第163話
昼のように照らされた夜空は、すぐに元の薄暗い夜空へと戻っていく。
ちょうど現時刻は真夜中を過ぎた25時頃、探索師として確保するべき視界は芳しくない。
この階層に元々設定されていた灯りは、星の光と遠くに見える寝待月の光源だけであった。
そんな視界の薄暗かった階層の中心にある黒繭から、激しいと感じるほどの白い光が放たれ、ここにいた探索師全員の視界を僅かながら鮮明なものへと変えてくれた。
テンジたちがチャリオットの陣営に到着する前に――それは生まれた。
バコッ。
殻が内側から破られた。
黒繭上部の内側から勢いよく、白くて角ばった片手が殻を突き破って出てきたのだ。
細くて白い無機質な腕に、四角く細長い五本の指が見えた。
人間のような手の形をしているのに、ロボットのように無機質で四角い図形をただ組み合わせただけのような幾何学的な手だった。
テンジはその異様な光景を視界の端で捉え、思わず唾をゴクリと飲み込んでいた。
「……結構、大きいな」
黒繭自体も非常に大きなものであったのだが、中から出てきたモンスターの手も非常に大きく、見えている片手部分だけで二メートルほどはありそうだった。それに無機質な片手は不気味なオーラを僅かに放っているようで、肌を突き刺すように鋭い感覚が襲ってきた。
たったの片手だけ――。
まだ見えているのはモンスターの一部に過ぎない。
それでもこの階層にいた探索師が一様に、針のように鋭い悪寒を肌で感じていた。
「テンジ、急ぐよ」
「……わかった」
冬喜の緊迫した声が聞こえてきた。
テンジはそれにすぐ答え、二人はさらに速度を上げて合流を目指す。
それからすぐにテンジたちは北東、北西間のチャリオット待機場所へと辿り着いた。
窪地地帯を俯瞰できる岩壁の一端。そこでチャリオットの精鋭が静かに戦闘準備を整えている様子を発見し、二人は速やかに合流を果たした。
どうやらテンジたちが最後だったようで、ここに全員が揃う形になった。
「遅いぞ学生組。さっさと位置につけ、作戦書は読み込んだだろ? お前らは先制攻撃に組み込まれていない、次の指示を待つんだ」
「「はい」」
九条霧英は一度も二人に目を向けることはなく、仁王立ちのまま指示を出した。
杖のように鞘入りの剣を地面に立て、その柄に白くて長い女性らしい両手をジッと静かにおいている。威風堂々、そんな言葉がよく似合う風貌であった。
周辺視野なんて言葉で表せないほどの周囲把握能力に、テンジは自然と尊敬の念を覚えていた。
テンジも黒繭の警戒を一度も解くことなく、事前に指示を受けていた通りのチームへと合流した。そこには完全武装の千郷と福山与人が待ち構えていた。
二人はわざわざ声を掛けることもなく、緊張した面持ちでジッと空を見上げている。
まだ先制総攻撃の合図は出ていない。
この大きさの黒繭ともなると、孵化兆候が始まってから孵化までの時間にはかなりの間隔が空くようだ。強さと、孵化兆候から孵化までの時間はおおよそ比例すると知られている。
テンジは周囲のプロ特有な雰囲気に当てられ、僅かに気持ちが昂っていた。
(やっぱり、ここにいる人たちはレベルが違う。本当に僕はプロの隣に立てる探索師になることができたんだろうか。訓練や努力を怠ったつもりはない、それでもまだ自分で「なれた」と言えるほどの自信は無いよ)
周囲に待機していたチャリオットの精鋭メンバーの気迫に、テンジは少し圧倒されていた。
それもそのはずだ。
ほんの数か月前まで彼らはテンジの憧れの対象であり、隣に立ってくれるような存在ではなかった。一般人にとって見れば、ここに立っている探索師たちは
もし探索師ファンがこの状況を見れば、豪華なメンツに興奮を隠せないだろう。
チャリオットSチーム、つまり一級探索師として日々活躍しているプロが八人もいる。
一級探索師の在籍人数は合計で九名いたはずなので、一人を除いた八名が全員参加しているということになる。その他にもチャリオットAチームから十名、福山与人を含めた彼らを十二分にサポートできる戦力と技量を持つプロが参加している。そうそうたる顔ぶれだ。
そこに加わった三人の探索師、そして探索師の卵。
元【暇人】ギルドの一員としてリオンに才能を認められ、現在は世界一の名門校マジョルカエスクエーラで教師をしている白縫千郷。
ライセンスは二級探索師だが、実力は一級探索師と遜色ないと言われている才女。
さらに世界的にも今や有名人である零等級探索師の黄金卵、黒鵜冬喜もここにはいる。
そして――ここに無名の少年が一人。
「テンジくん、久しぶりだな。病院以来だな」
僅かに緊張した面持ちで先制の合図を待っていたテンジ。
そのぎこちない学生に気が付いた一人の探索師が、優しく炎のように揺るがない声で話しかけてきた。
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