第30話

「……また会ったね」


 アルサメナは、与えられた見た目ばかり豪奢な部屋で、疲れ切った目をして佇んでいた。


「いつまでも腑抜けた目をしててもらっては、困るのです」


 その姿は、いつかナローシュが神童と呼ばれなくなった頃の、自分が凡人である事を悟って挫折した姿によく似ていた。


「……腑抜けか、そうさ。僕は半身と呼べる思いと魂を失った。今の僕は生きているようで、生きていない。ここにあるのは抜け殻さ」


 空虚だと言って、私の目も見ない。


「いいえ、本物の抜け殻はそんな自嘲なんて、できません」


「愛を失った僕に何が残っていると……」


「貴方が苦しんでいるのは!ベルミダ様をまだ愛しているからです!……貴方は自分の思いは無意味だと言いましたね?」


「ああ、そうだ、僕は何の意味もない感情を──」


「本当に無意味だと思ってる人間が、その事をいつまでも口にするものか!!」


「──っ」


「貴方は逃げたいだけだ!もしかしたら、愛した人は自分に愛情を向けていないかもしれない、負け戦になるかもしれない、何も得る事はないかも知れない、なんて、自分が傷付くのを恐れている!」


「……そうだ、そうかも知れない。だが、恐怖を避けることの何が悪い、部が悪いと分かっている戦いに自ら赴いて何になる。そんなものは博打だ、伸るか反るかなんて不確かなものに、自分の心を掛けたくないのだ」


「甘ったれるな!」


「僕が何を甘ったれているというんだ?」


「この世に確かなものなんかあるものか!栄えるものはいずれ滅び、季節は移り変わり、その中の、ほんの少しの時間で人は老いて死ぬ!いつまでも同じ感情なんてものはない!」


「だったら、尚更、僕の愛が時と共に失われたとしても──」


「泣き言は負けてから言いなさい!」


「……君は僕に部の悪い賭けに、自らを投じろというのか?」


「部が悪いと思っているのは、貴方だけです殿下。それに──博打というのは、勝つか負けるか分からないから面白い。痛い目を見るから面白いんです」


「僕は……兄上と戦った事がない、……天才と言われていた彼は……僕にとって絶対的な存在だった……王を支えるのが、僕の役目だと……それがどうして、兄から奪う事ができるんだ……?兄上にはもう、何も残っていない……才覚は枯れ果て、人望も無ければ、野望もない。愛を失った僕でさえ、このようなのに、これ以上失ったら兄上に残るものなんて……」


「あります、どんな姿になっても、彼を愛している者は一人だけいます」


「一体誰だと言うんだ……」


「アリストイーリス、陛下がアイリスと呼んだ娘をお忘れですか?」


「……愛想をつかして出て行ってしまった人のことを今更……」


 名前を出しても私に気が付かない……いや、そんなことよりも。


「今、なんて?」


「兄上が言っていたよ、試すような事をしたら、泣いて、すぐに去って行ってしまったと。しかも2年も連絡を寄越さなかったと」


 ナローシュの奴……やっぱり私から離れた事にするつもりだったか……許せない……


 ……でも、まさか、本気で試していたとしたら……?


 なら、どうしてそんなことを……?


 ……今は後にしないと。


「……それは間違っています」


「なんでそんな事がわかる」


「それは──」


 仕方ない、この際──


「それはアリステラ殿が、彼女の密偵だからです」


 黙っていたルヴィが、ほんの一瞬だけ躊躇した私の代わりに言った。


「そうか……あの人はまだ兄上を……」


 アルサメナは納得したような顔をしている。


「……その通りです」


 王宮の中だから、仕方ないか。


 どこに目や耳があるか、分かったものじゃないし。


「それで、まだ言い訳がありますか?殿下」


「……どうやら、僕が悲嘆に暮れるのはまだ早いらしい。……あの人の目があるなら尚更だな」


「それはどう言う意味で?」


「悪い冗談ですね、アリステラ殿、配下の貴方に言ったら、私達全員の命がないでしょう?」


「……ああ、そう言う意味ですか」


 いや、分かっているような風で返したけど、それって一体どう言う意味……?


 まあいいや、取り敢えず奮起してくれそうだし、後はベルミダと引き合わせれば、どうにかなるでしょう……多分。

 

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