酉乃実咲の日常
第2話 メイドさん
七月二十一日
「暑い」
今日は夏休み初日だ。
俺はエアコンのリモコンを手に取る。
「涼しいー」
最高の気分だ。
外で社会人が働いているのが見える。
それにしても、涼しい部屋でアイスを食いながら好きなサッカーチームを応援するというのは最高だな。
「やはり学生は最高だ」
うんうん幸せだ。だが一つ言わせて欲しい。
「ご主人様ぁー暑いですぅ。私にもアイスくださーい!」
パクッ!
「おいしー」
こいつだ。全ての元凶であるこのメイド。つい先日家に来て、ひょんなことから俺の専属メイドになってしまった。
使えるメイドならいいのだが、いかんせんコイツは言っちゃ悪いがドジっ子だ。
それに加えて大食い、昼寝好きと面倒臭い属性を持っている。
ほらこんなふうにアイスをぺろっと、全部食べて……
「嘘だろ……。俺のアイスが……一つ300円もするアイスが……」
なんだろう? もう追い出していいんじゃね?
「ご主人様! アイス美味しかったです!」
「そうかそうか、それは良かったよ! ……なんて言うわけねぇぇぇだろぉぉぉぉ!俺のアイス返せぇぇぇぇぇぇ!」
あの日、もっと詳しく言うと、今から24時間と4時間前のあの日、あのセリフを言ってしまったせいで、俺の日常は——ぶち壊された。
七月二十日
紺色の髪と瞳の背が低いメイド。
そのメイドに用がある。
「あの、少し向こうを向いてくれませんか。今から着替えるので」
忘れそうになっていたが、俺は着替えに家に帰ってきたのだ。
それにしても、今きっかり8時30分になった。俺の学校は8時30分に始まる。
とどのつまり、遅刻だ。
(皆勤賞を逃してしまった。これも全て、コイツのせいだ)
まあいいか、着替えよう。
「……あの、今から着替えるので向こう向いてもえますか?」
「いやです!」
「変態だ……」
なんなんだコイツ? 勝手に押しかけてきて、迷惑かけてきて……さらには変態ときた。
……俺の人生にこんな場面があるとは。昔の俺が聞くと驚くだろうな。
「……あの?着替えないのですか?」
「……だから、あんたがいるから着替えれないんだよ」
「ほうほう。それは、どうぞお気になさらず」
(……いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや!!)
「おかしいだろ! 本当に変態なのか!?」
(……なんだ? 少女の様子が急におかしくなった)
少女は俯き、雫を垂らした。
「うぐっ……だってしょうがないじゃないですか……私、あなたと主従関係にならないとお仕置きが……うぐっ!!」
少女は自分の顔を服で拭く。
「……それにしても変態はひどいですよ!! 生まれて初めてそんなこと言われました!! 絶対にぜーたいに! 私を無碍に扱わないでくださいよ!」
「だから! ……もういい、学校に行く」
俺は居候を許可した覚えはない!!
だが、その反論は無意味だと悟った。コイツは何が何でも居候する気なのだ。
仕方がないので、俺は少女を道に捨てると決めた。
俺は少女を捕まえて玄関に連れて行こうとした。だが、少女は実咲の腕を払い除け、実咲を下にして馬乗りをしたのだった。
「……いやです——いやですぅーッ!! いやなんですぅぅぅぅぅ!! 私を雇ってくださいーッ!!」
少女は実咲をポコポコと優しく叩いた。
「だから!」
(クッ!! なんなんだよコイツ! 力強すぎだろ……、振り解けない!!)
というか……コイツ、足で締め付け過ぎじゃね……?
「あぁぁぁぁあ!! 痛い痛い痛い!」
尋常じゃない痛みが実咲の腹部を襲う。
「あ、ごめんなさい!
少女はそう言ったにも関わらず足の筋肉を緩めようとしない。
「あぁぁぁぁあ!!!! 分かった! 分かったから!! お前を雇ってやるから!! だからもう許してくれ!」
「ほんとですか?」
「本当! ほんとだから!」
「やった! やったー」
少女は実咲から離れ、スキップを始めた。
(痛かった……今もまだ痛い。だが、これでやっと呪縛から解放される……)
今にも天に上りそうな気分だ。
俺は少女を一瞥する。
見れば見るほど華奢な少女にしか見えない。一体あれのどこにそんなパワーが隠されているのだろうか……。人の本質は見た目では分からないということか。
「……あっそうだ!! 私としたことが、ご主人様の名前聞き忘れてました。よろしければ教えていただきませんか?」
おしとやかな笑顔だ。ずっとこうしていればいいのに。
だが、俺は騙されない。コイツはトラブルメーカーだ、本名は言えない。
「俺は……」
(さてなんと言おうか……アダム、トワイライト、カタストロフィ、サクリファイス……どうも偽名に聞こえるなぁ……あ、そうだ)
「俺の名前はたまごだ! じゃ行ってきます」
「はい! いってらっしゃいませたまご様!」
俺はあの瞬間、朝ごはんに食べた卵焼きを思い出していた。
……平凡で、ありふれた通学路を俺は歩む。
つい先程の出来事が懐かしく思う。
しかし、アイツを家に入れたままでいいのだろうか?
いや、ダメか。
「でも、金目の物は置いてないし。うーん……おっ!」
俺は懐かしい犬を見つけた。
「ワンワンワーン」
(ふっ! 二度は食らわんぞ)
「運動は得意なんだ!」
嘘である。
「ワンワーン」
「どわ!……て、お前意外と足速いんだな」
追いかける時よりも追いかけられている時の方が早く見える。
詳しくはないが、心理的な何かなのは間違いないだろう。
(……ん? なんだそのポーズ?)
犬は脚を広げて股をこちらに向けている。
……まさか、これは、俗に言うオシッコと言うやつなのではぁ!?
「やめっ——」
「こら! ポチ、そんなことしちゃダメだって言ったよね!」
俺は、少しの間目を奪われていた。突然現れたポチの飼い主であろう少女の容姿に魅せられていたのだ。
長いリンゴ色の髪に餅のように白く柔らかそうな頬、深い白のワンピースを着た女の子だった。
「あの、すいません! この子ったら目を離すといつもこうで……本当にすいませんでした!」
「えっそんなに頭を下げなくても大丈夫ですよ!」
実咲はあからさまに緊張していた。
「本当ですか?」
「本当です!!」
「それはよかったです!」
リンゴ髪の女は胸をそっと撫で下ろした。
「……あの、突然すいません。先程から気になっていたのですがその制服は
俺は相槌を打つ。
「やっぱりそうなんだ……。あの、これも何かの縁だと思うんです!! 名前教えてくれませんか?」
「……は、はい。俺は
「とりのみさき……」
「『とり』は西に似た方のとりで、『の』は
「珍しい名前……。あ! 私の名前は
話の途中でどこかへ行ってしまった。動物を飼っていると大変だな。
しかし……上本星奈か……。
まったく、今日はおかしな事が沢山起こる。まだまだ続くのだろうか?
だが、普通の生活を送ってきた俺にはもうお腹いっぱいだ。
(これ以上何も起きない事を願う)
俺は切実な願いを心の内に封じ込め、通学路を歩いた。
因み、俺が今歩いている通学路は小学校へ続く通学路である。俺は今、駅へ向かっているのだ。なので学校は、まだまだ遠くである。
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