第212話
「空の……欠片?」
テンジの頭上に、空の色が映った鏡の破片のような何かが降り落ちてきた。
それも一つや二つではなく、ぽつりぽつりと降り続く粉雪のように無数の破片が空から落ちてきていたのだ。
不意にそれを拾おうと手を伸ばすテンジだったが、その欠片には触れることはできなかった。疲れで幻覚でも見ているのかと思い、何度か目を擦ってみる。
そんなテンジの様子を見て、傍にいたリィメイがぼそりと呟く。
「ダンジョンが崩れるわ」
ダンジョン閉鎖現象、そう呼ばれる現象が今までの歴史で何度か観測されている。
何がきっかけで発生するのかは定かになっていない。とある地点まで到達したとき、とある強力なモンスターを倒したとき、とあるアイテムを入手したとき、唐突もなくいきなりなど多くの要因でダンジョン閉鎖現象は観測されてきた。
そしてウルスラ=リィメイは一度だけ、自らの手でモンスターを討伐しダンジョン閉鎖現象を発生させたことがあった。そしてそのときの現象とまったく同じ光景が今まさに、目の前で起こっていた。
「いや~、これどうすんだよババア」
そんなときであった。
少し遠くの場所からポケットに手を突っ込んだまま歩いてくるリオンが、嫌そうな表情で頭をポリポリと掻きながらやってきたのだ。かくいう百瀬リオンも、ダンジョン閉鎖現象を経験した数少ない探索師一人であった。
「私の前にその醜悪な顔を見せるなんていい度胸ね、ゴミクズクソカス」
「そんなこと言ってる場合かよ。状況考えろや、どちゃくそババア」
「何? 喧嘩売ってるのかしら?」
「ちょっ、ちょっと二人ともやめてください!」
火花をばちばちと散らし始めたリィメイ学長とリオンに対し、テンジは慌てて止めに入った。それでもお互いに引こうとしない両者を、雪鬼と炎鬼を使ってテンジは物理的に止めに入った。
「そんな場合じゃないですよ、リオンさん! 一体これは何なんですか!?」
「あぁ゛!? 離せやコ゛ラ」
「離しなさい、こいつのダチョウ並みの小さな脳みぞぶちまけてやるわ」
たかがテンジの仲介などに聞く耳を持ってくれない二人。
以前からリィメイ学長がリオンを嫌っていることを聞いてはいたテンジは、どうすればよいのかとあわあわ口を動かす。
そんなときであった。
「何をやっている。そんな場合か」
「そうですよ、その醜い争いはやめてください」
もう二人の零級探索師、オーブラカとジェイが二人の間に入ってくれたのだ。
その二人が介入したことでようやく少しだけ冷静になったリオンとリィメイは、不満そうに舌打ちをかますと空を見上げた。
そんな中、リオンが口を開く。
「ダンジョン閉鎖現象は最短で30日間だ。ここは75階層だから一日で約2.5階層ぶん下から順に消えていく計算になる」
「相変わらず冷静になるとキモイなお前」
「うるせぇオーブラカ。ここは5階層より上にしか一般人はいねぇから、冷静に考えてもあと28日間の猶予はある。そうだな? ババア」
リオンの冷静な分析に、リィメイ学長は首を縦に振った。
「今までの観測上、最短の場合ならその通りね。だけど――」
「あぁ、俺もそう考えていた。たぶんだがここの閉鎖はもっと早い」
奇しくも二人の意見は合致していた。
二人が今までに経験したダンジョン閉鎖現象よりも、今目の前で起こっている現象はずっと加速して起こっているように見えたのだ。
「私の直感だと、およそ10日間。そこがデッドラインね」
「気に入らないが同感だ」
「人命の問題はないわ、すでに住人の避難は始まっているのよ。残りは家財などの私財問題が面倒くさそうなだけね」
「そりゃあ話が早い。各々行動するぞ、時間がない」
世界でも唯一であった、人の住めるダンジョン『マジョルカリゾートダンジョン』。その完全崩壊まで、あと10日。
激しい戦いを終えたばかりのプロ探索師たちに、休む暇はなかった。
リィメイ学長は早速話を切り上げると、この第75階層に残っていた探索師たちに指示を出し始める。この崩壊を始めたダンジョンからすべてを救うために。
† † †
「それにしても……お前の隠し子か?」
リィメイ学長がいなくなった後、オーブラカが不意にリオンへと尋ねた。その視線の先には地面に座り込むテンジの姿があった。
しかし、どこからどう見ても二人に血のつながりがあるとは思えなかった。片方は傲慢で自由で変態ボサボサ頭、もう片方は清潔に制服を着こなす爽やかで優しそうな少年。
それに気がついたオーブラカは、鼻で笑った。
「ふっ、いや違うか。あまりにも似てなさすぎる」
「俺の遺伝子からは美少女しか生まれない」
「妄想も甚だしいな。で、本当に何者なんだ?」
オーブラカとジェイ、二人の探索師の鋭い視線がテンジへと向かう。
もちろんテンジは二人のことを知っている。それこそ何度も動画で見たし、教科書にも載っている、みんなが憧れる本物の探索師だ。
ドキリッと胸が高鳴った。
そんなときリオンが面倒くさそうに頭をポリポリと掻きながら言ってくる。
「こいつらなら構わない、力になってくれるはずだ。言ってやれ」
「えっ、えっと僕は――」
テンジはそこまで言葉を言いかけると、次の言葉を止めていた。
一瞬、視界がブラックアウトし立ち眩みが襲ってきたのだ。反射的に両手を地面に着き倒れるのを防ぐも、嫌な冷や汗がどっと全身から噴き出てくる。
「おい、どうした?」
オーブラカの優しい声が聞こえてくる。
だけれどもその声に反応できるほど今のテンジに余裕はなかった。
(……寒い、熱い、寒い)
肌からは寒さが突き抜けてくるのに、体の内からは異様な熱さが込みあがってくる。そこでテンジはようやく何が起こり始めたのか気がついた。
(これは……代償。そっか、今か。わかったよ。受け入れるよ伊吹童子、煮るなり焼くなり好きにしろ)
今から起こるであろう地獄を覚悟したテンジは、薄っすらと笑みを浮かべていた。
いつかは来るとわかっていた。それが数秒後だろうと、数分後だろうと。それが来た時点で今の自分にできることはそう多くないともわかっていた。
だからテンジは、決意を決めた。
何が襲ってきたとしても、何がなんでも生き残ってやると。
『クヒッ』
その声が聞こえてきた次の瞬間だった。
体の内に眠っていた地獄の業火が暴れはじめる。
「ア゛ァァァァァァァァァァァァッ!?!?」
眼孔、耳の穴、爪の間など。あらゆる隙間という隙間から炎が噴き出してくる。内から延々と込み上げてくる地獄の業火が、何度も何度もテンジの体内を焼き焦がしていく。そして焼き焦がされて炭化し終えると、瞬く間にその箇所が再生されていく。
拷問と再生の連続。
そんな『代償』が始まった。
一体この苦痛がいつまで続くのか、それはわからない。
だけれども、テンジはこれをきっかけに何かが変わる予感を抱いていた。
「お、おい!? どうした!?」
不意に、オーブラカがテンジに手を差し伸べようとしてくる。
しかしテンジは意識を何度も飛ばしながらも、焼けて爛れた瞳で鋭く視線を返した。
「ざ……触らないでぐだざい゛」
そんなテンジの意志が伝わったのか、炎鬼がそっと近寄ってきた。
そして指示をされるまでもなくテンジの体を優しく抱きかかえると、手を差し伸べようとしたオーブラカへと言葉を返す。
「この炎に触れられるのは私たちだけです。あとはお任せください」
その言葉を残して最後、炎鬼は三人に背を向けた。
何がなんだかわからない三人はそんな炎鬼とテンジの背中を見ていることしかできなかった。
(炎鬼、ありがとう)
「あとは私たちにお任せください。たとえどんな手段を講じてでも、あなたは殺させやしません。私たちには新たな王が必要なのです」
炎鬼とテンジは、どこかの階層へと転移したのであった。
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