腐れ林檎は人知れず

温泉たまこ

綺麗な花には毒がある


私の親友は完璧だ。


こまめに手入れが施されているであろう艶やかな黒髪。

力を入れたらポキッと折れてしまいそうなたおやかな身体。

瞳は美しく澄み、クッキリとした二重にじゅう線の入った瞼。

そしてそこに伸び伸びと生える睫毛。

小さく主張をしないがスッと筋の通った鼻に、鮮やかなピンクの唇。

白く透き通った肌に、ほんのりと赤みの灯る頬。


彼女は誰もが振り向くような美貌の持ち主だ。

それなのに性格も非の打ち所がない。


困っている人の存在に気づけば、率先して助けの手を差し伸べる。

自身も努力を弛まず、成績も優秀。生徒会にも属している。

他人の悪口は一切言わず、誰に対しても分け隔てなく、高慢な態度も取らない。

周りからの信頼も厚く、彼女の微笑みはまるで聖母のようだと、この前クラスの男子が噂していた。


一度、彼女に「どうして一緒に居てくれるのか」尋ねたことがある。

特に長けたものがない私と彼女では、どう考えても不釣り合いだからだ。


彼女は少し考えた後に「清廉潔白と同族嫌悪だ」と言った。


しかし、私にはその言葉の意味が分からなかった。

戸惑う私に、「知らなくていいのよ」と彼女は微笑んだ。

高尚な彼女の頭の考えは、凡人にはどうやら解読不能らしい。


彼女と私の出会いは互いが五歳の頃のこと。

祖父同士が竹馬の友で、彼に連れられるがまま彼女の家を訪れた。

彼女は家柄も見事で、彼女の祖父は偉大な地主だ。

訪れた家は和風のお屋敷で、むしろこちらが主役なのではないかという程の大きな庭園に圧倒されない者はいない。


完全無欠。容姿端麗。公明正大。才色兼備。純真無垢。

そんな言葉が似合う彼女。


親友の彼女と自分を比べることも少なくない。

その度に自分のつまらなさに嫌気が差す。


私は昔から、何故だか人に群れるのが嫌いでどちらかといえば孤立する側の人間だ。

しかし、彼女は何故だか心地が良くて、いつでも傍に居たいと思う。

彼女とは出会った頃から、ずっと隣に居る。

多分、彼女に一番魅了されているのは私だ。


その日はとても暇な放課後だった。

いつもは彼女と共に下校をする約束をしているが、彼女は生徒会の仕事があり、今日は一緒に帰れないと登校中に聞かされていた。

私は部活にも所属していないし、友達もほとんど居ない。

彼女の申し出に若干の寂しさを覚えつつも、分かったと頷いた。


担任が面倒そうにホームルームを終わらせた後、教室がざわめき出す。

「それじゃあね」と彼女が私に声を掛けて、教室を後にした。

その後ろ姿を見送る。彼女の長い黒髪が歩く度に左右に揺れて綺麗だった。


それから自分の机の上に置かれた日誌に目を移す。

今日の日直は私と隣の席の男子だ。

彼が授業毎に黒板消しを担当する代わり、私が日誌の記入を任された。


私は何を書こうか悩んでいた。

大体、何故日誌に感想や反省を書かせる欄があるのか理解が出来ない。

てきとうに書けば良いと分かってはいるものの、それが出来ないのが私の性分だ。

だけど彼女はそんな私に、「その真っ直ぐなところが好きだ」と言ってくれる。


そうやって悩んでいると、担任が生徒との話を終えて教室を出ようとしているのが目に入った。あっ、と思い立ち上がる。立ち上がった際の椅子をギーッと引いた音に気付いた彼は、「日直は書けたら職員室まで持ってくるように」と声を掛けてきた。「はい」と返事をしてまた椅子に座り直す。


教室を見回すと、まだ複数の生徒が談笑していた。

机の上に座ったりロッカーに寄りかかったり、思い思いに過ごしている。

周囲のざわめきを聞きながら、段々と自分の瞼が落ちようとしていくのを感じた。

日誌は先生が帰るまでに渡せばいい。

そう思うと気が緩んで、自分の頭の重みを抑えることが出来ず机に突っ伏した。



...




自分の意識が段々と戻ってくると、周りには誰一人居ないことに気がついた。

聞こえるのは、外からの運動部の掛け声や学内に吹奏楽部の楽器の音。

時計を見上げると三十分程眠りこけていたことに気付く。

燦々と輝いていた太陽も、沈みかけて空は赤みがかってきている。


そろそろ帰ろうか。

そう思い、先ほどまで悩んでいた日誌の感想欄に手を伸ばす。

眠ったことで冴えた頭に浮かんできたのは、今日の現代文の授業だった。

「羅生門」芥川龍之介の書いた下人と老婆のやりとり。

人の愚かさがどれほど醜いのかを感じられるような物語。


彼女のように純真無垢であれば、そのように愚かになることはないのだろうか。


周りも彼女をまるで宝物のように扱い、蝶よ花よと育てられた彼女は下劣な感情を抱くことなんてないのだろう。

彼女はいつも隣に居るようで、しかし手の届かない場所に居るように感じられる。


羅生門の感想を日誌に書き終えて、席を立つ。

職員室に向かおうと教室内の机を避けながらすすむ。

しかし自分の腰が、机に当たってしまった。


ガンッと音がした後に何かが落ちた音がした。


そちらに目を移す。どうやらノートのようだ。しかも分厚い。

机の上に乗っていたのだろうか。

ページが開いてうつ伏せの状態で落ちている。

私はそれを拾い上げ、閉じようと思いノートをひっくり返した。


そして、その中身に驚愕した。

そのメモは黒いインクで書かれた文字に覆われていた。

驚くほどに卑劣な言葉が並んだそのノートから、私は咄嗟に目を離した。



私は多分、このノートの持ち主を知っている。



ガラガラと教室の戸が開く。

私はそちらを恐る恐る振り向いた。


逆光でその姿は鮮明には見えないが分かる。彼女だ。

彼女は私が手にしているノートに気づくと、微笑んだ。

そして歩みを進め、私の目の前にくると、ノートを受け取った。


「私に失望した?」

彼女が私に問いかける。


彼女に応えようとする私の唇がワナワナと震えているのが分かった。

これは恐怖、というより興奮から来る震えだった。

純白のベールに隠された彼女は、ブラックホールよりも深い闇を抱えていて。

その真実を知った時、私はある種の怖さを感じると同時に、ほっとしたのだ。


「するわけないよ。」

私は震える声で彼女に答える。


すると彼女は、その可憐な唇の端を持ち上げて笑って言ったのだ。


「だから貴方を選ぶのよ。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

腐れ林檎は人知れず 温泉たまこ @Tama_ko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ