第218話



 テンジが案内されたのはアリーナの地下にある小さな控室だった。

 どうやら今大会では選手一人一人に個室が与えられ、そこで最終予選に関する説明を受ける運びとなっているようだ。例年は大部屋に集まるか、ホテルのホールで一か所に集められて予選の内容を聞くはずなので今年は少し違う流れとなっている。


 案内係の人に「現在、担当者が順番に説明に回っておりますので今しばらくお待ちください」と言われたテンジは、控室でクッキーとインスタントの紅茶を片手に閻魔の書を見返していた。


の制限解放までは残り4レベル、か。明日の予選までにはこの状態異常から脱しておきたかったけど、やっぱり時間が足りなかったなぁ」


 およそ一年弱の期間。


 テンジは零等級探索師のリオン、そしてオーブラカの両名とともに零等級ダンジョンの中で地獄の修行じみた訓練をこなしてきた。学生ゆえに足りなかった探索師としての基礎技術やプロとして生きていくうえでの重要な判断力、異常なほどにアンバランスだった身体能力を扱う方法を必死に学んできた。


 それこそマジョルカにいた時とは比べられないほどに、テンジは一人の探索師として成長することができた。


 新たな赤鬼、青鬼の地獄獣も加わった。

 さらに赤鬼や青鬼とも異なる――これまでの流れを覆すような新種の地獄獣【霊魂種】も召喚できるようになった。


 レベルはこの一年弱で四つ上がった。

 新たなスキル『番鬼人』も使えるようになり、戦闘の幅がぐんと広がった。


 しかし――。

 テンジは未だに『代償』の支払いを終えることができていなかった。


 ――――――――――――――――

【名 前】 天城典二(代償状態)

【年 齢】 18

【レベル】 11/100

【経験値】 5,600,063,000/10,000,000,000


【H P】 7,281( 11,032+18)

【M P】 7,260( 11,000+18)

【攻撃力】 7,260(513,500+18)

【防御力】 7,281(513,533+18)

【速 さ】 7,271( 11,018+18)

【知 力】 7,296(513,500+18)

【幸 運】 7,279( 11,029+18)


【新固有】 酸漿かがち


【天 職】 獄獣召喚(Lv.11/100)

【スキル】 閻魔の書、獄命召喚、番鬼人

【経験値】 5,600,063,000/10,000,000,000

 ――――――――――――――――



 代償によるテンジへの影響はいくつかあった。


 一つは代償直後にやってきた地獄の拷問だ。

 約十日の間ずっとテンジは体の内から地獄の業火に炙られ続け、何度も死の淵を彷徨うことになった。稀にあの日の苦痛を思い出すと、パニックに陥ってしまうほどのテンジにとっては記憶の奥に刻まれる過去になっていた。


 そして二つ目はステータスに関わる状態異常デバフである。

 これは天職の特性自体に作用しているようで、レベルが15に達するまでこの制限は解除されないと炎鬼がテンジに教えてくれた。


 また、召喚獣の使役数により付加される『付加値』の一時的な封印によって、テンジのステータスパラメーターほぼすべてが「1,1000」で固定されてしまう状態異常にも汚染されている。さらに経験値取得のマイナス補正値が付与される状態異常により、この一年弱でたったの四つしかレベルを上げることができなかった。


 そして最も重い制限。

 それは地獄獣の召喚数に大幅な制限がかかることであった。



 ――――――――――――――――

【地獄領域】

 赤鬼種: 20,000/20,000

 青鬼種: 20,000/20,000

 霊魂種: 20,000/20,000

 ――――――――――――――――



 五等級の地獄獣を使役するのに消費する領域のマスは1つ。

 四等級の地獄獣を使役するのに消費する領域のマスは2つ。

 三等級の地獄獣を使役するのに消費する領域のマスは4つ。


 本来ならば軍隊にも近い地獄獣を召喚できるようになっているはずなのだが、今のテンジはたったの数体ずつしか召喚できないように規制を受けていた。正確に言えば、今のテンジでは合計で十六体の地獄獣しか召喚できない。


 そうは言ってもステータスだけを見れば、テンジは明らかに一級探索師に並ぶ素養をすでに持っていることになる。一級探索師にもしステータスがあるとするならば、およそ7000前後が彼らの数値になるからだ。


 ふと、テンジは左腕に巻かれた黒いゴム状のアクセサリーに目をやる。

 シリコンのような幅五センチほどのバンドに、七つの紫陽花色の宝石が埋め込まれたダンジョン産の希少なアイテムである。


「うん、正常に効果を発揮してくれているみたいだ」


 零等級アイテムのそれは、正式名称『紫陽花毒』と言う。


 オーブラカ曰く、「詳しくは知らないが、これが体に触れると数秒間は力が半分程度しか発揮できない秘蔵のアイテムだ。……たまに敵に投げて使ってた」という代物らしい。売れば数億円はくだらないであろう希少なアイテムを適当に投げることなんて、世界を見渡してもアイテムコレクターとして有名なオーブラカくらいなものなのだろう。


 それに、これほど貴重なものをほいほいと人に渡せるのもオーブラカくらいなものだ。たった一年弱の付き合いだが、テンジはオーブラカがアイテムの価値を過小評価しているきらいがあることを知っていた。というか、彼はまるで湯水のように国宝級のアイテムを消費してしまうのだ。


「怪我をさせないように、か。オーブラカさんらしいな」


 オーブラカがこれをテンジに渡したのには理由があった。

 テンジが大会で力を上手く制御できなかったときのことを考え、出来る限り他の参加者に怪我をさせないようにという彼らしい配慮があったのだ。


 現在のテンジでは付加値を制限されているとは言えども、素の状態でさえ一級探索師の上をいく力を扱うことができる。そんな状態でもし参加者に手加減の無い攻撃をしようものならば、怪我では済まない可能性だって十分にある。


 この大会の前提として「学生レベル」だから許されている節があるのだ。


 その学生レベルに、正直今のテンジはそぐわない。

 彼を一線級のプロだと表現するのが最も正しいのだから。


 そういった理由もあり、オーブラカはこのアイテムをテンジに渡したのだ。


「でも……これで僕もそれなりに本気でこの大会に挑める。やっぱりシーカーオリンピアに参加するなら天職のみの力に頼るだけじゃなくて、僕の努力を見て欲しい。この一年半で培ってきた探索師としての素質を見て欲しい。それから立派な探索師になるんだ」


 誰かに願うように、テンジは拳をぎゅっと握り締める。



 † † †



 コンッ、コンッ。


 控室に用意されていたクッキーをリスのようにぽりぽりと齧っていると、控室の扉がノックされた。つい気を抜いていたテンジはクッキーを勢いよく飲み込んでしまい、思わず気管に詰まらせてしまう。


(んぐっ!? 詰まった!?)


 必死に胸を叩く中、ドア越しに男性の声が聞こえてくる。


「最終予選の説明に参りました。入ってもよろしいでしょうか?」


「…………」


「天城さん? ご不在ですか?」


「…………ぃぃ」


「テンジくん!?」


 ドンッと勢いよく扉が開かれた。

 苦しそうな返事を聞いて慌てて入ってきたその人物は、驚くほどにガタイがよく、そしてとても優しそうな雰囲気を纏っていた。


 彼の目に入ってきたのは辛そうに水を飲み干し、涙目になりながらリスのように縮こまったテンジの間抜けな姿だった。それを見た彼はほっと胸を撫でおろす。


「良かった、本当にびっくりしたよ。何かあったんじゃないかって勘繰っちゃったじゃないか。それにしても……何があったの?」


 辛そうにしているテンジの背中を優しく擦ってあげる彼の顔を見て、テンジはさらに驚いたように目をまん丸と見開いていた。まるで幽霊にでも出くわしたかのような反応だ。


「うっ……あ、ありがとう」


「あ、治った? 良かった、良かった」


 ようやく詰まりが治ったテンジに優しく微笑んでくる彼は、この再会を本当に楽しんでいるように見えた。そして少々のしてやった感を顔に滲ませる。

 テンジは彼の顔を見たまま口をぽかんと開けていた。そんなテンジなどお構いなしに彼は語り始めた。


「それにしても出場選手欄にテンジくんの名前があったときは本当に驚いたよ。まだまだ協会では新人な俺だけど、嬉しくってついついこの説明役に立候補しちゃった」


「えっと……だよね?」


「うん、そうだよ。久しぶりだね。チャリオット入団試験の打ち上げ以来だから……もうあれから一年半も経つのか。会って最初になんと言おうかずっと迷ってたけど――」


 協会からの説明役としてやってきた草津郷太は少し間を置く。

 そして本当に心の底から嬉しそうな笑顔をテンジに向けた。


「俺、あれから真剣に将来について考えててさ。やっぱり水江くん、立華さん、テンジくんと四人で頑張ったあの日のことが忘れられなかったんだ。だから――俺は探索師を支える側で頑張ろうって決めたんだ」


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