カントリークエスト

ながやん

第1話「おかえり、大切な人」

 地平をしゅに染め、夏の夕日が落ちる。

 今、夜のとばりが訪れようとしていた。

 街道かいどうで馬車に揺られていた少年は、分かれ道で降りた。振り返ると、乗せてくれた商人に深々と頭を下げる。

 名は、アセット。

 今年で十五になるアセットは、久々に故郷へと帰ってきたのだ。


「ありがとうございました、おじさん。助かりました」

「なに、礼を言うのはこっちの方さ。王都おうとの学生さん、それも王立魔学院アカデミーの秀才さんの話だ、色々聞けて楽しかったよ」

「いえ、まあ……そう言って頂けると嬉しいです」

「こんなご時世だ、学生さんももうすぐ最前線に出るんだろうしな。しっかり親孝行してやんな」

「……ええ、そうしてみるつもりです」


 笑う商人の男がむちを入れると、再び馬車は走り出す。

 その姿を見送って、アセットは小さな溜息ためいきを一つ。


「最前線、か。……言えないよなあ、逃げてきたなんて」


 戦争の影が今、王国を暗く包む。

 見上げる夜空と違って、そこに星々のきらめきはない。そして、一瞬の輝きさえ許されずに人が死んでいる。死に続けている。

 そんな戦争は日々激化し、魔法を学ぶ少年少女たちも選択を迫られていた。

 アセットもまた、そんな日々に悩める一人である。

 それでも、久々の帰省きせいなので気を取り直して歩き出す。

 すでにもう、夜空には大小二つの月が浮かんでいた。街道から山の方へ入って、少し歩けば故郷のアルケー村がある。どこにでもある片田舎かたいなかの、数百人で暮らす顔馴染かおなじみだらけの小さな集落だ。

 暗さに目が慣れ始めた頃、突然アセットは呼び止められた。


「おかえり、アセット! ……やだ、あなたアセットよね? なんか……少し、雰囲気変わった?」


 辺りを見回すも、声のぬしは見当たらない。

 だが、聞き覚えのある少女の声ははずんでいた。

 そして、次の一言でアセットは頭上を見上げる。

 村の入口にある大樹の上に、小さな影がランタンをかかげていた。

 ぼんやりとした光に、あどけない表情が微笑ほほえんでいる。


「やあ、ロレッタ。久しぶりだね」

「そうよ、久しぶりなの。前に会ったのは、もう二年も前だわ。アセット、ちっとも帰ってこないんですもの」

「そうかな」

「そう、よ! っと!」


 ロレッタと呼ばれた少女は、身軽さを見せつけるように降りてくる。

 あっという間に彼女は、アセットの目の前まで駆けてきた。転がるような、せるような軽業かるわざである。そして、月明かりに満面の笑みが輝いていた。

 少し改まって身を正すと、ロレッタは手に持つランタンを近付けてくる。


「やっぱり、少し変わったわ。大人びた、っていうのかしら? うん、悪くないけど……ねえ、アセット。疲れてる?」

「まあね。王都から一昼夜、ずっと荷物と一緒に馬車に揺られてたんだ」

「それはご苦労さま。さ、行きましょう!」


 母に手紙で帰郷ききょうを伝えてあったが、まさか幼馴染おさななじみが出迎えに来てくれるとは思わなかった。そして、アセットもまたロレッタと同じ印象を相手にいだく。

 二年とちょっとで、ロレッタは可憐かれん乙女おとめへと成長していたのだ。

 薄闇の中でも、それがはっきりとわかる。

 長く伸ばした金髪が今、月明かりに波打つかのよう。簡素なシャツとスカートも、中身が変わればちょっとしたドレスみたいだ。


「ねえ、アセット。王都の暮らしはどう?」

「ああ、そうだね……勉強は楽しいよ。毎日が充実してる」

「そう、よかったのだわ。こっちはずっと平和、平凡で退屈……目新しい出来事なんてなにもない。そう、なにもない……なんでもないことなんだけど」


 ふと、ロレッタが立ち止まった。

 彼女はそのまま、振り返る。

 そして、不意にランタンの明かりへ息を吹きかけた。

 灯火ともしびが消えて、互いの表情が見えなくなる。

 声が鮮明さを増して、はっきりとアセットの耳に忍び込んできた。


「あのね、アセット……わたし、今度」

「ロレッタ? なにを」

「ふふ、なんか変なの。でも、言わなきゃ。アセット、わたし――」


 その時だった。

 不意に周囲で、木々の枝葉から鳥たちが一斉に飛び立つ。

 野生の鳥が夜に飛ぶことはまれだ。それが突然、まるでかされるように空へと舞い上がったのだ。その鳴き声に包まれながら、アセットは星空をあおぐ。

 そして、地鳴りのような振動と共に空気が震え出した。

 すぐにそれは轟音となって、煌々こうこうと燃え上がる。

 そう、真っ赤に燃える流星ながれぼしにも似たなにかが、突然頭上を覆ったのだ。


「ロレッタ、こっちに!」

「えっ、なに? ちょっと、なんなのよっ! キャッ!」


 まるで空気が沸騰ふっとうしたようだ。

 真昼みたいに明るくなった中で、アセットはロレッタを草むらへと押し倒す。自分の身をたてに覆いかぶされば、背中がビリビリと震えた。

 なにかが、通り過ぎてゆく。

 隕石いんせきだとしたら、かなり近い。

 驚きながらも、ロレッタは言葉にならない声を口ごもっている。そんな彼女の頭を抱き締め、肩越しにアセットは振り返った。

 そして、思わず目を見張る。


「なっ……あ、あれは!?」


 紅蓮ぐれんの炎をまとったなにかが、夜空をがして飛び去った。

 そこにアセットは、無機質な表情を見たのだ。

 そう、降ってきた星の輝きは、。そればかりか、両腕と両足とがあって、

 いかつくも優美なその姿は、例えるなら甲冑かっちゅうを着込んだ騎士きし。神が与えた正義のよろいか、それとも竜の甲殻と鱗をつむいだ鎧か……酷く神々しいまでに、シンプルながらも華美かび流麗りゅうれいだった。

 その姿は、あっという間に行ってしまった。

 そして、直後に激震が鳴り響いて、突風が襲う。


「アッ、アア、アセット? あ、あの……その、ちょっと」

「今のが落ちたみたいだ。立てる? なにかが村の方に……今の音と振動、近いぞ」


 アセットは身を起こして、ロレッタから離れた。

 かわいそうに、ロレッタは突然のことに怯えてしまっている。顔を赤らめ、わなわなと震えが止まらない様子だった。

 そんな彼女に手を差し出せば、おずおずと握ってくる。

 引っ張り上げて立たせると、アセットは静寂の中に耳をすませた。

 村の方で、騒ぎになってる声と音……それが、吹き渡る夜風に乗って運ばれてくる。


「急ごう、ロレッタ。……君も、見た?」

「ほへ? なっ、なにを」

「いや、いい。とにかく、なにかとんでもないものが降ってきたみたいだね」


 アセットは自然と、ロレッタの手を握ったまま走り出す。

 胸騒ぎがして、不安と同時に興奮が込み上げてくる。彼の中で最近眠っていた好奇心、探究心がむくむくと首をもたげてきていた。

 ロレッタの手は熱くて、戸惑うようにアセットの手を握り返してくるのだった。

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