第239話



(さて、どうしようか――)


 数的優位に立ったことで、テンジの思考はよりクリアになっていた。

 厄介な闇の衣をどうにかして、灰本体にダメージを与え、殺さないように手加減を加えながら戦闘不能にしなければならない――という複雑な過程が一気になくなったからだ。


 残念ながらテンジの天職【獄獣召喚】は、人を殺すまたは拷問することに秀でている。

 だからこそ、生きて捕縛する術には向いていなかった。あくまで今の時点では。


(灰さんには申し訳ないけど……あれをやった方が早そうだ)


 今のテンジは、あの闇の力をどうにかすることだけに専念すればいい。

 もっと正確に言うならば闇の衣を纏うだけの余力を与えなければいいのだ。


 それを成すには最適な技があった。


 それさえやってしまえば、あとは水江勝成という友達がどうにかしてくれるはず。


「あぁ、重ぇなぁ。どうにかしてくれねぇかなぁ……お前ぇから殺そう、そうしよう」


 ふと、灰が地面におぼれていくように闇へと消えた。


 しん、と何度目かの静寂が戦場を包み込む。


 闇に消えた灰からは音が消える。

 そして――闇がある場所ならばどこからでも現れる。


 今は夕日も落ち、闇に支配された夜の時間。


 四方八方、どこからでも灰は襲ってくることができる。


「またか」


 消えたタイミングに合わせて、水江は全方位へ神経を研ぎ澄ませる。

 たった一つの音、殺気、威圧、すべてを逃さないように五感を自然にゆだねる。


 ふいに、背後から小さな殺気が襲ってきた。


 水江は素早く自分の背後へと剣を振るい、闇から出てくるタイミングで叩こうと動いた。


 しかし――ブンッと鋭く空を切る音だけが響く。


 少し、水江の表情が驚いたようにゆがんだ。


「フェイクか」


「ヒヒッ、死ねぇ」


 水江の前方からそんな声が聞こえてくる。

 先ほどまでの後方瞬間移動をブラフに使った、フェイントを灰は仕掛けていた。


 水江の心臓めがけて、闇の糸を束ねた鋭い槍を突き刺そうとする。


 しかし――灰の攻撃も虚しく空をきっていた。


「方向が素直だ」


 嫌な空気を察知した水江は、柔軟な体を駆使してその場に背後から倒れるように伏せていた。

 そのまま動きを一度も止めることなく、次は左手に持つ剣を灰の首目掛けて斜め上に振り切る。しかし――灰は寸前で首を後ろに反らして回避する。


 それらの攻防はあきらかに学生のそれを超えていた。


 プロの中でも一線級のプロ同士が繰り広げる戦い《それ》に近かった。

 先読みに次ぐ先読み――それだけで己の生死を駆け引きしているのだ。


 ただ、テンジも見学に来ているわけではない。



「ようやく捕まえた」



 気がつけば、テンジは灰の黒い頭を鷲掴みにしていた。


 激しい回避に次ぐ回避の攻防を繰り広げ、二人の態勢はどちらもかなり無理をしている状態だった。それに次の瞬間移動発動可能まで――あと1.5秒も時間がある。今までの戦闘経験で、再使用可能時間までおよそ五秒であることをテンジは突き止めていた。


 たかが五秒と言えるかもしれない。


 だけれども、このレベル帯の探索師ともなれば五秒は致命的な時間となる。


 一人で戦っているときにはこの五秒を作るのが難しかった。

 だけど、今はもう一人すべてを預けられる最高のプロが隣にいてくれた。


 この期を逃すテンジではなかった。



「――亡者に華を」



 あの日、あの時、酒呑童子が口に出した言葉と同じ文言だった。

 咲け、獄王刀。亡者に華を――その一節をテンジは鬼の形相で唱えていた。


 力づくで、テンジは灰を片手で持ち上げ空高く投げ飛ばした。


(軽いな……これも水江くんの能力の一部なのか?)


 妙に軽かった灰の体を不思議に思う。


 空に飛ばされた灰に逃げ場なかった。

 どこに逃げようか、自分がつかめる闇が空のどこかにないのか必死に探した。


「ヒヒッ!」


 だけど、見つけたときにはすでに遅かった。


 体の内にある心臓がドクンッと異様に高鳴った。熱くなった。何かが体内で暴れていることに気がついた。必死に闇で抑え込もうとしても、その暴れる熱さを抑え込むことはできなかった。



「咲け、亡者よ」



 その言葉がきっかけだった。


 灰の体内からあるはずのない赤と白の炎が溢れ出したのだ。

 あらゆる穴という穴から炎が漏れ出していく。


 最後には――暗闇に染まった空に赤白の大きな炎の華が咲いた。


「あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?!?」


 あまりの苦痛に、飄々と振舞っていた灰でさえ叫び声をあげていた。


 これは酒呑童子が見せてくれた拷問の業火を、テンジが真似したテンジ自身のオリジナル技だ。本物よりは威力が低いし、酒呑童子は相手に触れずとも発動することができていた。


 ただ、テンジにはそれを完全に再現することはかなわなかった。


 相手に直接触れること、そして番鬼人を発動している合間にしか使用できない。

 そういった制限はあるものの、それに似た能力として使用することができるようになった。


「あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛!?!?」


 数秒間、灰の苦悶の声が辺り一帯に響き渡る。


 そうして――灰を覆っていた闇の衣がはじけ飛んだ。


「任せるよ、水江くん」


「おう」


 鬼の姿に似つかわしくない優しい笑みを浮かべるテンジ。

 そんな友人の姿にこたえようと、水江は腰に引っ掛けていた小さな五百円玉ほどの鉄塊を手に取った。そして、灰めがけてそれを投げつける。


 肩が強いのか、野球選手顔負けの速度で鉄塊が飛んでいく。


「――【位置反転】」


 静かに水江がそう呟く。


 次の瞬間、テンジの隣から水江の姿が消えていた。

 そこにあったのはさきほど投げたはずの鉄塊だけ。


 気がつけば水江は悶え苦しむ灰に、すでにその手を触れていた。



「捕縛術――【精神干水ひすい】」


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