2番目

テキスト工房

2番目

 すくなくとも2番目。もしかすると3番目。

 智慧と戦いを司るとして知られた神・アテネだったが、”女”神にはちがいない。

 もっとも美しい女神に与えられる”黄金の林檎”を手にすることができず、アテネは、女性としてのプライドをすくなからず傷つけられていた。

 実のところ、すくなからずではなく、かなり傷つき、憤慨もしていたのだが、表面上冷静に見えたのは、智慧の女神のプライドが許さなかったためだ。

”パリスめ”

 誰にも悟られぬよう、アテネは内心、毒づいた。

”なにゆえ、アフロディーテーなどに、林檎をあたえたのか”

 パリスとは、神々の王・ゼウスの命により、アテネ、ゼウスの妻・ヘラ、愛の女神・アフロディーテーの三美神から、もっとも美しい女神を選ぶ羽目になった、不運なトロイアの羊飼いの名前である。

 じつはトロイアの王子でもあったパリスは、その出生の秘密により、さらに不幸の底へ突き落されることになるのだが、まだこの時は、その運命について知るよしもない。

 パリスがヘラを選んだのであれば、アテネも諦めがついた。

 ヘラは最高位の女神であり、ゼウスの妻でもある。ゼウス最初の妻の子であるアテネからすれば、継母にあたる。

 ヘラが選ばれたなら、さすがにこれを押しのけて、自らのほうが美しいなどと主張するつもりは、アテネにもなかった。

 だが、アフロディーテーはべつだ。

 アフロディーテーは、巨神族ティーターンの長・クロノスの父であるウラノスの、男性器にまとわりついた泡から生まれたといわれる。

 クロノスといえば、ゼウスの父にして、アテネの祖父。

 不死の存在である神々にとって、年齢はたいして意味をもたないが、それでも、父・ゼウスの叔母のような存在であるアフロディーテーに、美しさで負けたことは、アテネにとって屈辱であった。

”パリスめ、どうしてくれようか”

 涼しい顔をしながら、腸が煮えくり返りそうな思いのアテネは、オリンポスの会議に出席しながらも、上の空で思案を重ねていた。

「智慧の女神よ」

 いつもにもまして口数の少ない智慧の女神に、常ならぬ、ただならぬものを感じ、ゼウスが声をかけた。

 嫉妬深い妻、ヘラの顔色を窺うことに長けたゼウスは、知らず知らず不穏な女心に敏感になっていた。

「ずいぶんと静かだが、なにか意見はないか」

 我にかえったアテネの目に、ゼウスの近くに座す、アフロディーテーの艶やかな姿態が映った。自分のほうを見ている。

 その姿がまた、優越感を漂わせているように見えて、アテネはむかっ腹が立ったのだが、氷河のように強固なプライドで、表に感情が出ないように押し殺した。

「とくにございません」

 会議の議題がなんであったか思い出せぬまま、とりあえずアテネはそう答えた。

「ならばよいが、アテネ。会議の席では、それは片付けておいてくれ」

「それとは」

「手にしている、アイギスの楯じゃ。この場所には、お主を狙うものはおるまい。楯はしまっておいてよいぞ」

 いくら平常心であろうとしても、感情が高ぶっていたアテネは、いつもなら壁に立てかけておく愛用の楯を、戦闘時のように構えていたのだった。

”これは、わたしの心そのものだ”

 努めて焦らず、魔物メドゥーサの顔がはめ込まれた楯を腕から外したアテネは、ふとそう思った。

 髪の毛の代わりに生きた蛇が生え、見た人間を石に変えてしまうゴーゴン三姉妹の末妹・メドゥーサの首は、かっと目を見開き、醜いことこの上なかった。

 だが、アテネは、そんな自分を恥じることがなかった。悪いのは、自分を選ばないパリスなのだ。

 2番目など、冗談ではない。

 女神の肩にとまったフクロウは、オリンポスの光の中で目を閉じ、眠っているように見えた。

 フクロウもゼウスと同じように、”女”の怒りには構わず、そっとしておくに限ると思っているようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2番目 テキスト工房 @chukin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る