フランケンの怪物と聖人
あわい しき
リビングデッド
「あんたってどこまで馬鹿なわけ」
微かに緑がかっているようにも見えるその冷たい表面を一針一針丁寧に縫うなんていう作業に集中しながらも、口から出ていたのはそんな言葉だった。別に裁縫が得意なわけではないし、何だったらこういった作業は苦手の部類だというのに僕はどうしてこんなことをしているのだろうか。
損傷箇所から目をそらすと変に縫うような気がしたので、奴の顔は敢えて見ないがどうせ大して表情も変わっていないだろう。
「ただぶつけただけだ」
ごく自然に他の人と変わらずそう言った男に少しだけ殺意が沸く。その"ただ"のためにこんな作業をしている僕の気持ちはどうなるというのか。
「もう少し気を付けて歩けよ」
「ああ」
「あんたの体普通とはただでさえ違うんだからさ」
「ああ」
帰ってくる言葉はそれだけ。なんだ、"ああ"って。もっと言う言葉があるだろうに。
真剣に縫っているのに手元が狂ってしまいそうだ。何だったら刺してやろうか。
どうせ、痛くないだろうけど。
そんなことを一瞬考えたが、大人にならなければと考えを改める。いつまでもこんなことに怒ったってしょうがない。もう少し、流せるようにならなければ。
「だが、損傷しても問題はないだろう」
「は?」
何を言っているんだこいつは。ようやく縫い終わりが見えたというのに手が止まる。
「お前が縫ってくれるからな」
さらっとこの馬鹿はとんでもないことを言いやがる。収まりかけていた怒りは一気に沸点を飛び越えた。
「僕はお前のお母さんじゃねぇんだよ!!!!」
「みどりのおにいちゃんどうしたの、これ」
孤児院の子供が俺の右手を覗き込みながらそう言った。
「ああ、不注意でぶつけて怪我をしたんだ」
すると子供は泣きそうな顔になりながらその小さな手でその縫い目に触れた。
「いたいのいたいのとんでけ」
子供は俺の手を何度も撫でながらそう必死そうに言った。満足したのか俺の手から手を離すと満面の笑みで俺を見上げる。
「いたいのなくなった?」
「…ああ、もう大丈夫だ。ありがとう」
俺がそう言って頭を撫でると、子供は喜んでどこかへ走り去ってしまった。予測不能な行動に少しばかり苦笑してしまう。
改めて縫い目を見る。随分と丁寧に縫い合わされたそこは、子供の呪文がなくても正直痛みなど感じなかった。痛みを感じないからこそZに言われるまで気づかなかったのだ。
そういえばとZのことを思い出す。随分と怒っていたが、なぜあれほど怒っていたのか俺には理解ができない。
任務中に怪我をするなんてことはしょっちゅうだというのに、なぜ今回はあそこまで怒ったのだろうか。
「マリアを怒らせたそうね」
聞きなれた声に顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべたグランマがいつの間にかそこにいた。
初めて会ったときから変わっていないグランマ、60歳を超えるはずだが体力的にも衰えを感じさせない。
大人嫌いのZが心を許す数少ない人の一人でもある。
「Zはまだ怒って?」
「まさか」
ふふふと笑いながらグランマは否定すると俺の横に腰かける。
「私とお話をしたら満足したみたいだわ」
グランマが言うのならきっと顔を合わせた瞬間にキレられるということはないだろう。
「でも、そうね。マリアほどじゃないにしても私も怒ったかもしれないわ」
神妙な面持ちで語るグランマはいつになく真面目に見えた。
「怪我をするなんてしょっちゅうだ」
「そうね。財団の仕事を請け負う以上はそれは仕方がないことね。子供たちが傷つくのは悲しいけれど、生きていくためだもの」
俺の場合は別に生きていくために財団の仕事をしているわけではないが、突っ込んだところで無意味だろう。何も言わずにグランマの言葉を待った。
「でも、怪我をすることと、怪我をするのが当たり前になることは話が違うでしょう?」
「怪我をすることと怪我をするのが当たり前になる、こと?」
「そう。明確に区別するような言葉は私には思いつかないけれど・・・。そうね、貴方は避けるべき怪我を避けずに、体に傷がつくことが日常になっているような気がするのよ」
そう言われ、考える。心当たりがないとは言えなかった。この体になって最初のころは普通の人間と同じように過ごそうと、無駄な怪我は避けてきた。それはいつか日常になり、意識しなくても怪我をすることはなかった。
だが、最近はどうだろうか。傷つくことが当たり前になって体に傷がついても気にしなくなっていたかもしれない。日常生活でも無用に怪我をしていた気さえする。
「別にね。無理に普通の人と同じようにしろとは言わないわ。でもね。怪我をしてそれを治す人がいて、そんな様子を心配している人がいるっていうのは理解してね」
つまり、心配しているのはZということか。
「半年前に貴方達が受けた調査からそういう様子が増えてきてるって、マリア言ってたわ」
半年前と言えばあの屋敷での調査を行った頃だ。
「貴方の体は普通と違うんだから、"治すのにだっていつ限界が来るか分かんないっていうのに何を考えてるんですかあの馬鹿は!"ですって」
グランマはZそっくりの口調でそういうといつもの穏やかな笑みを浮かべる。そして「あのマリアが私の前で怒るなんて珍しいものをみたわ」と思い出しようにくすくすと笑いだす。
「あとは、そう。マリアもそうだけれど、貴方が思っている以上にみんな貴方のことに敏感になってるっていうのも知っておくべきよ」
グランマはそういうとじゃあまたあとでね、と言ってすぐにいなくなってしまった。
俺はもう一度縫い目を見つめる。よく見れば少しだけ歪に見えるそれは、不器用なZが時間をかけてやったものだと改めて理解できた。
「あ、みどりにいちゃん」
「にいちゃーん」
「おにいちゃん!」
広場に行くと俺を見つけた子供たちがそう言いながら、俺に駆け寄ってくる。子供たちの集団はあっという間に俺を囲った。
「手、大丈夫?」
子供の一人がそう声を掛けてくる。よく見れば他の子供たちも眉をハの字にして俺の顔を見ている。
"貴方が思っている以上にみんな貴方のことに敏感になってるっていうのも知っておくべきよ"
グランマの先ほどの言葉を思い出す。
ふと先ほどまで子供の集団がいた方に目をやると、腕を組んで仁王立ちするZと目が合った。
ああ、そうか・・・。
「大丈夫だ。心配させて悪かった」
言葉はすんなりと出た。子供達がよかったと呟きながら、笑顔を浮かべる。Zを見ると驚いたような顔をしているのが見える。しばらくして呆れたような顔をすると「バーカ」と叫んできた。
いつものくだらない遣り取りで馬鹿と言われることはしょっちゅうだが、この時ばかりは本当にその通りだとその罵倒を受け入れるしかなかった。
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