第216話



 マジョルカは終わりを迎えた。

 ゲートは完全に出入り口を閉ざしてしまい、もう誰一人としてゲートの先にある異世界と称されたダンジョンへと入ることは叶わなくなってしまった。


 マジョルカ共和国は独立したばかりの小国であり、その経済の柱はダンジョンに委ねられていた特殊な国家だった。しかし、その柱が崩壊してしまったことで今後マジョルカ共和国はどうなってしまうのか、現在の報道はそれが中心となっていた。

 元々スペイン領にあった島であったのでスペインに戻るのか、それともこのまま国として継続していくのか。それはまだトップ同士が協議中であるとテレビでは報道されている。


 国民たちは今、自国がどうなるのか島で静かに見守っていた。


 そんな中でもマジョルカ滞在していた一部の探索師たちは、それぞれの仕事を全うするべく別の国のダンジョンに向かってどんどんと国を離れていった。

 探索師の生きる国はダンジョンのある国でなくてはならないのだ。その候補先に上がったのは、やはり世界でも随一のダンジョン大国である日本が多かった。


 そしてマジョルカエスクエーラへと留学に来ていた総勢225名の探索師の卵たちは、ほぼ全員がそれぞれの母国へと帰っていった。アメリカやセネガル、フランスや韓国などそれぞれの国からすぐに帰還命令や帰還指示が送られてきたらしい。

 日本から来ていた黒鵜冬喜や蛇門飛鳥の二人も同様に、日本のJSAから準備ができ次第日本へと帰還するように指示書が送られてきていた。


 探索師の卵たちには、ダンジョンの無い国で無意味に滞在する意味がないのだ。


 彼らは今後の世界を代表する探索師へと必ず成長するだろう。

 そんな才能を眠らせておく時間など、国にとってはないも同然なのだ。


 そして――天城典二はリオンらとともに日本へとすでに帰国の途に就いていた。



 † † †



 マジョルカから帰国したテンジは翌日から海童に指示された通りに、精密な検査を御茶ノ水ダンジョン前総合病院で受けることになった。担当は面識のある七星先生であったので、テンジも気楽に検査を終えることとなる。

 そうして身体への異常がないことをしっかりと確認したテンジは、その足で真っすぐリオンの探索師事務所へとやってきていた。


 運悪くそこにリオンと千郷の姿はなかった。

 千郷は仕事が入って、今は少しばかり忙しい毎日を送っているらしい。リオンはどこで何をやっているのか誰もわかってはいなかった。


 それでも事務所には常駐している海童がいたので、テンジの応対してくれていた。

 二人はクッキーを挟みつつ、高級な茶葉を使用した紅茶を嗜んでいた。


「ごめんねー、リオンと約束してたんでしょ?」


「はい、そのつもりだったのですが……」


「ほんとごめん。たぶん忘れてるのか、それとも最近海外にいることが多かったからそっちのルーズな時間感覚に慣れちゃってるんだと思う。ほら海外の人って結構時間にルーズでしょ?」


「ははっ、確かにそうですね。マジョルカでもルーズな人は結構多かったイメージあります」


 そんな導入から、二人はマジョルカでの出来事だったり、海童がエジプトでチキンをたらふく食べた話などをして二人は久々の会話に盛り上がっていた。

 テンジにとっては海童はとても話しやすい大人の一人で、クッキーと紅茶一つで陽が夕日に変わるまでずっと話し込んでしまうのであった。


 海童は紅茶を最後まで飲み干すと、どこか遠くを見るような瞳に変わる。


「はぁ、俺もマジョルカ行きたかったなぁ。まさか人生で一度も行くことなく、ダンジョン閉鎖しちゃうなんて想像もしてなかったよ」


「確かにこんな事態誰も想定していませんでしたもんね。そういえば今度、レモネードのおじさんが日本に来るんです。なんでも食材の調査に来るとかなんとかで。東京にも来るって言ってたので、そのとき海童さんも会いますか? 僕としてぜひ海童さんを紹介しておきたいんです。本当に美味しいんですよ! おじさんの作るレモネード」


「いいねぇ! テンジくんの話を聞いてずっと気になってたんだよ。じゃあ日程決まったらチャット入れといてもらえる? 絶対に予定合わせるからさ」


「はい、わかりました!」


 海童は食への追及というか、執着心が強いきらいがあったのでテンジは一度おじさんを紹介したかったのだ。もちろん海童は快く承諾してくれるどころか、凄く乗り気だったことにテンジは気分を良くする。


 海童は美味しいレモネードを飲めるし、おじさんは太い顧客を手にできる。

 そしてテンジはここに来るたびに美味しいレモネードが飲めると、ちょっとだけ腹黒い計画を立てていたのであった。


 そうして二人が話し込んでいると、


「ただいマーマレード」


 寒いダジャレを言いながらリオンが事務所に帰ってきたのだ。

 千郷もよく寒いダジャレを言いながらただいまを言うので、やっぱり二人は似た者同士なんだとテンジはこっそりと思っていた。

 玄関を抜け、事務所エリアへと入ってきたリオンはテンジと不意に目が合う。


「あっ、忘れてたわ。すまん」


「いえ、大丈夫ですよ。僕の方こそ変なタイミングに来てしまいすいません」


 そんなテンジの謙遜の言葉など耳に入ってこないと言いたげに、リオンはソファにどてんと腰を掛けスマホのゲームを起動する。そして鼻を大胆にほじりながら、大きい得物を捕らえるとゴミ箱に向かって放り投げた。


あまね~、コーラある?」


「いつものビンでいい? それとも缶にする?」


「ん~……ビンの気分だ」


 適当にそう答えると、リオンはちらりとテンジの顔を見る。


「で、話しってなんだ? つまらなかったらぶっ飛ばす」


「僕にユーモアがあるなんて本当に思ってますか?」


「いやぁ、ミジンコも思ってない。とりあえずコーラ待ちだな、話はそのあとだ。喉が渇いて話しどころじゃねぇわ」


 本当に普段は適当な人だなと思いながらも、テンジは対面にあるソファへと座る。


 リオンはちらりと目をやるも再びゲームの画面へと視線を落とすと、「おっ!?」「そっちかよ!?」「ヘッショキタぜ!」とか一人で盛り上がり始めた。そうして間もなく海童がビンコーラをキッチンから持ってくると、二人の間を持つように妻側の一人掛けソファに腰を掛けた。


 リオンはコーラを一気に半分ほど飲み干すと、下品に「げふっ」とガスを吐き出す。


「さぁ、面白い話をしろ」


 妙に圧を放ちながらテンジへと言い放つ。

 それでもこの数か月で見違えるほどに成長したテンジは、まったく億すことなく口を開く。そんな成長した度胸に、リオンは少しばかり残念そうな顔をしていた。


「僕、もっと強くならなきゃいけないんです」


「で?」


 その言葉に興味を示したのだろうか。

 リオンはゲームアプリを閉ざすと、大仰に足を組んでテンジの目をじっくりと覗き込んだ。


「リオンさんは九王について調べていますよね?」


「あぁ」


「僕はもしかしたらその九王なんじゃないかと、あのモンスターとの戦いで気がつきました。思い上がりかもしれません。それでもその可能性があるのなら僕にはあまり時間がない気がしたんです」


 その言葉の意味を噛み砕くように、リオンは僅かに間を空ける。再びコーラに口をつけると中身を全て飲み干し、そっと机の上に置いた。


 鋭い視線がテンジに向かう。


「なぜそう思った? きっかけは」


「モンスターが僕の名前を呼びました。モンスターの言葉がなぜか理解できました。地獄獣たちが僕のことを王と呼び始めました。伊吹童子がモンスターのことを現世の王と呼びました。……リオンさんが僕に興味を示しました」


「ははっ、面白い冗談だ。まぁだが、否定はしねぇよ」


 少しおちゃらけた雰囲気でリオンは答える。


「九王って何なんですか? リオンさんはこの世界で誰よりも詳しいんですよね?」


「さぁな、俺もさほど知らねぇよ」


「え?」


「知ってることは他の奴とそう変わらないさ。『九人の王が集いしとき、世界は変革のときを迎える』ってやつだろ?」


「そうです」


「一人は黒鵜冬喜、そしてもう一人ジェイの秘蔵っ子が王ってことは把握している。お前はどっちだろうな?」


「どっち……とは?」


「…………あの言葉には続きがある『九人の王は九つの獣を滅ぼす剣となる。九つの獣は九人の王を滅ぼす盾となる。十王は全てを微笑む』――さて、テンジお前は何者だ?」


 リオンは異常なほどに真剣にテンジの顔を見た。初めて聞くその言葉にテンジは戸惑っていた。


 リオンが自分に問いたいことは何なのかを考える。

 しかし、今のテンジにはその問いにどんな意味が含められているのか全く分からなかった。


「リオンさんが僕に何を聞きたいのかは分かりませんが、僕は僕です。僕の意志で、僕は探索師になりたいです。夢だったんです、僕にとってのヒーローなんです、探索師は僕のあこがれなんです。これじゃあだめですか?」


 ふっ、とリオンは鼻で笑った。


「まぁ、そんなこったろうと思ってたよ。そもそも俺だって九王については分からないことが多いんだ。お前がわかるわけないよな。もし何か言ったらこの場でぶっ殺そうと思ってた」


「ぶ、物騒な……」


「はははっ、まぁお前が本当にこの何者かなら俺なんて一捻りで殺されるだろうよ」


「そのぉ……九王もリィメイ学長の言っていた役割なんですか?」


「さぁな、自分の人生の役割なんて自分で決めりゃあいいじゃねぇか。俺は自分の役割なんて信じてない、俺は俺の人生を生きるつもりだからな。あ~あ、やめやめこの話、つまらん!」


 リオンはこれ以上の重たい話はこりごりだと言いたげに、キッチンへと自分で歩いていくと二本目のビンコーラを持って戻ってきたのであった。そうして再びテンジの目を覗き込むように睨んだ。


「さっさと本題話せ、ゲームの時間が削られる」


 相変わらずな自由奔放さに、テンジは思わず微笑んでいた。


「マジョルカに発つ前、リオンさんとシーカーオリンピアに参加するという約束をしましたよね?」


「したな」


「あれが延期されたのをご存じですか?」


「もちのろん」


 シーカーオリンピアとは、千郷が素人ながら参加したあの大会のことだ。

 通常、シーカーオリンピアは三年に一度開催される。だがしかし、マジョルカエスクエーラが消滅し少しばかり探索師業界が忙しくなり始めた。その結果、一年間の延期が発表されたのだ。そして、出場できる年齢制限の緩和も同時に発表された。


「それまでの一年間、僕に指導をお願いしたいのできませんか?」


「仕方ねぇなぁ」


「ですよね、無理ですよね……えっ?」


「んぁ?」


 あまりにすんなりと承諾したことにテンジは一瞬固まった。

 なぜか無理が前提で話を進めたテンジに対し、リオンはぽかんと口を開く。


「……いいんですか?」


「義理はねぇがな」


「本当にいいんですか!?」


「いいが、条件はある」


「何ですか?」


「まずは千郷を自分で説得しろ。あいつはお前を弟子だと思ってるからな、自分で言え。あぁ、リオン様の方がいいのです!! って神に祈るように説得しろ」


「が、頑張ります」


「あとはスマホ没収、武器没収、俺の指示は絶対、靴を舐めろと言ったら靴を舐めろ。場所はアルプスにある一等級ダンジョン、期間は一年間、一度もダンジョンから抜け出すことは許さない。寝食全てをダンジョン内で完結させろ。短期間しかないからな、俺とオーブラカの二人ですべてを叩きこんでやる。寝る暇もないと思え」


「は、はい」


「一度でも弱音吐いたらぶっ殺すし、契約を破棄する。いいな?」


「は、はい!」


「決まりだ、明日の明朝出発する。帰って準備しろ。マジョルカ同様、お前がいない間の妹の世話は海童に任せる」


「あ、ありがとうございます!」


 テンジはリオンに物理的に尻を蹴られると、足早に事務所を後にするのであった。

 言われた通りに家に帰ってから真春への説明と、千郷への説得を延々と行ったのであった。



 † † †



「リオンが珍しいね」


 テンジが事務所を去ると、二人の会話を静かに見守っていた海童がようやく口を開いた。そんな海童の反応に面倒くさそうだと思いつつ、リオンは言った。


「想像以上に『九つの獣』は強かった。正直俺らでどうにかなると思ってたが、どうにも無理らしい。弱ってあれだったんだ、万全のやつらには俺らなんて歯が立たないだろう。だから――早急にあいつらを仕上げる必要がある」


「俺にできることは?」


「冬喜とテンジに最大限のサポートをしろ。ジェイの方はあっちでなんとかすると言っていたから心配ない。あとはお前が俺に近づいた目的を遂行していれば文句ない」


「そうだね、姉さんを早く見つけないと」


 海童はそう言うと、棚に立てていた写真立てを優しい眼で見つめた。

 そうしてはっと気がついたように海童は立ち上がると、自分の事務机から二枚の書類を取り出した。


「行く前にここにサインお願いね」


「なんだこれ」


「冬喜くんとテンジくんの推薦書だよ」


「あぁ、そっちの手続きは頼む」


 手際よくリオンはサインを綴ると、二枚の書類を海童へと返すのであった。

 その後、海童は二人分の飛行機チケットなどダンジョンまでの交通手段を全て手配し、寝る間もなく空港へと二人の見送りに向かうのであった。


 こうしてテンジは――再び海外へと旅立った。



 † † †



 あれから目まぐるしく日々が過ぎていき――。



 テンジにとって見ればあっという間の一年が経過していた。


 ときには500mlのお水一本片手に奈落の底に落とされたり、零級探索師二人の攻撃を延々と受け流し続ける特訓をしたり、探索師としての基本技術や応用技術をみっちりと訓練してきた。プロの探索師としてだけではなく、その中でもトップに立つ二人の技術を寝る間も惜しんで必死に盗み続けた。


 その道中でレベルもかなり上がった。

 新たな地獄獣も加わり、【獄獣召喚】の練度は確実に向上した。


 人生の中でもこれほど地獄だった日々は無かったと思う。

 そんな感想を心の中で呟きながら、テンジは約一年ぶりの朝日を拝むこととなった。想像以上に刺激的な太陽の光に思わず手で目を覆ってしまう。


「ははっ、太陽の光がこんなに恋しかった日々はないよ」


 久しぶりの太陽の心地よさが体をぽかぽかと温めてくれる。

 体の内の細胞が喜んでいるような気がした。


「さぁ、帰ろう。日本に」




 もう間もなく、日本では三年に一度のシーカーオリンピアが開催される。


 その中でもっとも注目されている分野は、昨年出場年齢の緩和が発表された16歳から22歳までの日本中の探索師を目指す優秀な卵たちが集い、そして競い合う、一昔前の甲子園やオリンピックに代わる祭典――シーカーオリンピアU22――の部門である。


 まさに今、日本中は前夜祭の様相を見せていた。

 日本中の国民がこの祭典を楽しみにしている。

 その祭典にテンジは一人の探索師の卵として参加するのである。


「みんな元気かな、早く会いたいな」




―――――――――――――――――――――――――

【4章 あとがき】

 これにて、第4章『マジョルカ編(下)』が完結となります。

 次話より、第5章『シーカーオリンピア編(上)』が始まります。

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