巨魚
御供が教誨師を辞めたとの知らせを受けて、北川は御供に飲みに行かないかと誘ってきた。ただし、以前に行ったような洒落たカクテルバーではなく、いかにも庶民的な大衆酒場だった。御供はノンアルコールビールを頼み、北川は生ビールを中ジョッキで頼んだ。ところが北川は乾杯するなり一気に飲み干した。
「すごい飲みっぷりだね。お酒強いの?」
「まあな。俺はこうやって豪快にビールを喉に流し込むのが好きでね、本当はカクテルをチビチビやるのは性に合っていないんだ」
「酒に酔えば、憂鬱な気持ちも吹っ飛ぶのかな」
「それは人によるな。馬鹿みたいにハッピーになる奴もいれば、ますます憂鬱になる奴だっている。いずれ飲み過ぎれば、あとで頭痛と吐き気の地獄が待っているけどな」
御供は聞きながら周りを見渡す。確かに楽しそうに飲んでいる者もいれば、青ざめた顔でつまらなそうに飲んでいる者もいる。
「なんだか、浜本さんから解放されたはずなのに、憂鬱なんだよね。神の命令に逆らってニネベから逃げたヨナみたいに、巨大な魚に飲み込まれている感じだよ。得体の知れない不安がいつも付き纏うんだ。何をしてもしなくても天罰が下るような……」
「……よくわかんないけどさ、あんまり深刻に考えない方がいいんじゃないの。無駄に悩み苦しんだところで見返りなんかねえぞ」
北川は自分のジョッキを御供の前に置いた。御供はそれを口にしてみた。一口だけだが、アルコールで頭がクラクラとなった。
「やっぱ、やめとく」
御供はジョッキを北川に押し返した。
*
御供が一人暮らしのアパートに帰ると、電話が鳴った。
「もしもし……」
「もしもし御供君? 荒川だけど……」
声で分かった。忘れもしない、中学時代に御供をいじめていた荒川竜二だ。
「ああ、久しぶり……」
つい、声がくぐもる。声を聞くだけで色々と嫌なことを思い出してしまう。こんな夜中に一体何の用だと言うのだろう。妙にしおらしいが、まさか、過去の謝罪をするわけでもあるまい。
「御供君、牧師になったんだって?」
「牧師って言うか、見習いみたいなものだけど」
自分のことをあまり知られたくはなかったが、教会の機関紙をそこらじゅうに配布しているから、御供が教職者であることは知られても不思議はない。
「そう、見習いでも牧師だったら、やはり人間関係って大切だよね」
「まあ、そうかな」
「実は俺の所属する団体が『人を動かす』セミナーを開催することになってさ、御供君もよかったら来ないかなと思って……今度の金曜日の夜7時、予定空いている?」
「うん、まあ特にないけど」
「じゃあ是非来てよ。詳細教えるから、メルアド教えてもらえるかな」
そうやって口車に乗って御供は金曜日のセミナーに参加する約束をさせられてしまった。昔より言葉は丁寧だが、グイグイと圧をかけてくる感じは相変わらずだ。
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