第九話 キャットフード、食べます

「トモキくん、これ買ってーな」

 マタヲが前足で叩いているのは、『デリシャスキャット マグロとささみのロイヤルポタージュ――ふんわりシラス添え』と書かれているレトルトのキャットフードパウチだった。

「やだよ。高いじゃんそれ。だいたいこの間も、なんとかジュレってやつ買ったけどさ、お前、『どれも同じ味やんなー』て文句言ってたじゃんか」

 近所の小さなスーパーに買い物に来ていた。

 自分用のお菓子だけを買いに来たのに、マタヲまでついて来て、そばでうろちょろしている。

「高いって98円やんかっ。トモキくんが買おうとしているチップスより安いやん」

「ぼくのこづかいで買うんだぞ。どうしても食べたいんなら、自分で買えよ」

「なんやねんっ。自分で買えるんやったらこうとるわ。できへんからトモキくんに頼んでるんやろ。えーやん、一袋くらい買ってくれたって。98円やで。どうしても無理なんやら、こっちの78円でもガマンしたるわ」

 こっちのと指さしているのは、『季節限定 ほうれんそうとトマトの爽やかチキンソテー』のパウチだった。

「やだよ。お前、人間の食べ物も食べるんだから、キャットフードなんかほしがるなよな。家で猫の餌なんて見つかったら、ぼくが怪しまれるだろ。猫なんて飼ってないのにさ」

「人間の食べ物も食べるけど、キャットフードにも興味あんねん。最近のキャットフード事情を知るのも、ネコマタ社会にとっては重要なことなんやで、トモキくん。ええんか、ぼくがネコマタ仲間からバカにされても。ぼくのパートナーは78円すら出し惜しむケチなやっちゃ言われても、きみはそれでええんか!」

 いいよ、べつに。ネコマタたちにどう思われようと。

 マタヲはよくネコマタ仲間やネコマタ社会、ネコマタ協会のお偉方とか、そういう話をする。

 でも、ぼくはまだマタヲ以外にネコマタを見たことはないし、他の妖怪だって見たことがない。唯一見える妖怪がネコマタのマタヲで、他はまったく気配すらかんじない。

 いままでだってずっとそうだった。幽霊や妖怪なんておはなしの世界。この世に存在するなんて信じてなかった。

 そりゃあ、小さい頃はおばけにおびえたり、見えそうな気がしたり、アニメや絵本に出て来るような妖怪と、ともだちになりたいと思っていたことはある。

 でも小学五年生になったいま、うるさいネコマタに付きまとわれ、他にこの妖怪猫の話ができる人が誰もいないとなると、楽しいことはひとつもない。

 いまこの瞬間も、近所のスーパーでキャットフードをせびられている。

「トモキくん、レトルトのやつがあかんのやったら、カリカリでもええんやで。こっちの小袋おやつはどやねん。うまそうやんか。いまなら、おためし『ぢゅーる』もついてきてんで。ぼく一度ぢゅーる食べたいわあ。めっちゃうまいらしいやんかー。ぢゅーるぢゅーる、じゃおぢゅーるやで」

 マタヲは猫用のおやつコーナーでヨダレをたらしそうになっている。

「お前がぼくに迷惑かけずに、大人しくしてるって約束するなら、買ってやってもいいよ」

 ぼくはお徳用サイズのおやつフードを手に取ってカゴに入れた。マタヲは「いやんっ、トモキくんたら、ふとっぱらやん」と目を輝かせる。

「やっぱりトモキくんはやさしい子や。でもな、こっちのほうがもっとお得商品やで。おまけに『ぢゅーる』がついてんねんからな」

 マタヲはべつのフードパックをすすめてきた。値段にたいした差はなかったので交換してカゴに入れる。

「マタヲ」

 ぼくはモフモフの毛をふくらませて黄色い目をぴかぴかさせているマタヲに条件をつきつけた。

「いいか。今後いっさい、誰かいる前でぼくに話かけないこと。いや、それだとダメだな。よし、こうしよう」

「なんやの」とぼやくマタヲに、腰を曲げて顔を近づける。

「ぼくが話かけたときだけ、お前はしゃべっていいことにする。あとはひとりごともダメ。へんなポーズで笑わそうとするのも、怒らせるのもダメ。ぬいぐるみみたいに大人しくしてること。わかったか」

「ちょっ、なんやのそれ!」

 マタヲが抗議の声をあげる。前足を振り上げ、ぶんぶんと振った。

「暴君やで、モラハラや。それは独裁とちがうんですか! ぼくとトモキくんはパートナーや。ぼくらに上下はない。対等のともだちなんや」

「あっそ。だったらおやつも買う必要ないね。ぼくばかりお前におごってあげるなんて、対等とは呼べないもの」

 お徳用サイズのおやつフードを棚に戻そうとすると、マタヲは「まちーな!」とその場で一メートルほどジャンプした。

「あかん、あかんで、トモキくん。買うゆうたんは買わないかんて」

「でも」

「わかった。わかったで、トモキくん。たしかにぼくは一文無しや。せやから何か買うときはトモキくんの世話にならなあかん。でもな、他のことではぼくだって力を発揮できるんやで」

「他のことって」

 妖力で何かできるんだろうか。たしか、マタヲは元々はよくいる短毛のハチワレ猫だったと聞いた。それが修行の末、妖力で毛が伸び、「モッフモフぼでーになったんやで」と自慢していた。

 ぼくは短毛の猫のほうが、暑苦しくなくてすっきりしているから好きだけど、マタヲはその長い毛を誇りにしている。

 つまり、妖力があるから毛が長いわけで、きっと特別な力を持っているんだ。

「お前、何ができるんだよ」

 妖怪ばなしでは、妖怪は自分をいためつけた人間に復讐したり、通りすがりの旅人に襲いかかっておどしたりしている。

 マタヲは、いまのところ、しゃべったり二足歩行するくらいで、他は普通の猫と変わりない。でも、本当はとんでもない力を秘めているのかも。

 ぼくはマタヲがみるみる大きくなって熊くらいの大きさになる姿や、牙や爪を伸ばして襲いかかってくる姿を想像した。他にも妖怪の力で人を呪ったり、病気にしたり、あやつったりもできるのかもしれない。

 ちょっと怖いな、そう思ってマタヲから距離をとった。

 マタヲは「ぼくはすごいんやで」とにやりと笑う。

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