悪役令息に転生したけど、静かな老後を送りたい!
えながゆうき
第1話 始まり
「シリウス!シリウス!よかった、ようやく目を覚ましたわ」
俺を抱き締めながら涙を流し、安堵の表情を見せる女性。
それを、どこか頭の中に靄がかかった状態でボーっと眺めていると、彼女の背後の扉が勢いよく開き、イケメン紳士が駆け込んで来た。
「シリウス!ようやく目を覚ましたか」
こちらも先ほどの女性と同様に安堵の表情を浮かべている。
が、自分はきっと困惑の表情を浮かべていることだろう。
これは夢か幻か?
信号を無視して突っ込んできたトラックから、妹を庇ったところまでは鮮明に覚えている。もちろん、トラックに撥ねられたこともだ。
思いっきり突き飛ばした妹は、怪我はしたかもしれないが命に別状はないはずだ。
自分がどうなったのか分からないが、死んでもおかしくないほどの衝撃を受けた、と思う。
しかし、こうして抱き締められている感触が確かにあり、とても夢とは思えなかった。二人が何を話しているのかも分かるということは、自分は始めからこの世界の住人なのだろう。
ひょっとして、あちらの方が夢だったのだろうか?それにしては実にリアルな夢だった。
「どうした、シリウス。大丈夫か?」
思考の渦から現実に引き戻したのは先ほどのイケメン紳士だった。よく見ると、よほど急いで来たのか、肩で大きく息をしており、黒々とした髪は少し乱れていた。しかし、その目には掛け値なしの心配の色が見てとれた。
大丈夫です。問題はありません、と言いたかったが、混乱の極みにある頭には、とにかく何でもいいので情報が欲しかった。
「あの、何があったのですか?」
自分の口から出た妙に幼い声に驚き、自分の手をまじまじと見た。
小さいね、キミの手。いや、手だけじゃない。よく見ると体も小さいね。
「シリウス、覚えていないのか?まあ、あんな経験は覚えていない方がいいな」
軽く首を左右に振りながらそう言うと、それ以上は口にしなかった。
「旦那様、奥方様、今はシリウス様を休ませた方がよろしいのではないでしょうか。一週間も何も口にいれて無いのです。お腹も空いているかと存じ上げます」
二人の傍に控えていた、いかにも執事、といった人物が欲しかった情報の一つをくれた。
旦那様、奥方様ということは、この二人は両親である可能性が高い。子供の俺を抱き締めながら涙を流す女性が母親でないはずがない。
「そうだったわ、急いで食事を持って来て頂戴!」
パチンと手を叩き、お母様が慌ててそう言うと、どこからともなく使用人達が現れ、食事の支度をはじめた。
美しいブロンドの髪に澄んだ青い瞳。この物凄い美人な女性がお母様・・・慣れるだろうか。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。個人的にかなりストライクなんだが。
随分と若く見えるけれども、それはお父様もだった。そしてどちらも美男美女。リア充爆発しろと言われること間違いなしだ。
そんなことを考えている間に用意されたいい香りのするスープは、具材がほとんどトロけており、見事な月桂樹の装飾が施された銀製の皿に注がれ、黄金色に輝いていた。
なんか、物凄く高そう。いや、絶対に高いぞこのスープ。小市民としては食べるのが怖い。
だが、空腹に耐えきれずスープを口にした。
当然の如く、極上のスープだった。美味し過ぎてスープを口に運ぶ手が止まらなかった。行儀が悪いとか関係ない。
俺がスープを無心に掬って口に運んでいるのを見て安心したのか、お父様は客人を待たせているから、と言って足早に部屋を出た。部屋を出る直前に振り返ったお父様の顔には慈愛の色が滲み出ていた。愛されているんだな、シリウス君。
お腹も落ち着いたところで周りをよく観察したが、何一つ思い出すことはなかった。
広々とした部屋には高そうな飴色に輝く机や椅子、緻密な彫刻が施されたテーブルや柔らかそうなクッションと上品な革張りのソファーが置かれていた。壁にはどこかの美術館に警備員付きで飾ってあるような絵が飾られており、それを見ただけで気後れしてしまった。
どうやら、自分はどこかお金持ちの家の坊っちゃんらしい。
お母様が着ている服は中世ヨーロッパ風の気品のある豪華なドレスで、首や耳、腕に指にと眩いばかりの宝石が煌めいていた。
「本当に、目を覚ましてよかったわ」
よほど心配をかけてしまったのだろう。もう一度お母様が呟き、その手が俺の小さな手をそっと包んだ。お母様に握られた手はとても暖かかった。
「心配をかけてしまって、ごめんなさい」
お母様は、いいのよ、と笑って言ってくれたが、母の思い出のひとつも思い出せない自分が、何だかお母様を裏切っているように感じてひどく悲しかった。
自分の身に何が起こったのか。自分は誰なのか、早く突き止めなければならないと思い焦りが募る。
「あの、お母様。勉強をしたいのですけど・・・いいですか?」
唐突な提案だと自分でも思ったが、さすがにお母様に向かって、あなたの名前はなんというのですか、とは聞けない。何とか勉強という口実で情報収集をしようと思ったのだが、
「え?勉強ですって!?シリウス、頭でも打ったの?ああ、そうだったわね、雷に打たれたのでしたね・・・」
お母様は驚きと共に、何故か深いため息をついた。
「え?雷に打たれた?」
「そうよ、覚えていないの?」
そしてお母様は何が起こったのかを話し始めた。
ことの始まりはシリウスが母親をお茶に誘ったことからだった。
その日は雲一つないとても良い天気だったため、庭でお茶をする運びとなった。
シリウスは外に用意された椅子に座ってお母様を今や遅しと待っていたが、そこに何の前触れもなく雷が落ちた。
幸いなことにその場にはシリウスしかいなかったが、雷の直撃を受けたシリウスはひどい傷を負った。
お抱えの魔法使いが何とか魔法で回復させたものの、意識は戻らず、そのまま一週間も目を覚まさなかったらしい。
それまでの記憶が飛んでしまったのは、きっと雷に打たれたせいなのだろう。
そして気になるワード、魔法。
どうやらこの世界には魔法が存在するようだ。
「そうだったのですね。それで何でベッドで寝ているかの記憶が曖昧なんですね」
「ええ、きっと思い出したくない記憶なのでしょう」
辛そうな顔をするお母様に向かって、元気よく笑顔で言った。
「ありがとうございます、お母様。何だかスッキリしました」
その顔を見たお母様はホッとした表情を見せた。
「シリウス、しっかり休まないとダメよ。今はゆっくりと寝ておきなさい。お勉強はその後でもできるわ」
そう言うと、お母様はこの小さい体を抱きしめ、頬に優しくキスをして部屋を出て行った。
俺は高鳴った胸を鎮めるべく布団に潜り込んだが、あの豊満な胸の弾力と頬に落ちた柔らかな感触、物凄くいい匂いはしばらく忘れられそうになかった。
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