第11章 リチリア島の戦い編・後〜闇には闇を、狂気には狂気を〜

第1話 戦線縮小

・・1・・

 9の月19の日

 午後6時過ぎ

 リチリア島・キュティル町

 協商連合軍及び法国軍総司令部


 司令部をキャターニャからキュティルへと移転する。

 これまでキャターニャの西に置かれていた人類側の総司令部は妖魔帝国軍のキャターニャ半包囲網が徐々に迫った事により、上陸前から決められていた計画に則ってリチリア島中部の町、キュティルへと移転した。

 キュティル町はリチリア島の東西に広がる高地の中央にあり、盆地の真ん中に所在する町である。人口は約二万一千五百人。島の東西と南の交通結節点であり要所でもあるこの地は、総司令部の移転先であり同時に人類側にとっての絶対防衛圏が存在する場所でもある。

 そのキュティルに移転した総司令部において、フィリーネやニコラ少将達は戦闘の落ち着いた宵の時間に軍議を行っていた。


 「想定していたとはいえ、苦しいねえ……。再編成されて実質一万五千もない二個師団だけでも手を焼いているというのに……。ねえ、テオドーロ大佐」


 「はい。我々の火力はかつてのように無いというのに、一挙に潰しかからんと新たに一個師団が追加されました」


 「どう見ても劣勢ね。クリス大佐、キャターニャの七〇一と七〇二の損害は?」


 「今日昼過ぎの時点で両大隊の死傷者は二百を越えました。間もなく入る報告ではさらに増えているでしょう」


 「いくら私の七〇一と七〇二でも限界があるわね。このままキャターニャに留まらせたままでは実質一個旅団程度の戦力しかない二個旅団だけでなく私の大隊も死傷者は右肩上がりになってしまうわ」


 東にあるキャターニャでは立場が完全に逆転して固定された激戦が繰り広げられていた。

 これまでキャターニャに攻勢を仕掛けていたのは海兵師団を含む二個師団だった。

 ところが召喚士偵察飛行分隊の偵察によれば、十八の日から新たに一個師団が投入されたという報告が入った。これは沖合に新しく現れた輸送船団から上陸した敵軍の第二波と判明した。

 問題はそれだけではない。同じ日に最前線たるキャターニャから敵の火勢が強まったと悲鳴に近い連絡があった。これは輸送船団が物資だけでなく武器弾薬も輸送していたという何よりの証拠であった。

 妖魔帝国軍が約二五〇〇〇に対して、人類側は七〇一及び七〇二を合わせても六四五〇。キャターニャの戦線では敵の約四分の一の戦力で戦っている。いくらフィリーネの二個大隊がいたとしても勝てるはずも無かった。


 「南側の戦線も良くないわね」


 「南側戦線はチェーラを拠点としている一個旅団が約一五〇〇〇の敵相手に劣勢にしてはよく戦っておりますが、既に数が約三五〇〇となっており、そろそろ潮時かと。ですので、少将閣下」


 「分かっているわ、クリス大佐。明日にはチェーラを放棄。旅団には遅滞防御を行いつつもキュティルまで撤退。これも上陸前に話し合った作戦通りよ。旅団長にはこの件だけじゃなく、よく耐えてくれたとも伝えておいて」


 「了解しました」


 「ついに、というところだねえ……」


 「ええ。元より南側は重要視していなかったけれど予定より少し早いわ。あの化物のせいで計算が狂ったわね」


 南側の戦線も状況は悪化していた。

 十七の日まで南側戦線の妖魔帝国軍は一個師団(実質約八〇〇〇前後)であった。しかしキャターニャへ新たに投入された一個師団と同時にこれまで妖魔帝国軍が予備として置いていた一個旅団が南側戦線へ参戦。彼我戦力差五倍となった十八の日から人類側にとっては一気に戦況が悪化している。

 展開している協商連合軍旅団長からはもう持たないと今日の午後に入ったばかりで、フィリーネ達はこの軍議において南側戦線の放棄を決定した。

 これにより二十一の日以降は、妖魔帝国軍はリチリア島南部全域を制圧したも同然となる。


 「戦いが始まって今日で十八日目。僕達は約一七〇〇〇まで減じたのに、妖魔帝国軍は推定四七〇〇〇。戦力差は三倍近く、かあ……」


 「一般火力と魔法火力を加味すればもっと差は開くわ。そうね、ざっと四倍から五倍。下手すれば六倍と思ってもおかしくはないかも」


 「フィリーネ少将閣下、お伺いしたい点があります」


 「何かしら、テオドーロ大佐。言いなさい」


 「はっ。フィリーネ少将閣下はキャターニャが何日まで耐えきれるとお考えでしょうか」


 「そうね。可能な限り死守したとしても……、二十二の日ね」


 「失礼ながら二十三の日は」


 「無理ね。キュティル付近で南と東から押し寄せる連中を相手にしなきゃならないのよ? 本国からやっとほぼ確定の救援到着日が届いたけれど、それが来月二の日。あと約二週間を耐え抜かなければならないの。キュティルでね」


 「キュティルを取られればタレルモ。となると、救援の味方軍の上陸が厳しくなりますからね……」


 「そういう事。だから多くの損害を出してまでキャターニャで一日稼ぐよりは、キュティルで敵を抑えないといけない。だから二十二の日なわけよ」


 「そうなると、明日からは撤退の準備が必要になりそうですね……」


 「ええ。だから私はこの軍議が終わり次第、またキャターニャの防衛線に戻るわ」


 「了解しました。詳細に話して頂きありがとうございました」


 「礼はいらないわ。勝ってからちょうだいな?」


 「はっ」


 「二人の話も区切りが付いたみたいだから、今後の作戦の詳細を詰めていこう。フィリーネ少将はキャターニャに向かうわけだしねえ」


 ニコラ少将が話題転換を図ると、すぐさま司令部にいた面々によって残り二週間の作戦内容を、特に二十二の日までに関しては綿密に話し合われた。

 今後の方針は以下のようになった。


 1、南部戦線は二十の日に放棄。ただし遅滞防御戦術を用いて、敵の出血を強要する。撤退後はキュティルに合流。南部戦線の旅団はキュティル南部付近の防衛を担当。


 2、キャターニャ市街地付近及びキャターニャ西部の防衛線は二十二の日まで持久。以降は徐々に後退する。この際、敵に一撃を与えてその隙に勢力の大部分の撤退を成功させることを企図する。


 3、二十三の日以降はキャターニャからキュティルに伸びる街道及び高地部にて敵の侵攻を阻害。


 4、絶対防衛線をキュティル東部及び南部に設定。本防衛線は来月二日まで死守せねばならない。


 以上のように決定した軍議は二十時半に終了した。

 それからフィリーネとクリス大佐は馬にてキャターニャ西部の防衛線、前線司令部へと戻っていった。


 ・・Φ・・

 フィリーネとクリス大佐が到着した頃には時刻は二十二時を過ぎていた。

 彼女達が疲労の色が濃い前線司令部の面子に顔を出した後に向かったのはこの戦線では一番安全な西の方角にある、高地の麓に所在している野戦病院だった。

 そこは凄惨な状態だった。軽傷者もそれなりにいるが重傷者が多く、四肢が繋がっているのならばまだマシな方で片脚や片腕が無いものや両脚が吹き飛んだ者もいた。

 フィリーネやクリス大佐の耳に入ってくるのは呻き声や悲鳴。処置が施されていたものの、死を迎えた者の瞬間も目撃した。

 フィリーネは軍医や看護師――魔法軍医に関しては男性が多いものの女性もおり、非魔法軍医は男性ばかりだが看護師の中にはリチリア島に残った者もいた――の治療の邪魔にならないようにしながら、兵達を一人一人励ましの声をかけていった。


 「フィリーネ少将閣下……、俺みたいなのに来てくれるなんてありがとうございます……」


 「いいのよ。左肩の調子は?」


 「一発ぶち抜かれましたが貫通したおかげでなんとか。右肩は平気ですから、ここでは軽い方ですよ。明日にでも前線に出ます」


 「無茶はしないの。でも、そのやる気は嬉しいわ。ありがとうね」


 「いえ。お言葉を頂き光栄であります」


 「あなたは、法国軍の曹長ね」


 「はっ。先日ニコラ少将閣下にもお声をかけていただきました。自分は頭の方を切ってしまいまして……。目も一緒に」


 「動けるかしら?」


 「ありがたいことに動けます」


 「なら良かったわ。もし前線に戻ったとしても、キュティルに行くことになっても命は大事になさい」


 「ありがとう、ございます……。ううっ、二人の閣下にお言葉を頂戴してもらえた自分は幸せ者です」


 「泣かないの。泣くなら生き残って本土に帰還、勲章貰って故郷に戻って家族と会う時になさい」


 「は、はっ……!」


 フィリーネは軽傷者だけでなく息も絶え絶えの兵達にも見舞いにいった。声が出せないのならば微笑みを見せて頭を撫で、痛いという者には闇魔法を得意とする彼女とはいえ初級の回復魔法は容易く扱えるのでその兵にかけてあげた。

 最期の瞬間も看取った。女性兵士はフィリーネに手紙と指輪を託した。結婚を誓っていた男とのエンゲージリングだった。

 兵達はフィリーネやクリス大佐の姿と言葉に感動していた。戦闘中は悪鬼羅刹のようなフィリーネも、そこではまるで天使のようであった。女神のようであった。

 結局、野戦病院での見舞いが終わったのは日付が変わる前だった。

 直後、フィリーネは久方ぶりの休憩を終えた野戦病院を統括する二人の軍医中佐を呼んだ。場所は野戦病院内にある、今は治療薬などが保管されている会議室。一人は法国軍の女性の魔法軍医で、もう一人は協商連合軍の男性の非魔法軍医だった。


 「ラルカ魔法軍医中佐。ジェイソン軍医中佐。激務の所に申し訳ないわね」


 「とんでもありません、少将閣下。わたしも魔力を消耗していたので少将閣下が回復魔法をしてくださったのには非常に助かりました。それに、多くの負傷兵に声を掛けて頂いて」


 「フィリーネ少将閣下の優しいお言葉に彼等は強く心が癒されたと確信しています。この現状において前向きになるのは難しいですから」


 「法国だろうと協商連合だろうと、皆私の部下だもの。上官が部下を見舞うのは当たり前のこと。それより、貴方達に伝える事項があるの」


 「少将閣下直々にということは、ここの放棄ですか」


 「勘が良くて助かるわ、ジェイソン軍医中佐。二十二の日にはキュティルへの撤退が決まったわ。勿論、貴方達にはキュティルへ下がってもらうつもりよ」


 「やはりですか……。不謹慎かもしれませんが、ホッとしました。わたし達は常に医療物資や薬品、魔力回復薬の管理資料には目を通していますが、資料を見るまでもなく急速にあらゆる物資が減っていたので……」


 「正直に申させて頂きますと、死傷者が激増している現在治療が追いついていません。トリアージ、でしたか。あれも赤の者ばかりで、黒に変わる者も多く……。黄色がマシな部類です。緑なんて滅多に見ません。このままだと我々の許容量を超えてしまいますので……」


 「私も送られてくる情報を参謀が分かりやすく纏めてくれているから把握していたわ。戦力もそうだけど、これ以上は治療する側も限界だって」


 「感謝の念しかありません……。同時に、わたし、すごく悔しくて……」


 「ラルカ軍医中佐は、特に、最期を看取ることが多かったのです……」


 「そう……。良く、頑張ったわね」


 「は、はい……。あ、あああ、あああああ……」


 フィリーネは小柄なラルカ軍医中佐を抱きしめる。すると、これまで我慢していた分だけ感情が堰を切ったように溢れ出して彼女は涙をこぼして泣いてしまった。誰も彼女を責めることなど出来ない。魔法医学にも限界があるのだ。助けられる命も多いが、助けられない命も多い。いくら彼女が三十にして魔法軍医中佐までなれたとしてもこれが初の実戦での治療。精神的負担はとてつもなく大きかった。

 それでもラルカ軍医中佐は強かった。二、三分ほどすると泣き止み、フィリーネに頭を下げる。


 「お恥ずかしい姿を、見せてしまいました……」


 「いいのよ。皆ギリギリの所で頑張ってるのだもの。――話を戻しましょうか。クリス大佐」


 「はっ。ラルカ軍医中佐、ジェイソン軍医中佐。二十二の日までに撤退は先の通りであるが、生存可能性の高い重傷者から順に明日より後送を開始する。これらは後方の部隊や市民兵が担当する為に貴官等に大きな負担はない。ただし、野戦病院責任者として二十二の日ギリギリまで残ってもらう。それは軽傷者や動かせる重傷者は良くても、ここからもう動けない兵達を楽にさせてやらねばならないのと、意思確認が必要だからだ」


 「わたし、覚悟は出来てます……」


 「同じく。軍医としての務めを果たします」


 「了解した。明日、といっても既に今日か。朝には関係書類が届く。順次取り掛かるように」


『了解』


 「以上だ。何か質問は?」


 「フィリーネ少将閣下に。少将閣下は二十二の日はどうなさるのですか?」


 ジェイソン軍医中佐はフィリーネの身を案じて発言する。


 「私? 私はクリス大佐や七〇一に七〇二、損耗の少ない部隊と合同で速やかな撤退を支援する作戦に出るわ。貴方達が安全に下がれる為の」


 「…………どうかご無理をなさらず。召喚武器の悪影響は一般医学の観点から見ても、極力使用を控えた方が良いものですから……」


 「魔法医学の視点からも、その、二時間以上の連続使用は厳禁です。三時間以上ともなれば、戻れるか分かりません。禁忌に素足で踏み込むような武器ですので」


 「両中佐とも心配ありがと。でもね、やらなきゃいけない時があるから。それに、撤退支援作戦については召喚武器は一切使わないわ」


 「そうなのですか?」


 「ええ、ジェイソン軍医中佐。キュティル防衛線に備えて手札は残しておく。今回使うのはもう一枚残しておいたカードよ。これも今日の午前に、貴方達に話しておくわ」


 「了解しました。どうか、よろしくお願いします」


 「任せなさい。私が。クリス大佐が。私の大隊がこの島にいる限り一人でも多く生存させてあげる」


 兵数で三倍、火力など総合的に加味すれば五倍から六倍の妖魔帝国軍を相手にしているというのに不安の影すら無く自信に満ちた表情で言い切ったフィリーネ。

 二人の軍医中佐は、ああ、この人なら本当に成し遂げせてみせるだろうと根拠は無いが確かにそう思ったのであった。

 決行日は二十二の日。やはり圧倒的不利の展開でその日を迎えた。

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