第224話



「――よし、16ポイント獲得だ。これでちょうど50点」


 汗一つ欠かず、息一つ切らしていないテンジは静かにそうつぶやく。

 そのまま近くに置いておいた武器ケースを拾い上げると、鉄の剣アイアンソードを労うようにケースへとしまい込んでいく。


 そこら辺には、脳天を的確に破壊され活動を停止した人形マネキンたちが地面に転がっていた。戦闘時間はほんの二、三分程度、それほどの短時間でテンジはマネキンの群れを倒し切ってしまったのだ。


 そんな一仕事終えたばかりのテンジは、後ろを振り向くと残念そうに口を開く。


「…………逃げられちゃった。まだ名前も聞いてなかったのに」


 ようやく出会えた、ニット帽を被った参加者の姿がそこにはすでになかったのだ。

 彼はテンジが戦い始めたあと、一度もスピードを落とさずにそのままどこかへ走り去ってしまった。戦闘を終えた今耳を澄ましてみても、テンジには彼の気配を感じ取ることはすでにできなくなっていた。


(さすがにこのレベルの学生ともなれば、それなりに息を潜めるやり方を熟知しているよね。だめだ、彼との情報交換はあきらめるしかないな)


 残念そうに眉を顰めながら、テンジは次のポイントを探し始めるのであった。



 † † †



(いやいやいやいや――)


 彼――井口田陽平――は、心の中でひどく動揺していた。


 荒れ果てた一軒家の庭のブロック塀、そこに背中を預けはぁはぁと息を整えている。

 探索師高校の黒い制服を着た参加者が戦いを始めても、井口田は逃げることをやめなかった。黒制服の強さなんて信じられる訳がなかったし、ましてや顔も名前も見たことないあの学生を信用できるわけがなかったのだ。それに一瞬見えた、彼が取り出した武器は格安の鉄の剣だった。


 だから、井口田は少し走った場所で見つけた一軒家の鬱蒼とした庭に慌てて飛び込んでいた。

 そのままジッと自慢の視力を凝らして、テンジの戦う姿を遠くから盗み見ることにした。


 それが彼をひどく動揺させていたのだ。


(いやいやいや…………もうトッププロレベルじゃねぇかよ、あいつ)


 思わず、井口田は心の中でそう叫んでいた。


(なんであんなレベルの学生がシード枠で本選からじゃなく、最終予選から参加してやがるんだよ。それに……あれが無名な奴の戦い方か? 意味わかんねぇよ、世界広すぎだろ)


 最初から最後まで、井口田はテンジの戦いを見ていたわけではない。


 実際に見ていた時間は最後のほんの二十秒程度だ。

 たったのそれだけの時間なのに、井口田はテンジの身のこなしがどれだけ学生離れしていたのかに気がついていた。


 自分が来年から所属する予定の日本のトップギルド【白創輝はくそうき】、そこのプロ探索師たちと井口田は何度か訓練をしてきたことがあった。正直、初日からついていけなくて今でもついていけないほどに辛い訓練だ。自分の弱さを身に染みて感じていた。


 そんなトッププロと遜色のない動きを、あの青年は目の前でやっていた。

 正直、信じられないという感情が大きかった。


(いやまぁ? 俺でもやろうと思えばあれくらいの人形倒せたし? 今回はケガして本選に出場できないことが怖かったから逃げてただけだし? まぁ俺も実質ほぼプロというか、同年代ではかなり将来有望といわれる男だし? あれくらいは余裕で倒せ……)


 そこでふと、井口田は今の自分がとてもちっぽけな存在に感じてしまった。

 なぜ同じ土俵に立つ彼を称賛せずに、どんどんと自分への言い訳ばかりが頭の中に浮かんでくるんだろうと虚しく感じた。


(――いや、これは俺の悪い癖だな)


 内心で言い訳を考えていた井口田は、静かにそんな弱い自分を否定していた。


 実際、今後の予選を考えず腰を据えて戦えば井口田でも勝つことはできただろう。

 でも無傷で乗り切るというほど、あの人形の群れは甘くない存在だった。単体での戦闘ならばそう難しい相手ではないので問題ない、ちゃんとギルドで教わった動きをすれば倒せる相手だ。


 ただ、あの程度の群れに対し一人で挑むとなるとそう簡単にはいかない。


 一体のマネキンに集中すれば、他のマネキンがすぐに背後から奇襲をかけてくる。背後だけじゃない、四方八方どこからでも奇襲を受ける可能性があった。多対一というのは、ギルドの中でもほんの一握りの優れた探索師にしかこなせないほどに難しいハードルなのだ。


(黒鵜冬樹や、他の本選シード選手がそれをできるのは分かるが……最終予選でそれをできる選手がいるなんて――やっぱ凄ぇなぁ。世界はまだまだ広いぞぉ、ってかぁ。この大会に参加してからほんと、何度俺の鼻は折られるんだろうなぁ)


 今の井口田に、三百六十度すべてを一人で常にカバーできるほどの器量はない。

 でも、そんなこと当たり前なのだ。そもそもそれが無理だからプロの探索師たちも数人、十数人、何十人とチームを組んで突然の奇襲に備えた訓練を日々している。


 多対一ができれば、そりゃあヒーローみたくかっこいいだろう。


 それこそみんなが憧れるプロ探索師の本来の姿だ。


 同世代の、ましてや自分より年下の青年がそれをやっていた姿を目の当たりにして、井口田の心はもうばっきばきに折れていた。


(やっぱいるもんなんだなぁ、同世代でもずば抜けたやつってのは。周りにちやほやされて、最終予選に出場が決まってクラスの奴らと祝勝会なんてしてきた俺とは……そもそも根本が違うってのか)


 静かに、井口田は清々しく晴れている青空を仰ぎ見ていた。


「あぁ~、かっけぇ探索師に俺もなりてぇなぁ」


 そうして今頃になってやってきた後悔の念。

 さっき出会ったあの青年と、なぜ会話一つしなかったのだと自分を問いただしたくなる。折角同世代の、それも自分よりもずっと努力し続けてきただろう探索師と友達になれるタイミングだったのに。


 この大会は自分のステップアップするためのほかにも、同世代の探索師の卵たちを知り、交友を深める貴重な場でもあったのだ。


(器用貧乏が良く着る黒制服に、武器の中でも最安値に近い鉄の剣アイアンソード、おそらく天職には覚醒しているであろう優れた身体能力に、だけどその能力には頼らない自身に裏付けされたあの戦闘スタイル……徹底してるよなぁ。あれが本物の探索師になる奴かぁ)


 盗み見ていた井口田には、彼のすべてを見抜くことができなかった。

 本選に備えて自分の能力をそう易々他人に見せないように、ちゃんと工夫してこの最終予選に挑んでいる。もちろん井口田もそれができれば良かったが、手を抜いて最終予選をクリアできるほど自分ができた人間じゃないことも知っていた。


「……予選が終わったら『ごめん』って話かけてみよう。嫌われてないといいけど」


 途端に、ひどく自分がちっぽけな存在に思えた。



 † † †



 最終予選もすでに三時間を超えたころだった。

 テンジと古籠火との間に再び念話の糸がぴんと張った。


(見つけたでぇ~。位置送らぁ)


(ありがとうコロちゃん。次こそ最速で行く)


(見張っくがぁ?)


(そうだね……一応そうしようか)


(仕方ねぇがなぁ~、桜餅一個だぁ)


 次こそは横取りされないようにと、テンジはかなり速度のギアを上げて目的の場所へと走り始めた。その間、古籠火はそのスイカの前でジッと待つことになった。


「おそらく十五分くらいで着くかな。急ごう」


 走り始めて、およそ三分が経ったときだった。


(三代目ぇ~、横取られたなぁ)


(えっ? また?)


 テンジは思わず足を止めて、眉間にしわを寄せながらこめかみを指でとんとんと叩く。


 もしかしたらテンジが想像していた最悪の展開になっているかもしれない。

 最初にコロちゃんは――ただなぁ、たまぁにいるんでぇ。人間にも霊感強ぇ奴がなぁ。そいつには見えるかもしれんって話だぁ――と、少し心配するように言っていたのだ。


 今までコロちゃんは、テンジにこの話をしたことがなかった。


 たぶんする必要がなかったのだ。

 だけど今回はなぜかその話を持ち出した。コロちゃんの危機察知能力がそうさせたのか、会場内に嫌な雰囲気を感じたのかもしれない。コロちゃんは変なしゃべり方をするが、あんまり無駄な話はしないタイプなのだ。


(もしかしてコロちゃんの存在……誰かにばれてる?)


(ずっとぉ嫌ぁな雰囲気はしていたんだがなぁ。さっきの女子おなごはうちの目を少し見たでぇ、怖くてぇなぁ念話できなかっただぁ)


(えっ、女の子って言った?)


(んだなぁ~、女子おなごだぁ。もうごごにはいねぇだぁ)


 その言葉を聞いて、テンジの脳内選択肢の中からさっき出会った年上のニット帽子をかぶった学生が消えた。つまり、あの場にはテンジと井口田以外にもう一人の参加者がいたということになる。


 素直にテンジは顔も知らないその彼女を、称賛していた。


「すごい人もいたもんだなぁ。コロちゃんが見えるほどの霊感を持っていて、今までコロちゃんの危機感知に触れずに隠密行動ができる人……相当なやり手だぞ」


 古籠火は、冬樹の幻獣「ヨモギ」と似たような性質を持つ地獄獣だった。

 冬樹のヨモギは他の幻獣よりもずっと弱く、そこら辺のモンスターよりも弱い存在として今まで生きてきた。それゆえに、危機的な場面での察知能力が生きていくうえで進化した幻獣。


 古籠火こと、コロちゃんも同じ部類だ。


 地獄の世界では、古籠火はひどく弱い存在だった。

 酒呑童子のような強者から見ればただの餌でしかない存在だったのだ。でも、コロちゃんは生きていくために必死で危機から逃れる特性を身に着けてきた。それが二代目の閻魔王に認められ、閻魔の書に名を刻まれた。


 そんなコロちゃんの危機感知を潜り抜けられるその彼女は、なかなかの強者かもしれないのだ。それに霊感があるってのも、少し気になった。彼女には一体、古籠火がどう見えているのかテンジには気になって仕方がなかったのだ。


(ねぇ、コロちゃん。このままだとずっとポイントを横取りされ続けちゃうよね?)


(だなぁ~。あのおなごはうちの瞳をしっかり見ただぁ)


(やられっぱなしは嫌だしさ、このままじゃあ効率も下がる一方だね)


(んだぁ)


 不意に、テンジは腹黒い笑みを浮かべていた。

 それに気がついた古籠火も同じようにニシシっと笑う。


(逆にこっちから仕掛けようか。折角ならその人の顔を見ておきたい)


(いいなぁ~、乗ったでぇ)



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