第2話 勇者と聖女

俺は教主の部屋を後にし救世機関の本部に併設された宿泊棟へと向かった。その棟には勇者や聖女の居住区画だけでなく機関に所属する様々な人間も暮らしている。ここで暮らす義務というものはないが元々この機関に所属している人間というのは救世機関が運営する孤児院出身の者が多いため約八割の所属人員が機関内で生活をしている。


 俺は螺旋階段を上り、全八階に及ぶ建物の七階まで上がる。そして、自室まで淡々と歩いていく。扉の錠を開けようと腰の袋から鍵を取り出そうとするが扉が若干空いているのが目に入った。ため息をつきながら扉に近づき部屋の中を見ると陽光のように輝く金髪を携え、宝石のような青い瞳を持つ少女が優雅に紅茶を飲んでいた。


「おかえりなさい、シン。勝手に紅茶を頂いてるわ」


 少女はさもこの部屋にいるのが当然と言ったような様子で俺の帰りを出迎えた。俺は諦めたような瞳を少女に向ける。


「アリエス、いつも言ってるが勝手に部屋に入るのはやめろ。君は聖女であり現教主の娘だろ。もっと慎みを持った方がいいと思うぞ」


「別にいいじゃない。今はあなたしか見てないんだから」


 アリエスは小言を気にしていないかのように優雅に足を組み替え、俺の方へ流し目を向ける。


「ここは俺の私室だがその前に機関の内部だってことを忘れるなよ。機関の人的選定は完璧に違いが獅子身中の虫がいないとも限らないぞ」


 少女は飲み終えたカップを静かに置き、俺に分かるように大げさなため息をつく。


「あなたは神経質すぎよ。そんなわずかな可能性も気にしていたらストレスで禿げるわよ」


 少女は意地の悪い笑みを浮かべる。俺は諦めたのか何も言わずに上着やマントを脱ぎ、片付け始める。


「それに私の<力>は知っているでしょう?早々不遜な輩の侵入は許さないわ」


 そう言って左手の甲に刻まれた独特な幾何学模様の紋様を見せつける。この痣のようなものは<聖者>と呼ばれる特殊な能力を持つ者の証である。


 この世界の人間には稀に生まれつき体のどこかに紋様を宿す子が生まれる。その子はすべての生物に流れる<神力>というエネルギーを使い、超常の力を行使する。そのため聖者はどこの国でも重宝される存在であり、管理される存在でもある。良くも悪くも強い力というのは世を乱す引き金になりかねないというのは理解できるが管理される当人になると何とも微妙な気分になるものである。そんなふうに俺が物思いにふけっているとアリエスがそっと近づき右手を握る。


「今更何くだらないこと考えてるのよ。あなたはもうその運命を受け入れているでしょう。そうでないなら<勇者>なんて管理される筆頭のようなものにはならないはずでしょ」


 アリエスは呆れ混じりに断言する。それもそうだ。彼女に対して隠し事などできないのだから。彼女の力を使えば人の心や記憶を読むことは容易い。わずかでも相手に接触すれば相手の脳を解剖するかの如くすべてを知ることが可能だ。まあ、彼女の力はそれだけではないが。


 俺は触れられた手を軽く振り払い半眼で少女を見ながらため息をつく。


「くだらないことで心を読むなよ」


「別にいいじゃない。今更私たちの間に隠し事なんてないでしょう?それにあなたにとって私たちは一心同体のようなものじゃない」


「まあそうだが……」


「それならこの話はもうおしまい」


 アリエスはそう言って両の手を打ち付けパンと音を鳴らす。それを横目で見ながら俺は無言で着替えを続ける。その様子に少しは気を使ったのかソファーに座り直し着替えが終わるのをおとなしく待っている。正装から旅人のような様相に着替え、少女の向かいに座る。


「それでアリエスは何で俺の部屋にいるんだ?また君の護衛しろって話か?」


「そのとおりよ。流石、わかってるわね」


 アリエスは満足そうな笑みを俺に向ける。俺は対称的に苦い表情を浮かべ嘆息する。


「何度もこのパターンを経験すれば学習くらいするだろ。だが、あまりその特権を使いすぎるのもよくないと思うぞ。君の身に万が一があっては不味いからな」


 聖女の中でもアリエスにはどの国にでも通用する独自の権限が与えられており、彼女が罪人だと断定した人間は問答無用でこの機関での裁判を受けなくてはならなくなる。そして、この機関には神が作り出したと言われる特別な道具である<神器>がありその力を用いればその人間が犯した罪をまるで天秤で質量を量るように誰の目にも明らかにできるのだ。


 彼女の能力で犯人を特定し、神器の力で犯行を明らかにする。この絶対的な正当性を持つからこそ機関は司法的な信頼を得ているのである。だからこそ、現状彼女を失うことはこの機関にとっては大きな損失となりえる。だからこそ俺はアリエスに警告を発する。


「大丈夫よ。そのためにあなたを連れていくんだから」


「……そうか」


 彼女のその言葉に俺は思わず顔をそらし、相槌を返すことしかできなかった。俺の意思よりも彼女の意思が尊重されるのは当たり前だからだ。俺はそっぽを向いたまま話題を変える。 


「それで何処に何のために行くんだ?」


 その様子に思わずアリエスはくすりと笑みを浮かべたが俺は無駄に刺激しないように素早く返答した。


「行く場所はアルカン王国の都市メルリア。目的は最近起きた村の住人が突然魔物化した事件を調査するためよ」


 魔物化という言葉を聞き、俺は動く死体となっていた村の住人たちを思い出す。その容貌が<亡者>と呼ばれる人間の死体を媒介する魔物にそっくりであったからだ。


 元々亡者は墓地や戦場跡等の大量の死体がある場所でしか発生しない。だからこそ今回の件は異常な事件の類だと言えるだろう。


「それって俺がさっき行ってきた村のことだろう?それの調査を俺が以外の人間がするのは知っていたが何故メルリアに行くんだ?何の関係があるんだ?」


「匿名の密告があったの。メルリアの領主がその村に出入りしているって。だから、確かめに行くのよ。それ以外特に目ぼしい情報もないし」


「なるほど、理解した。それじゃあ俺は剣の手入れでもしておくか」


 そう言って俺は部屋の隅に立てかけられていた予備の剣と砥石を取りに行こうとするが呼び止められる。


「そんな暇はないわ。もう馬車を手配してしまったもの」


 少女は悪びれもなく青年に告げる。俺は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべながら剣を拾い、アリエスに苦言を呈する。


「俺は任務が終わって帰ってきたばかりなんだが……」


 アリエスはその言に答えることはなく唯々笑顔を浮かべているだけだった。その様子に俺は黙って腰のベルトに剣を固定し出かける準備を済ませる。アリエスは満足そうに首肯し、手元に残っていた紅茶を飲み干した。


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