第4話 悪夢は再び現れる
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リチリア島の戦いにおいてフィリーネ達が行使した戦術級魔法は大きな戦果をもたらした。妖魔帝国軍は一瞬にして一個連隊を失った。これによりフィリーネの目論見通り撤退作戦は成功し、妖魔帝国軍は約一日かけて再編成せざるを得なくなったのである。
だが、人類側はこれまでに多くの将兵を失っていたし火力も最盛期の五割未満にまで落ち込んでいたのは覆せない現実である。妖魔帝国軍が二十三の日時点で約四三〇〇〇の軍が作戦行動可能であるのに対し、人類側は一五八〇〇。この戦力差はいかんともし難く、劣勢の色はより濃くなっていた。
その最たる例が、放棄した南部と殆ど兵を配置出来なかった北東側における妖魔帝国軍の制圧地域大幅増加である。
南部では二十六の日には妖魔帝国軍一個師団は南西部の港町まで到達。後は北上してタレルモを目指すだけであった。北東部も同様で妖魔帝国軍一個師団が二十六の日にタレルモから東十五キーラ地点まで進軍していた。
これらに対して人類側は、キュティルを主戦場としつつもタレルモを失う訳にはいかず全体の約半数――四日間の戦闘で人類側は一三五〇〇まで数を減らしていた――の六〇〇〇、それぞれに一個連隊を配置せざるを得ず、しかし一個連隊では凌ぎきれるかどうかも怪しかった。
主戦場たるキュティルはさらに分が悪い。
キュティルに向けては妖魔帝国軍は南側には一個旅団。東側には人類側の精鋭部隊も多い事から一二〇〇〇を差し向けていた。
対する人類側は南側に元々南側戦線を担当していた今や一個連隊以下の戦力となってしまった約三〇〇〇と七〇二大隊を、東側にはフィリーネ、クリス、七〇一大隊を合わせた三五〇〇で相対していた。なお、ニコラ少将は僅か一〇〇〇の兵しか直衛がいなくなってしまったタレルモ南郊外へさらに移転した司令部にて情報支援に回っている。
このようにあと六日耐えればいいとはいえ圧倒的劣勢となった人類側は一番厳しい時期に差し掛かり、あと六日しかない妖魔帝国軍は攻勢をさらに強めていっていたのである。
・・Φ・・
9の月27の日
午後1時過ぎ
キュティル東部・最前線地域
「フィリーネ嬢、流石にちいとばかし厳しいですぜ……。俺の大隊は損耗率が三十パルセントを越えました。二十四の日の不意打ちは効果がありましたけど、翌日以降から連中は学習しやがって効果がありやせん。今もとにかく火力で押してきやがるから、もうどうにもなんねえ……」
「我慢なさい。あと六日よ。昼過ぎになったら一度七〇一を少しだけ下げさせるわ」
「感謝します……。っつう……」
「肩の傷が痛むのね。ちょっと体を貸しなさい。痛み止めにしかならないでしょうけど」
「フィリーネ嬢もきついでしょうに、すまねえ……」
「謝罪は結構。まだまだ働いてもらうもの」
フィリーネは初級の回復魔法を、二日前の夕方に敵の魔法銃が肩を掠めた事により軽傷を負ったヨルンにかける。彼は礼より謝罪が先に出たが、フィリーネは表情を変えず行使を続けていた。
二十七の日となった今、フィリーネ、クリス、ヨルン達の三五〇〇の部隊はキュティルから約六キーラ半の地点で妖魔帝国軍一二〇〇〇のうち一個旅団で衝突していた。
キュティルは盆地という地形上、町の中心から四キーラも進めば高地に位置している。標高の高い地点に挟まれた部分にあるのがキャターニャとキュティル、そしてタレルモを結ぶ道路があるのだが妖魔帝国軍はこの狭い部分に殺到していた。他に軍を進められる場所が無いからである。フィリーネ達ははこの地形を活かして四分の一の戦力で持ち堪えており、今この地に苦戦しながらも留めているのである。
だが、実は四日前はもっと余裕があったのだ。フィリーネ指揮のもと夜襲や高地両サイドからの奇襲などハラスメント攻撃を繰り返していたのである。
初日はこの作戦は成功し、被害を与えつつもほとんど侵攻を阻止していた。ところが二日目になると効力が薄れ始め、昨日に至ってはフィリーネが事前に対策を講じたにも関わらずそれを読み切り妖魔帝国軍は返り討ちにしたのである。
幸いフィリーネが命じた撤退のタイミングは現状においてはベストであった為あまり損害は出なかったが、その引き換えとして手痛い前進を許していた。友軍の士気も落ちている。全てはモイスキン大将の優れた采配によるものであった。
故に、フィリーネにせよクリスにせよ、そしてヨルンや七〇一大隊は矢面に立って戦い続けている。今は小休憩という事で一旦後ろに下がっているがそれもあまり続けられないであろう。
フィリーネは戦争の音が響き続ける方角を睨み、だが顔つきに余裕が無くなりつつ様子でこう言った。
「とはいえ、私も少し疲労が蓄積してきたわね……。連日こうも最前線に立って魔法を使い続けると、魔力の消耗も激しいわ……」
「お嬢は兵達を励ますのも含めて三日前から出ずっぱりですから。ちいとばかし休んだ方が……」
「出来ないわ。たった三〇〇〇ちょっとの軍勢で四倍の相手になんとかやれてるのは大隊と私達が参戦してるから。他はいつまで今を保てるか……」
「少将閣下。一キーラでいいので後退させましょう。前線司令部という形で機能は一部残しましたが総司令部はタレルモの南郊外に移っています。多少食い込まれるでしょうが、戦い抜くには必要です」
クリスの発言は最もであった。妖魔帝国軍の火勢は弱まることなくむしろ強まっているようにも思える。しかしこちら側はついに補給すら苦しくなってきていた。限られた弾薬とかなり数を減らした野砲等では前線を支えるのにも限度がある。密度を増やして戦うのは理にかなっていた。
「そうね……。次の反撃を終えたら約一キーラ後退よ。――情報要員、南側の連隊と七〇二は?」
「現在キュティルより南四キーラ半で踏みとどまっています。しかし、三十分前の報告では七〇二の損耗率が三十五パルセントに。また、残存は七〇二含めて三〇〇〇を切ったとのこと……」
「そう。レイミー少佐に伝えて。三キーラ半地点までは後退してもよし。ただしそれ以上は許可しないって」
「了解しました」
自身も身を投じて戦うフィリーネ。しかし彼女は指揮官であるからキュティル南方面にも意識を向けなければならなかった。
彼女は情報要員からの厳しい戦況報告に戸惑う事なく次の命令を出し、目の下に濃くクマが刻まれた情報要員は額に汗を滲ませ彼女の命令を素早い手つきで送る。
最精鋭の七〇一と七〇二ですら損耗率三割越え。終盤に差し掛かり始めたリチリア島の戦いがいかに地獄であるのかを証明していた。
それでも、ここが地獄であろうとはたまた煉獄であろうともこの大隊は諦めない。南で敵を屠り続けているレイミーは魔力回復薬を限界スレスレまで飲用してでも戦い続け、そしてヨルンも立ち上がった。
「フィリーネ嬢、レイミーの奴が歯ァ食いしばってやってんなら俺もそろそろ戻りますわ。お嬢はもう暫く休んでてくだせえ」
「分かったわ。後退の準備もしておく。ヨルン少佐、今まで通り五体満足で戻ってきなさい」
「了解! では、また後で! おい、野郎共! 鉄火場にもういっぺん突っ込むぞ!」
『アイサー!』
ヨルンは拳を突き上げて部下達を鼓舞すると、戦闘地域へと向かっていった。そう間もない内に凄まじい爆発音が響く。ヨルンの上級火属性魔法の音だった。
「本来なら私も出なければならないけれど……」
「少将閣下は指揮官です。それに切り札でもあって力を温存しなければなりません。お忘れなく」
「……そうね。ありがとう、クリス大佐」
「いえ」
フィリーネは自分も出た方がいいのではとあう思考を切り替え、後退準備の指揮に集中する。兵士達はその命令に戦場の中とはいえホッとしていた。
フィリーネが準備をほぼ終えた頃、ヨルンが直々に率いる部隊と戦い続けている兵士達は果敢に銃弾を放ち魔法を放ち、野砲を放って妖魔帝国軍の動きを一時的に封じていた。
これなら少なくとも夕方までには一キーラの後退は難なく可能だろうとヨルンが思っていた。
だが、この局面においてあってはならない出来事が起きる。まさか登場するとは思わなかった人物がいたのだ。
それはヨルン達が戦う地点から約八百メーラ先にある、道路の上り坂がちょうど終わる場所から現れた。
「ちっ、新たな部隊かよ。しかも精鋭部隊、か? ――いや、待て。あいつは……。なんで、あいつが……?」
ヨルンは新手の中にいた人物に気付く。明らかに今までの将兵とは階級が違う、妖魔帝国軍における大将を表す肩章の星々。
一目で精強と分かる兵士達に護衛されて現れたのは妖魔帝国陸軍大将、モイスキンだった。隣には虚ろな目をしているが明確な殺意を感じさせる、妖魔帝国軍服とは違う服装、まるで実験の際に被験者が着用するような簡易的な服装をしていた男もいる。
「素晴らしい! 素晴らしい戦いぶりでした! いやはや、人間共がこんなにも我々を苦しませるとは思いませんでしたよ!」
「モイスキン……。あの野郎、ここは最前線だぞ……。隣のアレはなんだありゃ……、見たことねえぞ……」
モイスキンは、突然の登場によって両者一時戦闘停止しているのをいい事に拍手をして満面の笑みを浮かべていた。声は大きい。拡声させる魔法を使っているのは明らかだった。
妖魔帝国軍の兵士達は分かっていたのか驚きはないが、人類側の兵士達は驚愕していた。無理もない。敵陸軍の総大将がそこにいるのだから。
ヨルンはモイスキンを睨みつける。何しに来やがったという態度が表情に現れていた。
「おお、怖い怖い! 思わず震えてしまいそうですよお!」
「嘘つけ……、いかにも楽しそうじゃねえか」
ヨルンは悪態をつく。事実モイスキンの声音にせよ顔つきにせよ、まるで待ちに待ったイベントを前にしたような様子であった。
「ヨルン少佐、どうして奴がここにいるのよ」
「分かりやせん。しかし、間違いなく奴でしょう。ジドゥーミラ・レポートにある外見通りです」
「意味が分からないな……。それに隣のアレはなんだ。軍人じゃないのか?」
「それも不明ですわ。俺も誰だかさっぱりです」
「ただ一つ分かるのは、猛烈に嫌な予感がするって事かしら」
「勘弁してくださいよお嬢……」
当然、モイスキンの登場にフィリーネとクリスもヨルンの隣に駆けつける。
フィリーネとクリスの関心はモイスキンにもだが、隣の男に注がれていた。クリスは困惑し、フィリーネは嫌悪感を露にする。ヨルンはフィリーネの予感の発言に対してしかめっ面をしていた。フィリーネの予感はリチリア島の戦いにおいて何度か的中していたからである。
「おやおやおやあ? 女で将官クラスという事はフィリーネではありませんかあ! やっとお会いしましたねえ! 私は貴方に会いたくて会いたくてたまらなかったんですよお!」
「気持ちわる……。あいつさっきからずっと一人で喋ってるじゃない……」
「そりゃこの距離じゃ俺達の声は届かないですからね……。一人喋りしてるようにしか見えませんわな……」
「それもそうだけど、発言そのものが気色悪い。鳥肌が立つ。今すぐぶっ殺したいわ」
「ぶっ殺したいですか! そうですかあ! 私もですねえ! 貴女がぐちゃぐちゃになる姿を見たくて見たくてたまりませんよお!」
「しかも聞こえてるじゃない……。もうダメ。我慢ならないわ」
「聴力強化までしているとは、度し難い気持ち悪さですね……」
「クリス大佐に同感でさあ……」
「んんん! 無視ですかあ! まあ別にいいですがねえ!」
三人は汚物を見るような目付きをするが、モイスキンはまるで気にしていないようだった。むしろ高揚感すらあるように思える。
だが。
「何故か? ここにいる貴様等人間共は尽く最期を迎えるからですよ。もちろんフィリーネ、貴様もです」
この発言からモイスキンの声の調子が変わった。ねちっこさは消え低いトーンになり、顔は嗜虐に満ちたものになる。
当然フィリーネの部下達が一斉に警戒を強めた。兵士達の銃を握る手が強まる。
「へえ、言ってくれるじゃないの」
フィリーネは初めてモイスキンにも聞こえるよう拡声魔法を用いて返答をした。
「やっと答えてくれましたか。私は知っていますよ。貴様の手腕がいかに優れているかを。私は知っていますよ。貴様が持つ恐ろしく強い召喚武器によって我が軍の兵達を大量に惨殺したのを。私は知っていますよ。――貴様の召喚武器が諸刃の双剣であることを。はははは、はははははははっ! ひひひひひひはははははっ!」
「…………」
「ああ、ああ。久しぶりにこれから起きる愉快痛快な事象を想像して笑ってしまいました。どうしてこんなに心が踊るかって、それはこれから貴様にはその腰にある黒双剣を抜いてもらうからです。抜かざるを得ない状況に陥れます」
「…………どうやって。お前が戦うのかしら?」
「まさか。私だってこれでも二枚羽の悪魔族で魔法が使えますから戦えますけど、ちょーっと勝つのは厳しいですからね。それよりも面白いものがありますから」
「隣の男ってところかしらね? どう見てもひょろひょろの雑魚のようにしか思えないのだけど」
「本当に? 見かけだけでは分かりませんよ? 例えば、こう。『殺せ。殺戮だ。一匹残らず。解放を、この我が、許可しよう』とね」
モイスキンは呪文を唱えるように言葉を紡ぐ。
すると、彼の隣にいた男は小さく頷くと突如として咆哮をあげた。足元には漆黒の魔法陣。男の体に変化が生じ、言葉に尽くし難い異音を発してみるみる内に体格は大きく、より大きく膨張していく。
「おいおい嘘だろ……。クリス大佐」
「ああ。シャラクーシの、いや、それより……」
「化物め……。くくくっ、上等じゃない」
そこにいたのは、この世ならざる者。体長は三メーラを優に超え、四メーラに届かんとする程に巨人。
シャラクーシ防衛線を崩壊せしめた『異形の中隊』の化物よりさらに巨大な、異形の怪人であった。
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