第162話
ブォーンと、けたたましくサイレンの音が鳴り響く。
木々や大地を規則的な音振動で揺らし、不吉の始まりを唐突に告げてきた。
非番で寝ていた者、警戒をしていた者、会話を楽しんでいた者、余念なく戦いの準備を続けていた者、一人夜空を見上げていて考え事をしていた者――全員がその「始まりの音」を聞いた。
すぐに拠点内は慌ただしくなった。
拠点の喧騒を暗がりで聞いていたテンジは、ただ一点から目を離せなくなっていた。
「もう……生まれる」
あまりにも突然の状況変化にテンジは多少の戸惑いを感じつつ、黒繭をジッと見つめる。
黒繭が孵化するのはもう少し先なんじゃないかと楽観的に考えていた。今日ここに来たばかりなのに、作戦に参加すると決めたばかりなのに、黒繭はテンジの心など知らぬと言わんばかりに孵化兆候を見せ始めた。
すぐ目の前にはドクッドクッと激しく胎動を始めた、史上最大規模の黒繭。
孵化兆候の影響で僅かに入った小さなヒビから、ほんのりと白色の光りが漏れだしている。
テンジはそれを見て、嫌悪感と期待感という矛盾な感情を覚えていた。
(白い光り……うん、間違いない。前に海童さんが言っていた奴だ。駆け出しのリオンさんがまるで歯が立たなかったと言っていた『白い瞳』を持つモンスター。なんとなくだけど僕には分かる――)
ゴクリ、と息を飲む。
「これは僕と同類だ」
はっきりと分かるわけではない。シンパシーに近い何かをテンジは確かに感じ取っていた。
直感が叫んでくるのだ、奴は同類だと、似た者同士だと。
ちょうどそのとき――、
「いた! テンジ!」
冬喜の声が斜め後方から聞こえてきた。
事前にテンジは散歩してくる方角をテントで作戦書を読み込んでいた冬喜に教えていたので、すぐに合流しに来てくれたのだろう。
どこまでも優しくて、どこまでも頼りになる兄のような冬喜だと思った。
テンジは名残惜しくもすぐに黒繭から視線を外すと、冬喜へと視線を切り替えた。
そこには戦闘準備を完全に済ませた武装状態の冬喜がいた。いつも通りの冬喜の姿に、否応にもテンジの気が引き締まっていく。
「合流するよ、テンジ」
「うん、急いで行こう」
二人は最小限の意思確認を済ませると、作戦書通りに、北西から北東に掛けて包囲網を敷いているチャリオットの作戦配置場所へと勢いよく駆け出した。
その道中にテンジは冬喜へと尋ねた。
「今の見た?」
「何を?」
「黒繭から放たれた光の色、『白』だったよ」
孵化の直前に放たれる光の色はモンスターの瞳の色と同じである。
これはプロ探索師にとっても、探索師の卵にとっても、常識範囲内の知識で知らなければならない当然の結果なのだ。
五等級ならば『紫色』に、四等級ならば『青色』に、一等級ならば『赤色』に孵化兆候とともに眩い光を放ち、その色に応じた強さを持つモンスターが生まれてくる。
だから白い光が放たれた黒繭という時点で、彼らは嫌な予感を確信へと変えていた。
探索師を目指す者は、その違和感に即刻気が付くべき。
それほどの異様な光景があの黒繭から発生していたのだ。
冬喜もそれを視認していれば――。
「いや、よくは見てないけど……白い光り? それは本当? ちょうどテントで作戦書を読み込んでいたから孵化兆候は見ていないんだ。さっきのサイレンで慌てて準備してきたからね」
「僕はこの目で確かに見たよ、黒繭から白い光が出たのを」
「なるほど、『白』か。不吉だね」
雲行き怪しくなりそうなこの状況を整理し、冬喜は気を引き締めていた。
白というと確実に未観測の等級――つまり、誰も見たことのない強さを持つモンスターが黒繭から生まれる可能性がほぼ決定した。
彼らにとって『色』というのは、難易度や危険度と同義であり、戦闘においての重要な情報源の一つだったのだ。
また、厄災が始まろうとしていた。
「まずはチャリオットと合流を優先する。下手に俺たちが戦いに介入しても、まだまだ足手まといになる可能性の方が高い。それに連携不足もやっぱり戦場では混乱を招く可能性もある。今は俺たちの団長、九条さんに判断を委ねよう。とりあえず! 今は合流優先しよう!」
「了解!」
誰もが知らない未知の状況。
当時のリオンがまるで敵わないと悟った白い瞳を持つモンスターが、ここマジョルカで生まれようとしていた。
それはリィメイ学長ですら戦ったことも、会敵したこともない存在。
現在生存している零等級探索師の中では、リオンだけが出会ったことのある敵であり、リオンは人類で唯一の生存者という称号を持つ者になってしまった。
そう、そこにはあくまで現在生きている零等級探索師という枕詞が付く。
数年前に行方をくらませた零等級天職を持っていた探索師は、白い瞳のモンスターにダンジョンで殺された。その事実を知る者は人類にはいない。
運悪くそれと出会ってしまい、孤独にダンジョンで息絶えたのだから。
それが今、テンジたち目の前で孵化を始めた。
世界最高の戦力を有している零級探索師でも太刀打ちできるか不明な敵が、すぐそこで今か今かと孵化の準備を進めている。
そして――。
ピキッと黒繭に大きなヒビが入った音がした。
ほんの僅かに漏れ出ていた白い光が、より強く神々しく輝いた。
闇に染まった夜空が、まるで昼と錯覚してしまうほどに明るく照らされた。
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