第197話



 九条たちは伊吹童子がいなくなったことでようやく、立ち上がれるようになっていた。

 あまりの出来事に未だ整理が追い付いていない彼らであったが、戦場でちんたらと地面に伏せている訳にもいかないので、一先ずは立ち上がろうと動き出していた。


 そのまま膝についた土埃を叩いていた九条が、顔を上げる。


「さて、そろそろ私も説明が欲しいな」


 鋭い眼光がテンジへと突き刺さる。

 その瞳には学生だから優しく接するという雰囲気はまるで無く、今の状況を手短に説明しろと言いたげなプロの厳しい雰囲気があった。


 テンジは思わず息を飲む。


「僕に分かることは――」


 そう言いかけたところで、九条は突然それ以上喋るなと言うように片手を前に突き出した。

 その行動が示すのは、戦闘態勢をとれという合図である。事前に決められていたこのチームでの約束事だった。


 静かに、九条は言った。


「子飼いが来る。炎、対処しろ。三時の方向から二体だ」


「了解」


 炎はすぐに攻撃の準備を整える。

 片手の中に三つの溶岩球を生み出し、いつ奇襲されても反撃できる態勢を作っていた。その間、僅か一秒と時間はかかっていなかった。


 それからすぐに、九条の指示した三時の方向から二体の子飼いが飛び出てきた。


「ルォォォォオッ!」

「ルィィィィィッ!」


 それを視界に捉えた炎は、洗練された動作でその溶岩球を投げようとした。


 まさにその時であった。


 ボワッ、と子飼いの体が火だるまに飲み込まれたのだ。

 その火を生み出したのは炎の攻撃ではなかった。他の第三者による攻撃によって子飼いの体が赤黒い火に飲み込まれていたのだ。


 突然の出来事に、攻撃態勢を作っていた炎は目を瞠って手を止めていた。


 それからまもなくのこと。

 子飼いは最後の声を上げることもなく、静かに細かな灰となって崩れ落ちていく。


「一体、何が……」


 炎は驚いたように呟きつつ、攻撃のために用意していた溶岩球を握りつぶして、消滅させるのであった。他の九条達さえも、一体何が起こっているのだと目を瞠っていた。


 そんな時であった。

 周囲の森の中から、数え切れないほどの叫び声が反響し始めたのだ。


 さらに、気が付けば森の中では複数の炎柱が立ち昇っていた。


 たった今目の前で起こった出来事が、この階層の森の中で乱数的に起こり始める。

 まったく同時ではなく、時間差によって加速的にその炎柱は増加していく。そして加速的に子飼いの叫び声も森の中を反響し始めていた。


 思わず、耳を塞ぎたくなるほどの音量が森の中を支配する。


「ルィィイッ!?」

「ルォォオオッ!?」

「ルェェェエッ!?」

「ルシャャャャッ!?」


 苦痛の声が、森の中で反響している。

 その声は間違いなく、子飼いが発する奇妙な声と同じ性質のものだった。


 それからすぐに、その苦痛の叫び声は収束していく。


「もう訳がわからんな。……私の見える範囲全ての子飼いがあっという間に消滅した」


 もう考えるのを放棄したい、そんな九条の弱気な部分が垣間見えた。

 たったの数分だけだというのに、彼女らの身に起こった出来事は、ダンジョンが出現したこの約23年間の出来事よりも濃いのではないだろうか。そんな予感を彼女は感じていた。


 だけど、九条は考えを切り替えることにした。


「まぁ、子飼いが全滅する分には好都合だ。で、テンジに色々と聞きたいところだが……今はやめておこう。あいつがどこにいるのか、今のテンジは把握できているのか? あれはお前のだろ?」


「はい、把握できています」


「上出来だ。じゃあ、行くぞ。ここで足を止めている理由ももうなくなったからな」


「「「「了解!」」」」


「ただし、この戦いが終わったらじっくり聞かせてもらうからな……天城典二」


「ぜ、善処します」


 九条たち五名のチームは転移ゲートの方角へと急いで向かい始めるのであった。




 そこで何が起きているのかも、まったく知らずに。




「な……なんだ…………これは」


 そこに到着した九条は、あまりの状況に動揺していた。

 彼女たち五人の目の前に広がっていた光景には、知っている影も形もなくなっていた。


 あれほど長い間いたはずの拠点が、灰も残らずに焼き消えていた。


 そこは真っ赤に燃え盛る地獄へと様相を変えていた。

 炎の草原が延々と広がり、あらゆる物体を黒く焼き焦がしている。まるで地獄かと疑いたくなるように炎が燃え盛っており、ここからでは足一つ踏み入れられない状況であった。


 この炎の草原の中央に、二つの影があった。



「クヒッ、これでもまだ死なぬか。だが、まだまだ……俺は物足りないぞ。もっと足掻いてみせろ。――『酒獄ノ業火よ』」



 伊吹童子の体躯を超える大きさの、業火の塊。

 それが地面でのたうち回るモンスターの体へと直撃し、一方的に焼き焦がしていくのであった。苦痛のあまり、モンスターは叫び声をあげながら地面をのたうち回る。



「まだだ。――『酒獄ノ業火よ』」

「まだまだ。――『酒獄ノ業火よ』」

「死ぬことは許さぬぞ。――『酒獄ノ業火よ』」



 一方的な戦い。

 いや、地獄の業火による拷問が辺りを炎の海へと変えていたのであった。


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