生存者 十八

 この点においても、スタンリーという男は重要な役割を果たした。この警官が備えた多くの知識は、文字どおり無上の価値を秘めていたのだ。四半世紀近い蓄積は伊達ではない。ケインらの生活習慣から女性関係、さらには組織内の勢力図に至るまで、顔の広いバリーでも取得し得ないような情報が、スタンの脳細胞には深く刻み込まれていた。それも無数に。

 どこを突っつけばどう動くか。どんなふうに叩けば、どういう具合に反発してみせるのか。それさえわかれば、あとは試行錯誤を繰り返すのみだ。構想とシミュレーションとを幾度となく繰り返しながら、バリーは徐々に計画を組み上げていった。ジャッカルのときと同様、調達し、繋ぎ、修正するのだ。

 結果、第一段階は息子のほうに決まった。アレックスの経営するナイトクラブには特別製のパニックルームがある。裏口のたぐいはなく、やりようによっては密室にもなり得る空間だ。その部屋の中に標的を閉じ込めてしまえば、万が一取り逃す恐れも、また外部から邪魔者が入るという心配もしなくて済む。

 そうした物理的な状況が整ってさえいれば、アレックスの殺害それ自体はそう難しくはないはずだ。この男は長く安泰に身を置きすぎた。彼が物心ついたころにはすでに、ケインとデモニアスは名声を欲しいがままにしていた。その盛況が災いしたか、アレックスは自らの身を守る手法すらろくに学んでこなかったのである。銃の引き金をただ引くのと、狙って目標に当てるのとではそれこそ天と地ほどの違いがある。アレックスの腕前では、前者を行うだけで精一杯といったところだ。

 護衛と武装、及び設備はどれも一級品である。反面、その盤石の地位なるものは、油断という名の副産物をも生み出した。ゆえに、この男にはいくらでも付け入る隙というものが存在するのだ。

 息子のほうを先に狙うのには他にも理由があった。それはつまり、そもそもケインに対する攻撃を成功させること自体が、極めて困難であるということだ。

 ケインが自らの邸宅を離れるのは稀な事態だ。これはここ数年、特に顕著なことであった。単に出不精というのではなく、用事のために出かける必要がないからだ。ケインが誰かの元を訪れるのではなく、誰かが――あるいは誰であろうと――マルドネス邸までやってくる。無論、その主を訪ねて。それがケインにとって基本的な用事の構図だった。

 また、その屋敷に外からに攻め込むというのも、やはり困難であることに変わりはなかった。なんといってもケインの邸宅というのは、数十名を数える私兵の一団と高性能の監視設備とによって守られた、いわば要塞のような場所なのである。よほどの混乱でも引き起こさないかぎり、潜入の成功は望めまい。

 防壁はとてつもなく強固だ。されど、突破する手段もないわけではない。手法は人それぞれあるだろうが、ともあれバリーは、ひとつの象徴を利用するというアイデアを採択することにした。その象徴とはつまり、どこにいても、何をしていても目立つひとりの男。喜怒哀楽の一つ一つで人を動かす存在。純粋で不安定な暴力の化身。アレックス・マルドネスその人だ。彼が備えた性質を利用すれば、大抵の無茶は押し通すことができるはずだ。

 自ら経営する店を壊され、多くの手下を惨殺された挙句、自身の命まで危険に晒されたとなると、そこに生じるフラストレーションというのはまさに想像を絶するものに違いない。そうしたストレスから爆発寸前になっているアレックスに、面と向かって意見を言える者などそうはいまい。それこそ、実父たるケインくらいのものだろう。それに護衛の者たちからしてみても、警固対象が一か所に固まるのは好都合であるはずだ。そのうえ面会場所がケインの私室ということであれば、なおのこと対応はし易い。アレックス本人が自らそこに連れて行けと命令するなら、断る理由など何一つ存在しない。

 アレックスを仕留めるに際して遠距離からの狙撃を行わなかったのも、また致死性のガスを用いなかったのも、要するにこのアイデアを実行せんがためのことだった。バリーはこの男の顔が欲しかったのだ。変色や破損を最低限度に抑えた、充分に見栄えのするアレックスの顔が。それこそが、まさしくこの作戦の鍵であった。

 同様に、ナイトクラブを派手に襲ったことにも理由があった。「アレックスを狙った襲撃があり、それが失敗に終わった」という事柄を、とりわけ強く印象付けたかったたからだ。そうすることで、本来ならアレックスの警護に充てられるはずだった戦力の一部を、襲撃者一派の捜索に向けさせようと企んだのだ。

 結果から言えば、バリーのこの試みは見事に功を奏した。実際のところマルドネス邸の警備は想定以上に薄かった。それも当然だろう。一般的に、はっきりと未遂に終わった暗殺が無理に続行される可能性は低い。一度ミスを犯したのなら、まずは暗殺者自身の身の安全を確保し、体勢を立て直すことを優先させるべきだ。次のチャンスに賭けるのである。

 反対に、賊を退けた側のデモニアスとしては、相手方に逃亡の猶予を与えないためにもここは攻勢に出たい場面である。少なくとも、敵がどの勢力であるのかぐらいは掴みたい。となればこれは時間との勝負だ。ギャングたちも多少は大胆に行動せざるを得ない。たとえ、そこに一定のリスクを感じていながらも、だ。

 変装と陽動とかく乱。戦力の分断。策略をいくつも積み重ね、バリー・フィッツジェラルド――ゴートはようやくそこに辿り着いた。この街の心臓部であり、時の流れさえ歪ませるその場所に。ケイン・マルドネスのプライベートルームにだ。

 錠は外された。戸は開かれた。標的の男は眼前におり、目的はやがて果たされる。

 ゴートとて、その状況からの停滞を想定しないわけではなかった。無事ケインの私室に侵入し、邪魔者を締め出したとしても、それはあくまでも前段階が終了したに過ぎない。そういう意識を心中に保っていたはずだった。

 だが実際、そこには彼の想定を遥かに上回る苦難が待ち構えていた。機械義肢を備えた護衛には苦戦を強いられたうえ、本来の標的たるケインに対しては遅れを取りさえしたのだ。

 ジャッカルが倒れた時点で作戦は失敗だ。ゴートたちの力では巨悪を討つことは叶わなかった。言い逃れのしようもなく、それは一つの計画の終焉であった。無念の情はあれど、現実は受け止めなければならない。ゴートとジャッカルの破滅は、もはや動かしがたいかに思われた。

 問題はそこからだった。策士の目論見は破綻し、闘士は魔王に打ちのめされた。勝利は悪魔に訪れた。にもかかわらず、最後に生き永らえたのは無謀な反逆者の側だった。

 破滅的な鉛の驟雨に呑み込まれ、頭蓋と心臓を射抜かれる。そうした悲劇的な最期を迎えたのは、誰あろうケイン・マルドネスその人だ。彼は、愛する息子の仇を取らんがため、文字どおり鉄面皮な罪人をその足元につくばらせながらも、不測の事態によって命を落としたのである。

 実行犯は四人の乱入者たちだった。充分に訓練された兵隊。相手の虚を衝いて出現し、間髪を入れずに任務を完遂する。実に鮮やかな手際だ。その者たちの正体を、ゴートとジャッカルは知っていた。なぜならば、それらの人員を配置したのもまた、彼らの計画の一部には違いなかったからだ。

 それはいわゆるバックアップというものであった。装備はそれらしく整えてあるものの、この四人組は決して公的機関に属する人間ではない。彼らは武器商人たるケネス・グリーンに頼んで用意させた、傭兵の一団である。ジャッカルが目的を達したあと、万が一自力での脱出が困難となった場合、この四人が救援部隊としてサポートを行う手筈になっていたのだ。

 とはいえ、暗殺失敗のリカバリーについてまで契約を交わした覚えはない。ゴートがこの部隊に任せてあったのは、あくまでもジャッカルの回収と護送に関することのみだ。今回のようにケイン殺害が失敗に終わった場合には、一切手出しをせずに帰投するよう取り決めが成されていたはずだった。

 この取り決めの動機というのは全部で三つの事柄にあった。まず第一に、仲介となる武器商人が作戦への参加に否定的だったことだ。言わずもがな、商売人にも縄張りというものがある。ゴートは計画を進めるにあたって、そのルールを捻じ曲げた。本来ならサウスランドシティには関係を持たないはずの、東南ヨーロッパ系の新興流通ルートの人間に接触したのである。

 元から街に根付いている商店は使えない。そんなものに話を持ちかければ、デモニアス側に情報が筒抜けになるのは目に見えているからだ。ゆえに、物資の調達はまったく外部の勢力に頼らなくてはならなかった。

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