生存者 十九

 東欧の商人――ケネス・グリーンがゴートとの商取引に応じたのは、それがあくまでフィッツジェラルド氏個人としての利用であったからだ。もしこれが何らかの組織がらみの取引であったとしたら、それこそ商売人たちのあいだで悶着が起こっていたことだろう。よそ者が市場を荒らすような真似は絶対に許されない。「サウスランドシティに住む変わり者が、気まぐれから申し込んできた商談」というのが、問題にならないギリギリの境界線だった。

 そのようにただでさえ微妙な立場にあるケネスが、街の「政治」に関わることに乗り気であるはずがない。とくに、有力者の暗殺に手を貸すなど考慮にも値しない相談だ。売った銃がどう使用されるのかはわからないという建前があるからこそ、その商人はゴートとの取引に応じたのだ。

――傭兵を手配するとしても、けりを付けたあとの支援が限界。それ以上は絶対に手を貸さない――

 そのていどの譲歩を得るだけでも、六桁台のドルが必要だった。それも、傭兵への報酬は別にして、だ。

 次に第二の理由というのは、マルドネス邸の非常線を下手に刺激したくなかったということだ。策を弄してまで警備を薄くしたというのに、もしもバックアップ部隊の四名が敵に発見されでもすれば、悪くするとすべてが水の泡になりかねない。息を潜め、身を隠し、必要となった場合にのみ姿を表す。ゴートが彼らに求めたのは、そういう慎重な働きのみであった。

 そして最後に第三の理由であるが、ある意味においてはこれが最も重要で、比重の大きな要因だった。要するに、ゴートにしろジャッカルにしろ、決して己が正義を見失わないためだ。

 実行するしない、また態度に出す出さないというのは別にして、ケイン・マルドネスの殺害を企てる者は少なくない。この暴君の寝首をかき、玉座たるデモニアスを倒壊させることができれば、この世界都市サウスランドシティは独裁者を失うことになる。そうしたタイミングで何らかの組織が勢力圏を拡大し、街全体の掌握に成功したとすれば、たとえ勝者がどんな立場の者であろうと莫大な利権を手にするのは間違いない。富。名声。人望。社会的地位。ありとあらゆる欲望が思いのままになる。だがゴートは、それがためにジャッカルを造り上げたわけではない。


 それはザックたちの死から一週間ほどが経ったころの出来事だった。

 街の港湾部を縄張りにする運び屋グループ、スパイクボーイズ。総勢十五名からなるこの一団は、一人の行方不明者――ジョシュア・ハーヴェイである――を除いて全員が惨殺された。彼らはそれぞれに異なる暴力の痕跡に全身を覆われていたが、頚動脈の切断と、臓腑を包む腹膜の杜撰な切開の二点に関しては、全員が共通してその身に負わされていた。いずれも致命傷になる種類の損傷だが、どちらが先であったのかは現在でも不明のままである。

 彼らが想像を絶する苦痛のなかで息絶えたのは想像に難くない。しかし、悪魔はそれだけでは飽き足らなかった。憐れな運び屋たちは生者としてのみならず、死したあとにさえ貶められ、辱められた。彼らは、彼ら自身が集合場所としていた廃倉庫のその外壁に、緞帳のように吊るされた状態で発見されたのだ。こぼれ出る腸をぶら下げながら、一団は横一列に並んだ格好で磔にされていた。

 当然、ジョッシュが仲間の最期を知る由はない。前述の凶行が現実となったとき、彼はすでに変貌を遂げんとしていたからだ。新たなる人格、苛烈なるジャッカルへと。

 付け加えるなら、運び屋たちとてまったくの無罪だったとは言い切れない。遵守されるべき法律を犯したのは確かであるし、この街のルールに逆らったのも事実だ。デモニアスとのあいだにトラブルを抱えたうえ、贄の一つも差し出さなかったというのであれば、それなりの代償を払うのは仕方がない。

 何に従い、何に歯向かうか。ただの一歩でも行く道を誤れば、死神の鎌の餌食となる。邪な稼業に生きるとはそういうことだ。

 だがゴートたちは、その伝統をこそ変えなければならなかった。なぜならそれらのしきたりは一定の秩序をもたらす反面、その秩序さえをも悪用する、真に忌まわしき者の姿を覆い隠していたからだ。

 多くの人間を殺めてなお厳罰を逃れる者を。他者の人生を弄び、人の世の正義さえ歪める者を。他者から誇りや家族を奪い去りながら、その蛮行に悔恨の念すら覚えることのない者を。その者を看過し、秘匿する沈黙を、誰かが壊さなければならなかった。新たな大罪を負うだけの覚悟と、正当性と、そして力を兼ね備えた誰かがだ。

 だからこそゴートは傭兵による過度な介入を望まなかった。不慮の事態で力を借りることはあっても、ケインの生死にまでは関わらせない。そうでなければ、ジャッカルの存在する意味がなくなってしまうからだ。ただ命を奪えばいいというものではない。絹糸のようにか細い、それこそ一縷の輝きであっても決して大義を見失ってはならない。彼らは示さなくてはならなかった。なぜ、ケイン・マルドネスが死んだのかを。その所以を広く知らしめることで、防がなくてはならなかった。すなわち、新たなる悪魔の台頭を、だ。

 やがて、走馬灯の果てにゴートは悟った。彼とジャッカルが喫した、もう一つの敗北について。ケインに対するものとは別の方面から突き付けられた、さらなる挫折についてだ。

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