第15話 追われるもの

 俺はまだスラムの中にいた。目的は果たしたが先ほど入ってきた入口以外にここから出るにはかなりの距離を歩かなくてはならないからだ。建物を飛び越えるという手も考えたがここで目立つ行動はしない方がよいだろう。あの建物の近くと違い今俺が歩いている区画では浮浪者が所々に見受けられる。このようなものたちは情報を売って金を得ている者も少なくない。自分からネタを提供するような行動は慎んだのが賢明だ。


 俺は周りを警戒しつつも少しずつ歩く速度を速めてく。さらにスラムの奥に進んでいくとまた人の数は減っていく、<蠍>の拠点の近くとも違い完全に人の気配というもの自体がほとんどない。それもそのはずだ。ここには息をするのも苦しいほどの腐臭が漂っている。おそらく野垂れ死んだスラムの人間を集めたごみ捨て場のようなものがこの近くにあるのだろう。俺は軽く舌打ちをし、さらに足早でこの場を離れようとする。


 しかし、その時出口に通じる道の方から大勢の灰音が聞こえてくる。咄嗟に近くの路地に身を潜め様子をうかがう。すると視界の先に一人の女とそれを追いかけているゆったりとした黒い外套を纏った一団が映る。黒服の一団は顔にも目の位置以外黒い布を巻いており人相さえうかがえない。場所と格好からして<蠍>の人間の可能性が高いのだろうがトレードマークの蠍の紋様が見えないことには確定はできない。女の方は外套は羽織っているもののフードから覗く艶やかな黒髪と腰に携えた業物の短剣からも見受けられるようにスラムの住人ではないだろう。


(もう少し観察するか)


 俺は足音を殺しながら近くの建物の屋根に飛びあがりひっそりと後をつけていく。黒い一団は合計で八名ほどいるようだ。その誰もが中々の速さでこのままいくと追われている女は一分も経たないうちに捕まるだろう。追い打ちとばかりに一団は二名ほどが脇道に逸れ先回りしていく。すると予想通りに女の逃げ道は塞がれる。じりじりと距離を詰められ完全に袋のネズミ状態だ。だが、彼女は運がいい。この状況なら助けるほかないからだ。


 俺は万が一にも顔が見られないようにフードを目深にかぶると二人の追手の背後に回るために素早く屋根を駆ける。女に凶刃の手にかかるその瞬間に俺は屋根から飛び降り一人の首を斬り飛ばす。突然の乱入者にぎょっとした一瞬でもう一人の足を払い剣で肩を突き刺し地面に縫い付ける。


 距離を取ろうとする残りの六人に向けて蒼い炎を放つ。彼女を炎に巻き込んでも燃やすことはないが混乱されては面倒なことになる。だから俺は女に当たらないように炎を少し曲げる。黒い一団のうち四人は蒼い炎に呑まれ悲鳴も上げる間もなく塵と化した。だが、残りの二人は素早い身のこなしで躱し、一瞬で建物の屋根まで駆け上がる。


 俺は予想以上の身のこなし思わず舌打ちが出る。相手を侮っていたこともあるが女を避けて炎を放ったことで生まれた一瞬の遅れが奴らを逃した要因だ。こんなことなら見知らぬ女に気を使わなければよかった。今更後悔しても遅いがそんな感情が頭を過る。俺は大きく息を吐き、心を落ち着け戦闘態勢を整える。だが、黒い一団の残党は一目散に逃げていく。しかも、二人がそれぞれ違う方向に移動していく。


(これでは追うのは無理だな)


 俺は追うのは諦め、足元に転がっている男から剣を引き抜く。尋問しようかと男を仰向けに転がすと光の失われた瞳が目に入った。俺は大きくため息をつき男の外套と顔の布だけ燃やす。思った通り男の左肩には蠍の紋様が刻まれていた。


 これが分かっただけでも良しとしよう。俺は気持ちを切り替えへたり込んだ女に近づいていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る