第225話



 最終予選が始まってから五時間が経過していた。

 総則上には「終了時間は最短で六時間」という予選の終わり時間を示す内容があったため、まだ100ポイントに達していない選手たちはじわりじわりと焦りを感じ始めていた。


 そんな中でも焦らず、じっくりと、郊外の山道を歩いてスイカのヒントを探し歩く一人の女性選手いた。彼女の手には四等級の槍武器が常に握られており、インナースーツも青い四等級を着用しているようだった。他の参加者と比べると、彼女の装備品の等級は少し見劣っていた。


 それに彼女は最終予選の中では珍しい、天職を授かっていない側の選手だった。


 それでも彼女は他の選手よりも優れた感覚を天から授かっていた。


 固有アビリティ【聴覚強化】。


 それはいわゆる負け組固有アビリティの中でもハズレといわれる部類で、外部の物へ干渉できる探索師向けの優れたものではなかった。今大会の本選シード枠で出場予定の稲垣累が持つ【雷槍】のように直接の戦闘力もなければ、テンジの固有アビリティのように物へ干渉できるような能力ではない。


 ただほんの少しだけ耳が良くなる。

 そんな些細な変化しか本人には恩恵をもたらさない。


 だけど、彼女にはこの固有アビリティが合っていたのだ。

 大学生のころに突然自分が固有アビリティ持ちだったことが発覚し、彼女はたったの数年でここまで駆け上がってきた。正真正銘、天才の部類に入るだろう。


「あっ、これ以上はダメだ。罠がある」


 その女性は足を止めて精神統一するように耳を澄ませていると、不意にそんなことをつぶやいていた。そのままくるりと進行方向を変えると、彼女はどこかへ歩き去っていった。


「なんだ……あのお猿ちゃんはてっきり大会運営からのヒントか何かかと思ってたなぁ。もしかしてあのお猿ちゃんは他の選手の能力だったのかな? そんな能力なんてあるの? それともここら辺の地縛霊だったのかな。まぁいいか、これ以上は関わらないようにしよう。ポイントの横取りって言われたら嫌だからねぇ」


 こうしてあっさりと、テンジが仕掛けた罠を回避してしまうのであった。

 もちろんテンジはそんな彼女の天性の能力など知らない。



 † † †



 太い木の幹に腰を寄せ、縮こまって体育座りをしていたテンジ。


 古籠火を見ることのできる例の彼女をおびき出すために罠を周囲に張ってから、ここで待ち伏せをし早45分が経過しようとしていた。いくら経ってもやってこない彼女に思いを馳せながら、テンジはしんと静り返った郊外の森で晴天の空を仰ぎ見て、のんきに歌を歌っていた。


「ある~日、もりのな~か、くまさ~んに~、でああ~た~、はなさ~くも~り~の~み~ち~、くまさ~ん~に~、でああ~た~…………来ないなぁ」


 テンジが楽しそうに歌っていると、テンジの頭上で昼寝をしていたコロちゃんがむくりと起き上がった。ふわふわと浮かび上がると、テンジの目の前であくびをしながら聞いてきた。


(三代目ぇ~、そんなにぃ会いてぇのかぁ熊に)


「熊には会いたくないなぁ」


(すいかぁは探さなくてぇええけぇ? 今ぁそれを見つけるぅ競争をしてるんだらぁ? 三代目がぁ負けるらぁ嫌だぁぞうちは)


「大丈夫だよ。たぶんこの予選は長丁場になるだろうし、少しは休憩も取らないとね。ずっと気を張ってたらそれこそ僕の集中力がもたないよ。こういう優雅な時間も大事大事。人間はコロちゃんたちみたいに休憩せずに、常に百パーセントのパフォーマンスなんてできないんだから」


(人間は不便だらぁ)


 コロちゃんは再び、テンジの頭上へとふわふわ移動していく。

 テンジもふんふふ~んとのんきに歌を歌いながら、周りの草木が揺れ虫が鳴く心地よい音に身をゆだねていた。この手にお菓子でもあれば、優雅な三時のおやつタイムになるのになぁと思っていた。


 まさにそのときだった。


 森にそびえたつ背の高い木々よりも、さらに上。

 真っ青な上空を、赤い影がゆっくりとよぎったのだ。


「えっ、なにあれ」


 あまりの不相応な光景に、テンジは思わず軽く目を瞠っていた。


 大会中とは到底思えない人影が空を堂々と飛んでいたのだ。

 赤い衣服を着飾り、その衣装の裾は白くふわふわとした柔らかそうな素材で彩られていた。頭には赤と白のとんがり帽子をかぶり、白くボリュームのある髭を蓄えたおじいさんの仮装をした男性だった。そこに赤鼻のトナカイはいないようだが、おじいさんは木製のそりにまたがって空を優雅に飛んでいた。


 そして、そのそりの下部には大きな白い袋に包まれたプレゼントが三つぶら下がっていたのだ。


 テンジはふと気がついたように、ぼそっとつぶやく。


「あっ、今日クリスマスじゃん。サンタさんの日だ」


 思えば、最終予選の今日は12月25日だったのだ。

 これもまた観客を楽しませたい鵜飼蓮司の用意したイベントなのだろう。ただ、あまりにも大会の雰囲気に似つかわしくない演出に選手側はどう思っているのだろうか。


 少なくとも、鼻歌を歌っていたテンジにはこう映っていた。


「さすが鵜飼さん……やっぱり最高の英雄ヒーローだよ! 最高の演出だよ! 最高にわくわくさせてくれる、これが鵜飼蓮司の真骨頂だよ!! プロだなぁ」


 声高らかにそう言葉を発すると、テンジは喜々と立ち上がっていた。

 お尻についた土埃と草をぱたぱたと叩き落とすと、ぐぐっと大きく背伸びをして体の凝りをほぐしていく。そして気に立てかけておいた武器ケースを拾い上げると、左肩にそれをかける。


「さて、サンタさんは僕たちにどんなクリスマスプレゼントをくれるのかな。お菓子か、お肉か、お魚か、缶詰か。ただなぁ……」


 そこで言葉を濁したテンジに、コロちゃんは思わず聞き返す。


(なんだぁ?)


「いやあねぇ……どう考えてもプレゼントの数が足りないような気がするんだよね。だってさ、選手全員に渡したいなら最初から物資としてバッグの一つでも渡せばいいだけじゃん」


(確かにだぁ)


「だけど、今回は物資の持ち込みは禁止でペットボトル一つ持ち込めなかった。持ち込み可能なのは戦闘で使う武器や小さなアイテムだけ。鵜飼さんは僕たちにプレゼントの奪い合いをさせたいんじゃないかな?」


 確信を得たテンジは、すぐに真っ赤なサンタを追い始めた。


 お昼の三時というお菓子タイムに現れた雰囲気ぶち壊しのサンタクロース。


 彼はこの最終予選をかき乱そうと会場の空に現れ、選手を惑わせる。


 選手同士での戦闘行為はできない。

 つまり、完全な早い者勝ちでの物資争奪戦が始まろうとしていた。


 空腹に襲われていた参加者たちは、一斉に動き出す。



 † † †



 サンタクロースは一つプレゼントを落としていくと、さらに十分ほど飛んでは落とし、また十分ほど飛んではプレゼントを合計で三つ落としていった。参加者52名のうち、物資を手に入れられるのはたったの三名。


 その白いプレゼント袋は小さなパラシュートによって、ふわふわと風に流されながらゆっくりと地面めがけて落ちていく。テンジはあえて一つ目と二つ目のプレゼントを見送り、三つ目の物資へチャレンジを仕掛けることにした。


(競争相手は……五人だね)


 ものすごい速度で走りながらテンジは瞳を赤く輝かせると、近くまで来ていた選手たちの動向を確認する。五人全員が森の中での走り方を心得ているようで、誰も自然の驚異に足止めされることなく一直線に障害物をよけながらプレゼントめがけて走っていた。


 本当に誰も足を止めない。

 ギルドや学校で訓練してきたであろう洗練された動きで、森の中を五人が駆ける。


(さすがにこのレベルで後れを取る人もいないか)


 学生のレベルの高さにテンジは素直に驚いていた。

 それこそマジョルカでも通用するかもしれないレベルに、この五人は到達していたのだ。だがマジョルカに行くには、運と、本物の実力がいるのもまた事実。少なくともその二点でテンジは彼らよりも勝っていた。


(さて、どうしようかな。このまま走れば五人全員が接戦になりそうだ)


 すぐに気持ちを切り替えると、周りの選手たちにどうやって競り勝つかを考え始める。

 ここから普通に視界でとらえられているのは二人、一人は探索師高校の白制服を身にまとっており、もう一人は探索師高校の青い攻撃役の制服を身にまとっていた。他にもテンジは三人の選手の動向がその目で確認できていた。


 不意に、白制服の青年がにやりと笑みを浮かべる。

 青と黒の制服を着る近場の競争相手を見て勝ちを確信したのだろうか。


 逆に青い制服の青年は苦虫をつぶしたように白制服を見ると、突然口を開いた。


黒豪こくごう先輩っ! あれを半分ずつにしませんか? 俺が他に追っている選手を妨害するので、黒豪先輩はあれを奪取してください! 大丈夫です、事前に攻撃行為に抵触しないギリギリのラインを確認したので俺ならできます!!」


「2:1ならいいぞ、成哉せいや。ポイントがあれば俺が全部もらう」


「くっ……それで構いません! 共闘しましょう、確実に物資を手に入れるために! このまま黒豪先輩は物資を、俺はこっちをやります」


「任せろ、確実に物資は手に入れてやる!」


 三つ目のプレゼントを追う他の参加者にも聞こえる声で共闘を宣言すると、青い制服を着た学生がぎらりと鋭い視線をテンジへ向けた。そしてじわじわとその距離を近づけてくる。


 不意に、その彼が話しかけてきた。


「あんた本当にうちの学生か? 何年生だよ? てか黒ってふざけてるのか?」


「三年生だよ、黒豪くんと同じ。あと……ごめん、お世話になってる人がたぶんふざけた」


 妨害する気満々の彼へ、テンジは冷静に答える。

 それと同時にリオンの卑しい笑みを思い出し、本当に申し訳なさそうに謝っていた。


「げっ、先輩かよ!? てか、なんで俺も知らない生徒が最終予選に参加してるんだよ! その制服誰かから買ったのか? 本当はうちの学生じゃないんだろ、ブラフだろそれ」


「えっと……本当に探索師高校の生徒なんだけど」


 少し困ったように眉を顰めるテンジ。

 でも、確かにテンジは日本探索師高校に通っていた期間がそれほど長くない。入学してから数か月後にはマジョルカへと渡り、その後数か月をマジョルカで過ごし、またすぐに海外のダンジョンで一年近く訓練を行ってきた。彼がテンジを知らずとも、それは仕方のないことだった。


 困った表情を浮かべるテンジへ、赤制服を着た彼は突然ぴったりと幅寄せするように体をくっつけてきた。そしてぐっと体幹へ力を籠めたのがわかった。


「すまんな、偽物先輩! 俺はあんたのこと知らんから、情もない。ここで落ちてくれ」


 ドンッ、と彼が力強くテンジへとぶつかってきた。



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