりゅう……いざ、殺劇さつげきつかまつる」


 惰性でこぼれた口上は、我ながら覇気薄い。

 ……まあ、どうせつ国人たる此奴らに、故国の言葉が通じるわけもないのだ。

 溜め息と共に鞘走り放った斬撃は、それでも鋭利な殺意を纏いて、眼前のひとりを横薙ぎに斬り払った。


 踏み込みは、斬撃の勢いを乗せて旋転へと流れる。

 身をひるがえしながら納刀し、刹那に抜刀。血肉を断つ手応えを置き去りに、さらに納刀し、即座に抜刀する。己が身を独楽のごとく旋転させながら、納刀と抜刀を連に重ねて振り放ち続ける。


 抜刀の振り抜く力を旋転に宿し、転身する力を踏み込みに流し、それを次の抜刀へと昇華し、それをさらに踏み込みに繋げて繰り返す。


 回れば回るほどに勢いを増していく、斬撃の大車輪。

 群がる敵の腕が、足が、胴が、首が、剣嵐に巻き込まれて朱を噴き、宙を舞う。


 封韻奥義〝独楽こま大蛇おろち〟────。


 刃のアギトが牙を剥いたのは八連。

 加速し続けた斬撃が、野太くも鋭い風音を響かせた後には、無惨に輪切りに刻まれたゴロツキたちの骸が四散していた。


 血払いのために最後にもう一閃。

 くるりと返した刀身を、左の肘窩ちゅうかで挟み込みグッと引き抜いて、こびりついた血脂を拭い取る。それからゆっくりと、殊更にゆっくりと、折れた刀身を鞘に押し込んだ。


 物悲しいほど微かに響いた鍔鳴りに、乾いた吐息を重ねてこぼす。


「……くだらんな」


 続けた笑声は、己自身に向けたものだった。

 斬り捨てると決めて斬り捨てた奸賊共。

 彼我の業前の差は歴然で、ならば、ただ、淡々と斬って捨てれば良いものを……わざわざ奥義を繰り出してまで苛烈に鏖殺おうさつするなど、大袈裟にもほどがあろう。


 わかっている、思い知っている。


 これは八つ当たりだ。


 立ち塞がった相手を、己のイラ立ちをぶつける捌け口にしただけ。剣士にあるまじき浅ましい愚剣だ。


 父は、ただの一度も、私を褒めてはくれなかった────。


 改めて思えば、当然の道理である。

 私には、剣士として褒めるべき何も備わってはいなかったのだ。

 天才よ、神童よと持ち上げられ、思い上がっていただけの愚か者。


 なるほど、私に希有な剣才があったのは確かだろう。

 いかなる達人を前にしても、我が剣は揺るぎなく、その全てを薙ぎ払い討ち倒してきた。

 どんな人間も、剣においては私に叶わなかった。我こそは無双の達人であると、そう思っていた。

 そして、それは確かな事実でもあったのだろう。

 何人も、我が剣の前に存えるはあたわず。我が剣に斬り伏せぬ人間など居はしなかったのだから……。


 だが、所詮それは〝人斬り〟でしかないのだと、思い知った。


〝人斬り〟では、所詮、


 には、及べぬ……!


 人にあっては無双とうたわれた我が剣。

 だが、人外魔境に生きるあの魔剣士どもにあっては、その身に刃を届かせるはおろか、足下に縋りつくことすら叶わなかった。


 私は、神を斬るには至れなかった。


 父と同じく……。


 人の身では、神には届かなかったのだ。


 剣に活き、剣に捧げ、剣を極めんとした我が生涯……なれど、見上げた頂は絶望的なる断崖絶壁であると思い知ってしまった。


 そして────。


 ドグン……と、肺腑の奥が軋み、心の臓が歪む。

 喉の奥から迫り上がった圧迫感に、堪えきれず嘔吐いた。吐き出した塊が、地面を赤黒く染めるのを、私はいつものように呆然と見やる。

 我が身を苛む病魔。

 いくら奥義を放ったとはいえ、この消耗は激しく過ぎる。

 より強い刀を得て、より強い力を鍛え、より速い技を磨いて、再び神に挑む………………そのような時間は、残されているのか?


 否、どれほどの時間があればそこに至れるのか?


 そもそも、至れるものなのか?


 人の身で、人ならざるモノを超えることができるのか?


 ほんの少し以前までは、できると思っていた。


 その為に身命を賭した。


 だが────。


「……滑稽だな……」


 背に負った異形太刀の重み。己が魂を懸けた愛刀。共に神に挑み、そして諸共に打ち砕かれた我が半身。

 馴染み深かったその重みは、今はもう文字通りに半減している。そのことが、それがもたらす事実が、堪え難いほどに重苦しい。


 私は、背負った何かに押し潰されるように膝をつくと、そのまま、深く、力無く、くずおれてしまったのだ。


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