第85話 ダンスの練習

 王都の雪が溶け始める頃、冬休みも終わり王立学園の新学期が始まる。

 俺達は初等部最年長の十一歳になった。来年はこのままエスカレーター式に次の学年に上がり、中等部一年生になる。

 ガーネット公爵領から戻った俺達は、クリスティアナ様の両親への挨拶も兼ねて、王城を訪ねていた。

「久しぶりね、クリスティアナ。元気そうで何よりだわ。あら、また胸が大きくなったのかしら?」

「ちょっと、お母様!」

 クリスティアナ様のお母様こと、第二王妃様のセクハラ発言から始まった会話は、国王陛下の、冬の間クリスティアナ様の顔を見られなかったこと、への愚痴などが続いた。段々と殺気が漂って来た国王陛下に、王妃様が話題を変えた。

「そうそう、言い忘れないように先に言っておきたいのですが、来年からはクリスティアナも十二歳になるので、王族として公務について貰わなければなりません」

 ここで一旦言葉を区切った。クリスティアナ様は将来俺と結婚することになっているのだが、それまでは当然、王族の一員である。とても面倒くさそうな公務にも出席しなければならないのだ。

「しばらくの間は他国の重鎮の方や、国中の有力貴族への顔合わせが主な公務になると思いますが、クリスティアナにはそれらの主宰するパーティーに出席して貰いたいのです」

「分かりましたわ、お母様。王族として、シリウス様と共に立派に公務をこなして見せますわ」

 え、俺も? 薄々そうなりそうな気がしていたけど、やっぱりなの? 王妃様を見ると、こちらを見てニッコリと微笑んだ。やっぱりそうなのね。

「クリスティアナならそう言ってくれると思ったわ。そこで、二人にお願いがあるのよ。初等部の授業科目でダンスの科目を選択してもらえないかしら?」

 初等部最後の学年の授業は、その一部が選択制になっている。これまでの二年間で習った授業の中で、気に入った授業を選択し更に追及するもよし、新しいものに挑戦するのもよし、敢えて選択せずにクラブ活動に注力してもよしと、自分で選べるようになっている。

 これは自分で選択することに責任を持つための練習の一環という側面もあるようだ。

「分かりましたわ、お母様。シリウス様もよろしいですわよね?」

「もちろんですよ。クリスティアナ様と一緒にダンスを踊ることができる日を、どれだけ待ち望んでいたことか」

 そうでなければ、面倒な公務などごめんである。

 ギリッと音がしたのは国王陛下の方向からだ。俺は敢えてそちらを向かないように心掛けた。あれに目を合わせるとまずい。

「それでは決まりですね。そうだわ、早速今日からステップの練習をしてみてはどうかしら? ここに先生がいますからね」

 そう言って王妃様は自分の胸をトンと叩いた。

 なるほど、社交界随一の実力者なら大丈夫だろう。折角なのでありがたく授業を受けることにした。

 国王陛下は仕事でついてくることはできないはずなので、一石二鳥である。


「思ったよりも色々と授業を選ぶことができるみたいですね」

「そうですわね。ですが、時間とも相談しないと、授業だけで一日が終わってしまいますわ」

 今は何の授業を選択するか、カリキュラムを見ながらクリスティアナ様と二人で悩んでいるところだ。

「おや、シリウス様はダンスの科目を選択するのですか?」

「そうだよ。ルイスも一緒にどうたい? どのみち将来必要になるだろう? それなら、早いうちに嗜んでおいた方がいいと思うけどな。他にも色々とメリットがありそうだしね」

「確かにそうですね。分かりました。私もダンスの科目を選択しましょう」

 教皇様の孫のルイスが仲間に加わった。これでマリア伯爵令嬢を含めて、仲間が増えたぞ。

 実はこの年齢からダンスを習う子供は少ない。ほとんどの子は社交界デビューの年齢である十八歳までに踊れるように練習するので、普通は高等部になってから履修するのだ。

「さて、他の選択授業はどうしよう。ここはやはり男として、剣術の授業を受けようかな?」

「さすがに剣術の授業は女性では受けることができませんわね。それでは私は剣術の授業と同じ時間帯に行われている刺繍の授業を選びますわ」

 刺繍は貴族の趣味の一つとしてオーソドックスな趣味である。当然、王族でも刺繍を趣味にしている人も多い。

「いい選択だと思いますよ。あ、そのうち私にも、クリスティアナ様が刺繍してくれたものを、プレゼントして下さいね」

 ちょっと図々しいが、クリスティアナ様のやる気が上がれば、と思って頼んだのだが、

「わ、分かりましたわ。そこまで頼まれるのなら、プレゼントして差し上げてもいいんですからね!」

 なんだかツンデレ風になったクリスティアナ様が、顔を赤くして言った。

 いかん、余計なプレッシャーを与えてしまったか。思い通りには儘ならないものだな。

「クリピー、あたしも刺繍の授業を一緒に受ける~!」

「お姉様、私も一緒に行きます」

 おお、フェオとエクスも、ついに女性の趣味に目覚めたか。いつも食っちゃ寝、食っちゃ寝しか、してなかったもんな。お父さん、心配してたんだよ?

「突然どうしたのですか。食べるのと寝るだけの生活に飽きたのですか?」

 一方、お母さんはストレートに言った。母は強しだな。

「違うわよ! あたしもシリウスにプレゼントするの!」

「私もマスターのために何かをプレゼントしてあげたい」

 何ていい娘達なんだ。良い子に成長してくれて、お父さん嬉しいよ。

「まあ、そういうことですのね。分かりましたわ。一緒に頑張りましょう」

「わ~い、さすがクリピー、そうこなくっちゃ!」

「お姉様、ありがとう」

 二人とも嬉しそうだ。

 クリスティアナ様を一人にするのは危険かも知れない、と思っていたが、二人が傍についているなら大丈夫だ。それに、あの二人に加えてピーちゃんもいる。全く問題はないな。俺も遠慮なく剣術の練習ができそうだ。


 三年生が選択授業を決め終わる頃、初等部新入生の入学式が行われた。俺達三年生は初等部の代表として入学式に参加する。

 三年生代表に選ばれたクリスティアナ様が堂々とした出で立ちで歓迎の挨拶を述べている。それを聞く新入生達の目は、この国の王女殿下を尊敬の眼差しで見ていた。

 出会った頃からは想像出来ないほど立派になったクリスティアナ様。あの頃の少し太った、どこか自信無さげな様子は微塵もなかった。

 クリスティアナ様の歓迎の言葉が終わると、会場からは拍手が上がった。みんなと一緒に拍手をしていると、クリスティアナ様と目があった。クリスティアナ様は俺に眩しい笑顔を向けてくれた。本当に成長したものだ。

「どうでしたか、私の挨拶は?」

「とても立派でしたよ。私が誇らしくなるくらいに」

「ウフフ、そう言っていただけると嬉しいですわ」

 新入生の歓迎会が終わると、いよいよ授業が始まる。

 午前中は全員が共通して受ける共通科目の授業があり、午後は丸々選択授業の時間に充てられている。

 初日の今日は、早速ダンスの授業だ。

「皆さん初めまして。今日からこのダンスの授業を担当するリンダですわ。よろしくお願いします」

 美しい動作で礼をとるリンダ先生。その洗練された動きから、相当の実績を持っていることが見て取れた。

 ダンスの授業の受講者は予想通り少なかった。それなので、クラスに関係なく三年生の全員が集められているのだが、それでも二十人に満たなかった。そして受けている生徒のほとんどが、どこぞの有力貴族であった。

 これはこれでいい社交場なのではないだろうか? 有力な人材と縁を結ぶのにはちょうど良い、と俺は考えた。

「クリスティアナ様、ここに集まっている人達と仲良くしておいた方が良さそうですね」

 その言葉を聞いたクリスティアナ様はチラリと周りを見回して言った。

「確かにそうですわね。よく見ると、お城で何度か見た方達が結構いますわ」

 ルイスやマリアだけでなく、最近、飛ぶ鳥を落とす勢いと言われている貴族の子弟が多く参加している。間違いなく今後を見据えてのことだろう。それも含めての個人の選択する選択授業なのだ。

「シリウス様の言った通りでしたね。ダンスの練習はもちろんのこと、他のも色々とメリットがありそうです」

 ルイスがこっそり話してきた。奇遇だね、俺も今そう思っていたところさ。

「それでは基本のワルツから練習して行きましょう。お嬢様方は踊りやすい靴に履き替えて下さいね」

 なるほど。確かにいきなりヒールの高い靴を履いて練習などしたら、危ないからね。

 靴を履き替えたらまずは基本のステップからの練習だった。正面にある大きな鏡を見ながら練習を重ねた。

 基本的に練習の時はクリスティアナ様と一緒にダンスをするのだが、本来の夜会などでは色々な人とダンスをすることになる。そのため、全体練習の時には色々な人と踊った。足元がおぼつかない人もいれば、切れのあるステップをする人もいて、とても面白い。

 クリスティアナ様は優雅なステップを踏んでいた。さすがはお姫様。マリア嬢は丁寧で、ちょっと怯えたステップ。多分まだ足を踏んだらどうしようかと思っているのだろう。こればかりは練習して自信をつるしかないな。

 クリスティアナ様に他の男性陣はどうか、と聞いたら嫌な顔をされた。

「ベタベタ触られて、正直なところ気持ち悪いですわ」

 あまりの言われようである。男性陣ガンバ。自分もそう思われていそうだから、気をつけないとな。

 ルイスは紳士的なステップを踏んでいた。さすがイケメン、それだけで得だな。

「シリウス様、次は私と踊って下さい!」

「ちょっと、あなたはさっきも踊ったでしょう? 次は私よ」

「いいえ、私ですわ」

 ギャアギャアと女性陣が集まってきた。でも何故かあまり嬉しくはなかった。それよりもクリスティアナ様と踊りたい感じだった。

「申し訳ありません。もう少しクリスティアナ様とステップの確認をしたいので、また次の機会でよろしいでしょうか?」

 そう言うと俺は、クリスティアナ様の方に踵を返した。

 その声が聞こえていたのか、クリスティアナ様が頬を赤く染めてこちらを見ていた。

「一曲踊っていただけますか?」

 紳士的に手を差しのべると、すぐにクリスティアナ様のてが添えられた。

「も、もちろんですわ!」

 ハッキリとした、少し元気のいい声が返ってきた。

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