第11話 モイスキン大将が待ち侘びていた妖魔帝国の手札
・・11・・
9の月9の日
午前9時30分
リチリア島・妖魔帝国軍第28師団宿営地内に設置されている総司令部
「――以上のように第一海兵師団の損害は甚大であり、全体の三割を喪失致しました。また、海兵師団の救援にかけつけた第二十六師団にも死傷者が出ており両師団合計で二個大隊二個中隊の死傷者が発生してしまっております。報告は以上です」
妖魔帝国リチリア島攻略陸軍総司令部の面々は暗い面持ちで参謀からの報告を聞いていた。出航前には二週間で島の半分以上は制圧出来るだろうとタカを括っていた相手にこれだけしてやられた上に、既に上陸から一週間が経過して未だに島の二割を制圧するのみという始末だからである。
最も、妖魔帝国軍が無能というわけではない。人類側の、防衛戦でありながら積極攻勢にうちでて敵の損害を増やし結果的に戦いを長引かせたいわゆる作戦勝ちだからである。昨日と今日の二日間は立て直しを図りたいがために妖魔帝国軍側の攻勢がほとんど止み、散発的な小規模戦闘以外はリチリア島には開戦以来の静けさが生じていたのが何よりの証拠であった。
それにしても、虎の子の海兵師団の全体損害が三割を越えたというのはあまりの痛手であった。特に海兵師団師団長のドヒュトフスキー少将はいつもの勇ましさは消え失せ縮こまっていた。
その中で、唯一平然としていたのは総司令官のモイスキン大将だった。
「報告ご苦労です。いやはや、見事にしてやられましたねえ。皇帝陛下が直々に携わられた精鋭達がこの一週間で戦闘人員の多くを失い半壊であわや壊滅判定にまでとは」
「も、申し訳ございませぬモイスキン大将閣下……! 自分がいながらこのような失態を!」
「ドヒュトフスキー少将、貴方を責めているわけではありません。恐らく私が貴方の立場だったとしても似たような状態だったでしょう。下に見えてた人間共が上手だったのです。特に女将官は手がつけられなかったそうで」
「は、はっ……! 部下から証言を得ましたが、まるで邪神のようであったと。交戦して生き残った者達は、精神がかなりやられたとも……」
「ほう、それはそれは。ドヒュトフスキー少将、女将官はどんな戦いぶりだったのですか? 邪神、精神がやられた等と聞くと大変興味深い」
「女将官は双剣を装備していたのですが、これが最上位の召喚武器でありました……。尋常ならざる魔力と攻撃力もさるこもながら、奴がいた周辺の兵共はほぼ全員が恐慌状態、酷い者は錯乱や果てには失神したとのこと。奴は、嗤いながら次々と斬殺、圧殺を繰り広げ、生き残った兵共のかなりはとても役に立たない様子であります……」
「くくくくっ、はははははは! 嗤いながらですか! 人間共にもとんでもないのがいるものですねえ! まるで死んだチャイカ姉妹のようではありませんか!」
「適切な喩えであると、思われます大将閣下……」
ドヒュトフスキー少将の報告を耳にしたモイスキン大将は愉快そうに声を出して笑った。お前も似たようなものじゃないかと彼は思ったが、口にはしなかった。
「ともかく、此度の件は災難と割り切りましょう。大きな勉強代を払わされたとね。だからドヒュトフスキー少将、『私からは』処分を言い渡すつもりはありませんよ」
「か、感謝の極みにございます……」
「ですが、皇帝陛下がお許しくださるかどうかは別です。しっかり、名誉挽回してくださいよ?」
相変わらずニコニコとしているモイスキン大将であったが、目は笑っていなかった。ドヒュトフスキー少将はえも言われぬ恐怖を感じ、飛ぶような勢いで敬礼をすると。
「は、ははっ! 必ずや、必ずや挽回してみせます! 次こそは島にこびり付く人間共を屠ってみせます!」
「うんうん。それでいいんですよ。――ただ、この状況は大変よろしくありませんねえ。当初の計画では今頃キャターニャを戦場にして、理想ならば占領していた頃です。ところが未だに私達はこの狭い地域にいる。不幸中の幸いでその分防衛線は厚く一昨日の夜襲でも食い破られるような事態は避けられましたが、ただそれだけです。新たに投入可能な一個師団がここに着くのはまだ来週。ですが、待つわけにはいかないのです。私達は、敵の防衛線を尽く破壊して侵略しなければならないのですよ。人間共を一人残らず、虐殺するくらいにね。くくくっ」
モイスキン大将ただ一人だけが戦争を楽しむように笑むが、面々は黙り込み顔を下げたままであった。作戦は無い訳ではないが、フィリーネがいる以上、成功するかどうか怪しかったからである。また、切札の一つに関しても扱いづらさもあって誰も言い出せないでいる。
そんな中で沈黙を破ったのは、情報参謀のダフトフィ情報参謀、階級は中佐であった。
「モイスキン大将閣下、よろしいでしょうか」
「ダフトフィ情報参謀、どうしたのですか? 何か話すべきことでもあるのですか?」
「ええ。先程纏まったばかりの情報から小官が分析した事柄がございまして。ちょうど女将官、フィリーネに関する情報です」
「ほほーう。ぜひお聞かせください」
いかにも興味津々といった様子でモイスキン大将は彼の話に食いつく。
「はっ。フィリーネが装備するあの双剣の召喚武器でありますが、奴にとっては諸刃の双剣であると小官は推測します」
「諸刃の双剣。あの狂人にも弱点があるのは報告をいくつか聞いて察してはいますがそれほどなのですか?」
「はっ。はい。兵達から聴取した内容から、あの禍々しい黒双剣を使えば使うほど奴の狂気が増しているのが分かりました。発する言葉からも、行動からも。我々魔人からしても果てしない魔力を持っているようですから手が付けられない人間かと思われましたが、そうではありません。何故かと申しますと、撤退と同時に奴が着剣したのを目撃した者がいたのです。遠くからでしたが、確かにそうしたと申しておりました。その兵は、今日の明け方に死んだそうですが」
「なんと! なんとなんとなんと素晴らしい! 素晴らしい戦果ではありませんか!」
「ええ。つまるところ、あの女は召喚武器の双剣を長時間扱えないという事です。退いていき安全圏に行きつつある時とはいえ戦場で着剣したということは恐るべき威力を誇るからこそ対価も大きいというわけであります。恐らく連続使用も厳しいでしょうし、回復するのにも時間がかかるのでは。このような事例の武器は代償もあって今や失われましたが我が帝国でもかつてありました」
「つまりあの女将官を引きずり出す状況を作り出し、長時間かつ連続的に戦闘参加せざるを得ない状況を作り出せば!」
「自滅に誘い込めます」
「あああああ! いい、いいですよお! 最高の情報を得られましたよ! その兵の家族には一生楽させてあげてもいいほどです! 許可が下りなくても私が私費を投じたいほどです! 勲章も差し上げましょう!」
「これは勲章と遺族に対する手厚い保護に相応しい戦果です。死んでしまった兵も報われることでしょう」
「兵だけではなく、貴方もよく分析をしました! ダフトフィ情報参謀、貴方にも然るべき勲章と褒賞が得られるよう私から口添えしておきますよお! よく話してくれました!」
「ありがとうございます、大将閣下」
モイスキン大将はダフトフィ情報参謀の分析を聞いて大喜びだった。表面上には出ていないが、あの女をどうするべきか、どう対処するかは彼にとっても頭の痛い課題であったからだ。
ところが彼の分析が正しければ――実際ほぼ正確に言い当てている――フィリーネの継戦には限界があり、戦わせれば戦わせるほど彼女を破滅へと導けるというのである。
この話に、モイスキン大将ほどではないが参謀達やこの場に顔を出せた指揮官クラスも安堵と喜びが混じっていた。噂に聞き及ぶアカツキ・ノースロードよりフィリーネは厄介と思っていた彼等にとって、実は手段次第ではアカツキより容易く対処可能なのだからこの反応は当然であるだろう。
「とぉなるとですよぉ? こちらもそろそろ手札を切るべきではありませんかね? ねえ、皆さん?」
「手札……。まさかとは思いますが」
「それはすなわち、アレですか?」
「中盤以降にとどめを刺す目的で持ってきた……」
「いや、今こそ使うべきでしょう。戸惑う必要はないです。自分はそう言い切れます」
モイスキン大将の言う『手札』に対して様々な反応を示す幕僚達であったが、賛成する意見が多かった。
モイスキン大将は部下達の意見が自身に賛成であるのに傾いているのに、一種の快感を覚えていた。彼にとっては、やっと使えると感じていたからだ。
「アレを船で持ち込むのは大変でしたからねえ、無駄にはしたくないんですよお。何せ、せっかくの『帝国魔法研究所』の名兵器になりうるものですし? 少なくとも私は名兵器だと思っていますし? ねえ、ダフトフィ情報参謀?」
「出航からこれまでにアレのせいで随行した研究員が数名死傷していますし、対応に兵士が同じく数名やられています。そろそろ、牢と鎖から解き放っても良いと小官も思います」
「そうでしょうそうでしょう! アレらはきっと私を恍惚させる景色を作り上げてくれますよ! 早速海軍に連絡しましょう! 『異形の中隊』を運ばせましょうと! そして、人間共の血肉が飛沫する戦場を作り出すのです!!
「すぐに連絡します」
「ええ! ええダフトフィ情報参謀! すぐに連絡なさい!」
「はっ」
モイスキン大将が口にした『異形の中隊』と果たして何者達なのか。
それは、翌日に判明することとなる。
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