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  • rainy dayへの応援コメント

     楽しく読ませていただきました。
     率直に言えば、読み終わった直後は「結局何の話だったんだろう?」と首をかしげたのですが、そこを考えてみるのも楽しい作品だと思います。作者である姫川さんに解説めいたことを書くのは釈迦に説法というものですが、僕はこんなふうに読みましたという報告だと思ってお付き合いいただけると幸いです。
     本作を読み解く上でカギになるのは「相対化」だと思います。最初はてっきり青さんの物語だと思って読んでいましたが(この段階でも青さんの表の顔と裏の心情、雨をきっかけとした劇的なまでの場面転換が描かれていますが)、途中でまさかの転回。青さんの世界は相対化され、ほかならぬ莉子さんが青さんを「不幸な自分に酔ってるキモいやつ」と酷評します。これによって青さんの恋心と恋愛観は一蹴されたかに見えますが、本作はそこで終わりません(それで終わるだけなら青さんの世界に莉子さん本人が登場することはなかったでしょう)。莉子さんの恋愛および恋愛観もまた、将也さんの「妹」から客観視(=相対化)されており、さらに、これが姫川さんの創作物だと読者は知っている訳なので、妹を含めた莉子さんたちの世界もまた相対化されるという構造になっています。これによって、虚構である青さんの恋愛観が、創造主とされる莉子さんの「リアルな」恋愛に対して疑問を投げかけるという事態が、読者の頭の中で起こります。リアル(=現実)が虚構を笑うという一方的な関係ではなく、虚構もまたリアルに批判的な視線を向けるという双方向的な関係が、ここで出来上がる訳です。では、虚構(=架空の物語)がリアルに対して持つ意義を説く作品なのかと言えば、そうとも言い切れません。なぜなら、作中で莉子さんが「お話が面白いか(=読者が楽しむか、他人から見て興味深いものであるか)どうかは知らないけれど、書いていて楽しいよ」と言っており、これによって創作物が(読者にとって)意義やメッセージを持つべきという考えも相対化されるからです。そして、物語の大オチ。ここでは青さんの世界と莉子さんの世界の共通項(ある種の連続性)が再度強調される訳ですが、それだけでなく、「最悪だ……」と吐露されるネガティブな感情によって、それまでに高められていた気分が上塗りされ、本作を通して主題であり続けているかに見えた恋愛という価値もまた相対化されてしまいます。
     このように、読み返してみると少ない文字数の中に面白い仕掛けを何重にも施した作品で楽しいです。

     さて、今回も細かい箇所についてお節介をやかせていただきたいと思います。

    「むしろ、わたしにとって買い物は、ウインドーショッピングこそが常にメインディッシュなのだ」
    →「むしろ、私にとって(は、)ウインドーショッピングこそがメインディッシュなのだ」
     修正案では「買い物」と「常に」を削りました。
     原文だと「買い物は」と「ウインドーショッピングこそが」で主語が2つになるので、まずはそれを避けるのが得策だと思います。「買い物」を削るなら、「常に」も削った方がよいことになると思います。
     一応他の案として、「むしろ、私が買い物をするとき、メインディッシュになるのは常にウインドーショッピングの方なのだ」という書き方も考えてみましたが、個人的には、作品全体にとってさほど重要な部分でないのあれば、さらりとした書き方で良いと思います。

    「心地のよい疲労感に浸りながらぼんやりとしていると、すぐに注文していたアップルパイがテーブルにやってきた」
    →(「すぐに」を移動させ)「注文したアップルパイがすぐにテーブルにやってきた」
     後の記述から考えて、「すぐに」という副詞は「やってきた」という動詞に掛かっているでしょうから、その間に「注文していた(→注文した)」という動詞を挟まない形に変えた方が読みやすくなると思います。

    「注文時、焼き上げるのに少し時間がかかると言われたが、そんなに時間は過ぎたのだろうか」
    →「そんなに(時間が)経ったのだろうか」
     ここは我ながら違和感の理由を説明することができないので、修正案に書くのはどうかと思いましたが、一応書いておきます。

    「反対車線側でわたしを待っているタクシーを見ながら、少しだけ、もう少しだけ雨が弱くなるまで待とうを思っていた」
    →「待とうと」

    「このコンビニから駅に行くよりもうんと近いとことにある」
    →「近いところに」

    「口から出かかった言葉を飲む混んで黙りこくる」
    →「飲み込んで」

    「そんな声が突然響いて、わたしを抱き上げられた」
    →「わたしは抱き上げられた」あるいは「誰かがわたしを抱き上げた」

    「今日、コンビニであった可愛らしい女の子は将也の妹だった」
    →「コンビニで会った」
     漢字にした方が意味をとりやすいと思います。

    「そう言って覗き込まれた顔はキッチンの方に消えていった」
    →(「そう言って」を移動させ)「覗き込まれた(あるいは“覗き込んでいた”)顔はそう言ってキッチンの方に消えていった」

    「「莉子さん」/そう読んでからニヤリと笑うと」
    →「そう呼んでから」

    「意を決して、おそるおそる莉子が振り返ると、将也もまったく同じ風に振り返っていていた」
    →「振り返っていた」

    莉子の台詞「(略)なんか雨に降られてから不幸が連続して、ちょっとづつ方向性がズレていって……将也にあった瞬間から完全に不幸な自分に酔ってるキモいやつを書こうとしてた」
    →「ちょっとずつ」。また、「将也に会った瞬間から」あるいは「将也に会った場面以降は」
     「完全に」は、会話文ですし、たしかにこういう言い方をすることもあるので大丈夫だとは思うのですが、文法的なことを考えるとどこに掛かっているのか少し捉えにくい気もするので、削っても良いかと思います。

     長文失礼しました。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます!
     返信遅れてしまって申し訳ありません。

     こんなに深く読み込んでもらって、とっても嬉しいです。釈迦に説法どころか、私の方が目からうろこって感じで若干恥ずかしいです。(笑)
     お話の解釈についてですが、それを読み込むところを楽しんでいただけたのなら、私が内容について言うのは無粋でしょう……と、かっこつけるわけではなく(もちろんそういうスタンスでありたいと思っているわけですが、それは有名な人や読者がいっぱいいる人にのみ言う資格が与えられるセリフであります。それゆえ、ただ一般人の私は普通にお話します)、単純に私自身も理解できていないので解説ができません。正直なところ私自身もよく読み返しては小首をかしげています。
     がっかりされるかもしれませんが、はっきりといって、私はこのお話に何か意味を込めたわけではありません。意図を持って書いた記憶もございません。どこがおもしろいのかもよくわかりません。読み解くこともできません。
     当時雨が降っていたので、雨に関するお話がぱっと浮かび、それを書きなぐった上で少し時間をかけながら推敲しただけの作品です。ですから、あじさいさんの解釈を読んで、すごく驚きましたし、今すぐあじさいさんのコメントを消して、あたかも自分がそういう意図で書きましたって感じを出そうかと思ったぐらいです! 冗談ですけど。
     そんな風に書くとまるで私がこの作品に対して愛がないように見えるかもしれませんが、実は全く真逆で、(自分で言うのもなんですが)個人的にはすごく好きです。「よく読み返していること」からも自覚できます。これを投稿した際の近況ノートを見ればわかると思うのですが、私はこのお話を完全に趣味で書きました。というか、今その当時の近況ノートを見てみると「話のめちゃくちゃ具合を楽しんでほしい」と書いてあるので、その意味ではあじさいさんには狙い通りの楽しみ方を提供できたのではと、小さくガッツポーズをしてしまいました。
     話を戻します。趣味全開というのは、つまり、お話の面白さとか、オチとか、そういうのを全部無視して、自分の好きなように書くことができたということです。私はカクヨムさんに投稿していないものも含めると、結構多くの駄作を生んでいるのですが、その中でもトップ5に入るぐらい、書いていて楽しかった作品です。

     結局何が言いたいかと申しますと、このお話で私が一番言いたかったのは、

    「はあ……相変わらずよくわからん創作をしているな。それは面白いのか?」
    「別に。お話が面白いかどうかは知らないけれど、書いていて楽しいよ」

     こういうことなのかもしれません。まあ後付け感が凄まじいですけれどね。(笑)

     それにしても私誤字が多いですね。読んでいただいているのにすみません。
     いつもありがとうございます。また読んでください!!