第215話
得体の知れない叫び声を聞いて、四人は反射的に後ろへと体を仰け反らせていた。
そんな当たり前の反応を見せた学生四人に対し躊躇なく、おじさんは中へと入るように行動を促す。
「とにかく入ってくれ。結界もそこまで万能じゃないんだ」
「結界?」
「音をある程度遮断するらしい。深くは聞くな、俺も専門家じゃないんだから詳しくは知らない。とりあえず早く」
「「「はい」」」
「わかった」
なぜそこまでこの声を外に漏らしたがらないのか、なぜおじさんはこの場に留まっているのか、その検討がつかないパインたち。それでも何か話したそうな表情をしているおじさんを助けるべく、四人は大人しく家の中へと入っていく。
一向に鳴りやむことのない苦痛の叫び声。
一体この奥には何がいるのか、そんな恐怖を感じながらも足を進めていく。
背後から扉を閉める音が聞こえてくると、おじさんが四人を追い越して一つの扉の前で立ち止まった。そこに何かがいることはすぐにわかった。
おじさんはゆっくりと四人へと振り返る。
「一つ約束してほしい」
「約束?」
「この先に誰がいようとも絶対に触るな、近寄るな」
「何でって……聞かない方がいいんだよね?」
「触れたら死ぬってこと以外、俺も詳しくは知らない。言っただろ、俺はその道の専門家じゃないんだ。レモネードのことならともかくな」
「……うん、わかった。約束するよ」
「後悔するなよ?」
その言葉の意味を知ることになるのは、それからすぐのことだった。
木製の扉を開いたその先――薄青色の半透明な結界の中では、火だるまとなっている一人の少年が苦痛に悶えて暴れていたのだ。
何かの力に全身を床に押さえつけられながら、体の内から真っ赤な炎が噴き出ている。目玉が蒸発すると即座に再生し、皮膚が爛れ落ちると即座に回復している。髪の毛は燃えた先から復活し、口元からはブレスのようにその炎を吹き出している。
「ひっ……」
その光景を見て思わずチェウォンは顔を青ざめさせてしまう。
あきらかに異様な光景で、世界ではトップレベルの高校生と言えども高校生程度の彼らにとっては少し刺激的すぎる光景がそこでは繰り広げられていたのだ。いや、もしかしたらプロの探索師でさえこの光景を冷静に見ることは難しいかもしれない。
そして――もう一つ彼らが異常な反応を見せた理由があった。
目の前で悶え苦しんでいる人物が知り合いともなれば、彼らの動揺は必然の行動だった。
「テンジ!?」
パインは咄嗟に前へと飛び出ていた。
扉を勢いよく蹴り開けて、部屋の中へと入っていく。
しかし、扉の影から一人の女性がパインへと飛び掛かった。横からタックルするようにその無謀な行動を阻止し、それ以上テンジへと近づかせないようマウントをとる。
「何やってんの!? 今の話聞いてなかったん?」
怒鳴るように、その人物――久志羅ムイ――はパインを押さえつけていた。
彼女は華奢な体をしているが、その実は一等級天職を有する優秀な元探索師なのだ。そんな彼女が生徒を押さえつけることなんて造作もなかった。
突然、見知らぬ人物が怒鳴ってきたことで少しばかり動揺したパインだったが、すぐにそのマウント態勢から脱出しようと暴れ出す。
「誰なの!? 離して!」
「マジョルカエスクエーラの教授やん」
「先生!?」
暴言を吐いた相手がまさか目上の探索師だったことに、パインは目を見開く。
見たこともない先生だったので仕方のない反応だった。
「まぁ、普段は研究室におるからな。とりあえずマジョルカエスクエーラの生徒なら、なぜテンジに近づいてはいけないかわかるよね? みんな賢い子やん」
「……ごめんなさい、先生」
久志羅ムイが先生だと聞いて、パインは少しだけ落ち着きを取り戻す。
それでも目の前には叫び苦しんでいる同級生がいて、女子三人は戸惑いを隠せずにいた。
「先生……」
「今は帰るとええよ。テンジはムイたちに任せなさい」
「で、でも……」
「まだ一年生やにー? だったらこれ以上のことは教えられへん」
一向にこの場から離れようとしない生徒たちに、久志羅ムイとおじさんは立ち塞がった。これ以上テンジの苦しんでいる姿は見せないように、大人としての役割を果たすべく視線を物理的に遮ったのだ。
「さぁ、帰れお前ら。テンジだってこんな姿を同級生に見られたくはないだろう」
「そうやん。これ以上のことを知りたいなら、探索師としてもっと実績を積んで、もっともっと強くなることやに」
そうして無理矢理四人を部屋から追い出すと、おじさんは久志羅ムイだけを部屋に残してアパートの外まで生徒たちを引っ張り出した。何と言えばいいのか分からないと言った様子の四人に対し、おじさんは最後にこう言い放つ。
「まぁ、大丈夫なんじゃねぇか?」
「あれのどこがだ」
今までずっと無言を貫いていた蛇門が、少しばかり語気を強めて反論した。
その道の専門家に反論されたおじさんではあったが、この中では今のテンジの状態を誰よりも理解している立場だったので、引くことはしなかった。
「あいつが自分でそう言ったんだ。あんな状態で俺の元にやってきて、また美味しいレモネードを作ってくれってな」
「意味がわかんない」
「さぁな、詳しくは聞くな。とりあえずとっとと帰れ、ここのことも他には言いふらすなよ? この状況はあいつが望んだことなんだ。さぁ帰れ帰れ、邪魔だ」
こうしてパインたちは無理矢理テンジの元を追い返されたのであった。
一体テンジに何が起こっているのか、それすらわからなかった。だけれども一人で戦っているわけではないということを知ることができたのは、パインの不安を少しだけ取り除いてくれたのであった。
また元気な姿で返ってくることを願って、四人は地上へと帰っていく。
上層部にはテンジのことを伝えずに、彼の意志を尊重することに決めた。
† † †
マジョルカダンジョン前、その地上では多くの人が走りまわっていた。
ゲートのすぐ傍に設置されている仮設のテント内は、忙しさで熾烈を極めていた。あちらこちらで指示や疑問が飛び交う。
「閉鎖までの残り時間は!?」
「シミュレーターによると、残り十五分です!」
9日前に行方不明者の捜索オペレーター統括に任命された一人の政府職員――ルイス――が訊ねると、パソコンのグラフとにらめっこしていた女性が切羽詰まったように答えた。
そんな彼らのもとに、リィメイ学長の秘書であるイロニカがやってくる。
「ルイス、彼はどうですか?」
「すいません、まだ確認できていません」
「そう……残りはあと僅かですね。現在のダンジョン入場者は把握してますか?」
「捜索に当たっていた探索師全員のゲート通過を確認しました。残りの入場者は五名で、行方不明者としてリストに上がっていた人たちです。うち二人は黒い噂があった人物なので、もしかしたらこの騒動に紛れて……」
「そうですか。では、残りの時間はゲートの前にいますね。あとは任せます」
「はい、閉鎖まで時間はないのでお気をつけてください」
「ありがとう、ルイス」
ルイスに対して優しく微笑み返すと、イロニカは冷静な足取りでゲートの前へと向かっていくのであった。そんな彼女の後姿をルイスはじっと見送るのであった。
そうして10分があっという間に過ぎ去っていく。
ゲート周辺に設置されたスピーカーから最終案内が流れてくる。
『ゲート閉鎖まで残り5分となりました、最終カウントを開始します。ゲート周辺にいる方はすぐに100メートル以上の距離を空けて待機してください。繰り返します――』
ゲート閉鎖までの最終カウントが始まった。
周囲のディスプレイには秒単位でのカウントが表示され、三十秒ごとに音声でのアナウンスが流れていく。ゲート周囲で待機していた探索師や軍人は徐々にゲートから離れていき自身の安全を確保する。
この歴史的な瞬間をこの目で見ようと待機していた探索師や、捜索に当たっていた探索師、そしてテンジと一緒に戦を潜り抜けた探索師など、多くの探索師が最後を見届けようとそこに集まっていた。
マスコミは誰一人としていなかった。
リィメイ学長がネズミ一匹入らないように規制を掛けたのだ。
そうして――残り二分の表示に変化した。
『閉鎖まで残り二分、繰り返します。閉鎖まで残り二分』
リズムよくカウントが進んでいく中、数人の探索師たちが百メートルの規制線を越えて、無意識に少しずつゲートへと体が前のめりになっていく。
そんな探索師たちに対し、リオンが首根っこを掴んで後ろへと引っ張り上げた。
「冬喜、千郷、それ以上近づくと巻き込まれるぞ」
冬喜の顔は後悔に滲んでいた。
千郷の顔は自分の力不足に悔やんでいるように見えた。
必死に、寝る間も惜しんで探し回ったのに、テンジの足跡一つ見つけることは叶わなかった。友達一人、弟子一人救えなかった。
ここに来て悔しさがこみあげてくる。
テンジは絶対に帰ってくると思っていた。
何事も無かったようにけろっと帰ってきて、いつもの爽やかな笑顔を見せてくれると思っていた。でも、現実はずっと残酷だった。
カウントが「60s」を通過した。
『マジョルカアイランドダンジョン閉鎖まで、残り60秒』
そのアナウンスはゲート付近だけに留まらず、国内外に発信されていた。
世界中が注目していた、このダンジョンの終わりを見るために。
突然、ゲートの隙間から僅かに光りが放たれた。
残り三十秒を過ぎたときであった。
一名の人物が息を切らしながら走って脱出してきたのだ。その人物は行方不明のリストにあった久志羅ムイであった。その白衣は少しばかり返り血で濡れていた。
周囲がざわついた。
早くゲートから離れろと遠くから声が聞こえてくる。
しかし、久志羅ムイはすぐにはその場から離れなかった。
じっと後ろに立つゲートの隙間を見つめている。
それからすぐのこと、二人の人物がゲートを通り抜けてきた。
レモネードを作るのが得意なおじさんと、その隣にはぼろぼろな制服を着た少年が足を引きずりながらゆっくりと歩いてきたのだ。
「危ねぇ、三十秒きってるじゃねぇか」
「ごめんっておじさん」
「ごめんで済むか!」
そのおじさんは何やら少年を叱るように、こめかみに血管をくっきりと浮かべながらがやがやと叫んでいた。何も言えないという表情で少年は優しく笑う。
そんな三人の前に、赤紫色の螺旋をまとった人物が着地する。
「ギリギリだな、テンジ」
なんだかんだ言っていつも手を差し伸べてくれるリオン。
本当は優しいことを知っているテンジは、いつもの通りの爽やかな微笑みで返した。
「すいません、遅くなりました」
「お前の人生、いっつもギリギリだな」
「ほんと、そうですよね……あ、あれ…………」
テンジはリオンの顔を見て安心したのか、体から力が抜けていき前のめりに倒れ始めた。隣で支えていたおじさんもなんとか踏ん張ろうと力を加えるも、完全に体から力が抜けた少年を咄嗟に支えることは難しかった。
不意に、リオンが一歩前に出る。
「とりあえず良く頑張ったな、日本に帰るぞ」
小さな上背の少年を胸で受け止めたリオンは、そっと労うように微笑んだ。
テンジは無言で頷くのであった。
こうしてマジョルカは短い歴史に幕を閉ざしたのであった。
それと同時にテンジのマジョルカ留学にも、幕が下りるのである。
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