第160話



 テンジはリィメイの言葉を聞き、少し考えこんでいた。


 強さの代わりに一部の感情を失う――それが『欠落者』の意味だと知ったからだ。

 欠落者という言葉からも何かを失っているのか、そもそも人間としての性格の問題なのかとずっと考えていた。


 しかしリィメイから聞かされた答えには、「力の代わりに」という枕詞が付いていた。


「それは零等級天職を持つ者だけですか?」


「厳密に答えるならば、少し違うわね。もっとも、この感情や欲求のがはっきりと表れてくるのは、二等級天職持ち以上からだと一般には言われているわ」


「アンバランス現象? 初めて聞きました」


「えぇ、探索師の間ではそう言われることが多いわね。正式名称は忘れたわ。まぁ、テンジが知らないのも無理ないわね。これは探索師系列の高校に通う中でも、一部の学校の三年次にのみ取り扱う内容だもの。ちなみにマジョルカエスクエーラでもこの講義は受講できるわ」


「……もう少し詳しく聞いてもいいですか? 僕にも関係ない話じゃないかもしれません」


「えぇもちろん――」


 リィメイは下に広がる暗い森から、そらに浮かび上がる綺麗な寝待月へと視線を変えた。

 輪郭のはっきりとした寝待月はどこか嬉しそうに輝いている。


 リィメイは一つ間を置いてから、言葉を続けた。


「人によって、喜怒哀楽が激しかったり、愛が強かったり、睡眠欲が強かったり、食欲が旺盛だったり……それは人それぞれでしょ? テンジはどんな感情が強い? どんな欲求が強い人間?」


「僕は……食欲でしょうか? ここ最近は昔よりずっと食べるようになりました。貧乏生活の反動かなぁと思ってますが」


「それは違うわ」


 リィメイは横に首を振り、その言葉を真っ向から否定した。

 そのままピアノの音色のような声音で言葉を続ける。


「それはテンジが強力な力を得た代わりに、食欲という欲求が増しているのよ。逆に……最近感じなくなった感情や欲求はない?」


「……感じなくなった感情ですか。強いていうならば、少し前よりも怒りの感情が湧かなくなった気もします。あんまりはっきりとは分かりませんが」


「意外と自己分析はできているのね。優秀だわ。それがアンバランス現象よ。人によってその感情が増加して、どの欲求が減るのか。またはどの欲求が増えて、どの感情が減っていくのか……それは本当に千差万別よ。そして――これはより強い等級を持つ者の方が、顕著に表われてくる」


 ここでテンジはようやく理解できた。

 リィメイが言っていた「強さの代わりに、感情の一部を失う」という言葉の意味を知った。


 感情や欲求のアンバランス現象――それは非常に酷な現象だと思った。

 生まれた遺伝子や環境要因で形成されていった感情や性格、欲求という本能にも似た部分が、探索師として強くなるに比例してアンバランス、つまり変形していくというものであったのだ。


(確かに……今に思えば、僕はずっと前よりも食べるようになった。それにずっと感情が揺れ動くことも少なくなっていた気がする)


 テンジには思い当たる節があった。

 その真相はともかくとしても、アンバランス現象を身近なものに感じた。


「『欠落者』という意味、分かった気がします。リィメイ学長の言っていた零等級天職所持者にしか当てはまらないって……零等級レベルの探索師になると、アンバランスでは済まないほどに感情が一部無くなっているということですよね?」


「正解よ。一級探索師まではまだ『アンバランス』という言葉で事足りるわ。でも、零等級ともなればアンバランスよりも『欠落者』という言葉がお似合いね」


 リィメイは、少しおかしそうに空を見上げた。

 そんなリィメイの横顔を見て、テンジは問いかけた。


「リィメイ学長は――」


「私は……喜怒哀楽、四つの感情がどんなものだったかもう忘れたわ。もう喜ぶことも、怒ることも、悲しむことも、楽しむ感情も、全部忘れたのよ」


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