第16話 有利になろうと彼等は決して油断せず

・・16・・

 9の月17の日

 午前11時

 リチリア島・妖魔帝国軍総司令部


 妖魔帝国軍がリチリア島に上陸して半月が経過した。

 上陸から暫くは高密度火力と激しい抵抗によって予想以上の損害を受け、制圧計画も遅れ気味で苦戦していた妖魔帝国軍であったが、『異形の中隊』投入によって戦況は妖魔帝国軍有利に傾いた。

『異形の中隊』は七〇一と七〇二、そしてフィリーネによってほぼ全ての戦力を失ったがそれ以上に大きな成果を手にしていた。

 シャラクーシ防衛線を突破出来ただけでなく、人類側にとっては手痛すぎる損害を与えた事によってキャターニャ防衛線の放棄も決意させたのだ。

 十三の日には妖魔帝国軍は二個師団でもってキャタニ川を越える攻勢を開始。同時に南側では再攻勢が始まった。十四の日には多数の部隊がキャタニ川を越える事が出来十五の日にはキャターニャ市の包囲すら開始していた。

 妖魔帝国軍にとって、人類側軍の抵抗の弱さは肩透かしを食らったような気分であっただろう。これまで散々頑強に反撃してきたにも関わらず、この三日間の抵抗は本当に同じ軍と戦っているのだろうかと思うほどである。師団長や旅団長クラスにとってはそれ程までにあの化物の投入は堪えたのだろうと推測した。

 南側の戦線は比較的緩慢だった。これは南側戦線が副次的な戦線という要素が強いのもあるが、こちらにいる人類側軍たる協商連合軍は損害が比較的少なく、今までとさして変わりない反抗をしたからである。結果、総司令官たるモイスキンからの命令がない限りは牽制程度に留めるとこの方面を担当している妖魔帝国軍師団長は自己判断した。

 明けて十七の日。この時点で妖魔帝国軍はキャターニャ市を包囲するように制圧地域を拡大。リチリア島北東部までをほぼ勢力下に置くことに成功していた。南側戦線も若干前進し、島南側の主要な町であるチェーラ東方、人類側南戦線の絶対防衛線手前までを制圧していた。

 さらに、十七の日は妖魔帝国軍の多くの将兵が待ちわびた日でもある。

 朝からまた始まった戦果報告が入る中、総司令部にて、モイスキンは喜色の笑みを浮かべていた。


 「長い船旅、お疲れ様でした。貴方達を待ち遠しく思っていましたよ、シェリンドルフ少将」


 「はっ! 歓迎感謝致しますモイスキン大将閣下! 皇帝陛下の勅命により第三十一師団師団長シェリンドルフ、一万の兵及び物資武器弾薬と共に参上しました」


 シェリンドルフは妖魔帝国陸軍の中では若い将官である。人間の見た目でいえばまだ三十代後半。灰色のやや長い頭髪が特徴で、二枚羽の悪魔族であった。

 連合王国や協商連合に比べると年功序列が幅を利かせている妖魔帝国軍において、彼は偶然皇帝レオニードと謁見する機会があり、この度のリチリア島制圧戦において援軍――妖魔帝国軍内では第二波とされている――を命じられたレオニードがそこそこ気に入っている将官の一人だ。


 「恥ずかしい話ですが人間共は私が考えるよりずっとやれる連中のようで、ついこの間まで散々だったのですよお。帝国魔法研究所の傑作である『異形の中隊』、皇帝陛下曰く『ソズダーニア』を投入してやっと今の状況を作り出せたくらいですからねえ」


 「上陸する前にクドロフ大将閣下からお話は伺っております。序盤の凄まじい火力だけでなく、皇帝陛下が目を輝かしそうな人間とその大隊によって派手にやられたと」


 「ええ、ええ。そうです。人間の名前はもうご存知ですよね?」


 「はっ。はい。フィリーネ、という女少将だそうで。魔力もそうですが、特に召喚武器が恐ろしい程に強いともクドロフ大将閣下は仰っておりました」


 「まったくですよ。あの女と率いる二個大隊によって『異形の中隊』はほぼ全て討たれてしまいました。悲しい事です」


 モイスキンは本当に悲しそうにして言った。彼にとって化物は戦果をもたらしてくれただけでなく、愉悦に浸るに十分な殺戮を繰り広げてくれたのだ。それらが死んでしまったのだから、シェリンドルフはモイスキンの心境を察した。最も、イカれた思考回路までは理解できないが。


 「しかし、フィリーネという人間にも弱点があると私は聞いております。その為に、『ソズダーニア』を投入されたと」


 「はい。まあ、まずまずという所ですよお。フィリーネがどれ程消耗したのかは判明していませんけど、島の制圧に関してはこれまでの帳尻を合わすかのように一気に進んでいますから。そこへ貴方と今までの損失を埋める一万の兵、大量の武器弾薬が届いた。喜ばしい、とても喜ばしい話です」


 特徴的なねちっこい話し方をするモイスキンは満面の笑みを浮かべていた。期限まで残す所半月となった今日現在で人類側に残された拠点はキャターニャとキュティル、そしてタレルモの三つだけである。恐らく一筋縄ではいかないであろうが、『異形の中隊』を伴った大攻勢によって人類側は多くの火砲と物資弾薬を失っているのは確認済み。そして目の前には新たな師団と、補給物資に武器弾薬。

 形勢は妖魔帝国側へと逆転し、これからは力押しでも勝てるくらいなのだから。

 しかし、モイスキンは決して油断などしていなかった。やはり脳裏に浮かぶはフィリーネと彼女が率いる二つの大隊の存在。未だに多くが残っているだろうし、たった二度の参戦だけではフィリーネが自滅することは無いだろうから手は抜けないと彼は今後の作戦について結論に至っている。この点が魔人至上主義に囚われている他の将官クラスと違うと言えるだろう。


 「ですがシェリンドルフ少将。あの人間と大隊は健在でしょうから、人間共の軍を侮ってはいけませんよ? アレらは、我々にとって非常に厄介な存在なのですから」


 「はっ。肝に銘じておきます」


 モイスキンの言葉に素直に返答をしたシェリンドルフもまた、妖魔帝国軍の中では大戦前から人間を過小評価しない数少ない存在である。彼は召喚武器の脅威を正しく認識し、レオニードのお抱えである情報機関が手に入れた連合王国や協商連合などが改革を進め戦力を増強した結果、一般火力に関しては妖魔帝国軍を上回ると冷静かつ正確な分析をしていた。

 また、彼は心中でこうも思っていた。

 自分達第二波が参戦したとしても、いかに我々が有利な戦況に変わったとしても島全域の制圧は期限ギリギリになる、と。

 なぜか。フィリーネと二つの大隊がいるからである。彼女が指揮不能にならない限り、人類諸国軍は最後まで諦めないであろうからだ。

 そして、奴らはきっと、帝都でぬくぬくと椅子だけを暖めている無能共では思いつかぬような戦法を取って行く手を阻んでくるだろう、と。

 シェリンドルフがリチリア島のこれまでの戦いを知ったのは昨日の宵である。その日の就寝前までに経過が書かれた資料を彼は読み終えたのだが、彼はモイスキンと会う短時間でここまで分析してのけていたのだ。

 モイスキンは真意までは掴めていないが、シェリンドルフの瞳をじいっ、と見つめて満足気な表情になる。皇帝陛下は良い軍人を送ってくれたとも。

 故に、モイスキンは彼に、期待していますよ。と言った後にこの部屋にいる全体へこう高らかに言い放った。


 「良いですかあ皆さん! 先日までの人間共は頑なに抵抗を続け、我らは苦渋を飲まされてきました。しかし、最早連中に初期の頃のような力は残されていません。となれば、果たすべきは一つのみです! 愚かな人間共を一兵残らず殺戮し、この島全土を制圧するのです! 降伏してきたらどうするか? 許してはなりません、なりませんよお! どんなに命乞いをしようとも殺し尽くすのです! 惨たらしい死体を晒させてやるのです! リチリアを人間共の死体で埋め尽くすのです! 何故ならば、陛下がそう望まれておられるからです! ですから殺しましょう! 殺して殺して、根絶やしにしてしまいましょう! そうして陛下の偉業を、人間共に知らしめてやりましょう!」


『はッッ!』


 部下達の迫力ある返答と敬礼にモイスキンはにこやかになり頷く。

 妖魔帝国軍の逆襲は、その勢いを増していくのは間違いないだろう。人類側にとってはさらなる苦戦を強いられるのも間違いない。

 それは、モイスキンが宣言して解散した後に、彼がシェリンドルフを呼び止めて交わした会話からも表れていた。


 「シェリンドルフ少将、例のアレはどうですか?」


 「今は船の中で大人しくしております。血肉を欲して仕方なさそうではありましたが」


 「よろしい。大変よろしいですよお。人間共を絶望へと叩き落とすアレは、量産試作品ではなくもっと手塩のかかった個別品の一つですからねえ。早くアレの希望を叶えてあげたいものですよお」

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