第二部

百瀬朱里(ももせ・じゅり)

朱里じゅりちゃん、好きな男の子いるの?」


 それは朱里の覚えている、〝父〟の最初の言葉だった。まだ初恋も経験していない内に、知らないオジサンから「好きな男の子いる?」と尋ねられたら引いてしまう。

 そしてそれは朱里に〝父〟を忌避させる決定打となった。幼少の頃から父親なしで育った朱里にとって、〝父〟は得体の知れない生き物であった。小心翼翼のくせに、弱い人の前ではやたらと威張り散らした。バカのくせに教養をひけらかしたり、知り合いの有名人を自慢したり……

 多感な年頃の朱里にとって、それらは全て吐き気を催すほど忌まわしく、耐え難かった。


 だが、そんな〝父〟の忌まわしきさがは、どの男性にも多かれ少なかれ宿っているものだと悟った。それで思春期を迎えても、朱里は異性に恋することはなかった。

 その代わりに、特定の女子に憧れの気持ちを持つようになった。中二の時、同じクラスにいたももちゃんもその一人だった。無口で人付き合いの苦手な朱里にとって、明るく社交的なももちゃんはまさに憧れの対象だった。その感情は、友情と呼ぶには熱く甘美だった。しかし朱里は卒業するまでももちゃんと仲良くすることは出来なかった。

 高校生になると、木本咲きもとさきというクラスメイトに慕情を抱いた。それは〝ももちゃん〟よりもはるかに強いものだった。仲良くなりたいけど、なかなか話しかけられない。そんなジレンマに苛まれていたが、ある日咲の方から話しかけて来た。それはなんでもない、他愛のない会話であったが、朱里は彼女との対話に胸をときめかせた。

 咲と親しく話せるようになった頃、朱里は自分のことについても話し始めた。

「私、子供の頃から引っ込み思案で……でも本当は咲ちゃんみたいに明るくなりたかったの」

 すると咲はフフッと微笑んだ。

「実は私、もともと陰キャだったの。朱里ちゃんを最初に見た時、昔の自分みたいって思ったわ」

「ええ? じゃあ、どうしてそんなに明るい性格に変われたの?」

 すると咲は朱里を物陰に誘い入れた。そしてポケットから、何かの錠剤を取り出した。それはおしゃれでかわいらしく、見るからに明るくなれそうだった。

「性格が明るくなる魔法のサプリよ。一つあげるから、試してみて」

 朱里は内心眉唾っぽいと思ったが、断って咲の機嫌を損ねたくもない。騙されたつもりで一粒口にしてみた。

 すると、しばらくして視野が広がるような感覚になった。そして教室に入ってみると、それまでクラスメイトに感じていた恐怖が嘘のように払拭されていた。色々な人に気軽に話しかけた。すると相手も気軽に返してくる。これが社交的ということ? これまで経験しなかった世界が開けた。


「あのサプリ、本当にすごいね! なんて言うサプリなの? どこで買えるの?」

 嬉々とする朱里を、咲はたしなめるように小声で言った。

「あのサプリのことは誰にも内緒よ。欲しかったら、一粒五千円で売ってあげる」

 五千円……それは高校生の小遣いで買うにはあまりにも高額だった。しかしそれで明るい高校生活が送れるなら、と朱里は咲から〝サプリ〟を買うためにバイトを始めた。

 朱里もそれが違法な薬物であることに薄々気がついた。しかし、大好きな咲と秘密を共有しているようで、それが楽しくもあった。


 そうしてしばらくそんなことを続けていたが、朱里のバイトの稼ぎでは足りなくなって来た。すると咲は、ディーラーから直接仕入れることを勧めた。

「安く買えるところ教えてあげるわ。だけど気をつけてね」


 朱里は教わった通りにやってみたが、色々と面倒だった。咲がピンハネしていることには気づいていたが、手数料として妥当だったと朱里は思う。

 SNSでディーラーが指定した時間と場所に来てみたが、三十分以上も待たされた。そして痺れが切れる頃になって花束を持った若い男性が近づいて来た。そして朱里を見ると、花束をそっと渡した。

「どうぞ」

 朱里はその花束を受け取った。

 だが次の瞬間、何者かが朱里の手からそれを奪った。振り返ると、スーツを着た男が花束を引き裂き、中から錠剤を取り出した。


「これ、MDMAだよね。麻薬取締法違反の現行犯で逮捕します」

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