第143話



「――とまぁ、こんな感じかな。私の人生、つまらないでしょ?」


 久志羅は自分の話を終えると、カップへと手を伸ばした。

 乾いた喉を潤すように無糖コーヒーを飲み、縁に着いた口紅を軽く拭いて再び机の上にそれを置いた。


 テンジはジッと何かを考えこんでいた。

 信じられない話でも聞いたように彼女の一挙手一投足をぼんやりと眺め、今聞かされた『代償』について必死に飲み込もうとしていた。


「まぁ、普通は信じられないやん。みんな同じ反応なんだよね」


 久志羅は少し、悟ったような表情を浮かべた。

 テンジはそれを見るや否や、力強く答えた。


「いえ……僕は信じます。久志羅さんの話を信じます」


「その根拠は?」


「久志羅先生の瞳を見れば、嘘を付いていないことはわかります」


「あら、面白い返答やん。そんなロマンチックなこと言われたのはいつ以来かな」


 茶化すように、久志羅は笑みを浮かべた。

 それでもテンジは真面目な瞳で彼女を見つめ返し、再び口を開いた。


 最初は聞こうかどうか迷っていた。

 たぶん聞くべきではないことだと思う。

 だけど、なんとなく聞いた方がいい気がした。


「その『代償』を使う方法を教えてもらってもいいですか?」


「うん…………その瞳は本気やん」


「はい。もちろん久志羅先生の話を聞いて、使ってはならない力だということは十分に理解しました」


「じゃあ、なんで聞きたいの? ここで聞かなかったら、絶対に使わない人生を歩めるかもしれないのに。私みたいに後悔する人生にならないかもしれないのに」


「何かを守りたいときに、守れないのは嫌だからです。私利私欲で使う気も、簡単に使う気もありません。ただ……僕はもう後悔したくないんです。自分の弱さに後悔したくない」


「今でもテンジは十分強いやん」


「でも、僕は弱かった。半年前までは、何もできない人間だった」


「そういえば……冬喜くんから聞いてるよ。ダンジョンで死にかけたんだってね」


「はい、死に掛けました。だからこそ、守りたいものを守れずにただ野垂れ死ぬような人間にはなりたくない。僕は僕の人生に抗うって決めたんです」


「…………私にはテンジくんの気持ちが少しわかるような気がするよ。同じような目に遭ったからね。……わかった、教えるやん。千郷ちゃん、いいよね?」


「もちろん。テンジが望むなら、私はそれを否定しないよ」

「……ごめんね、俺は部屋を出るよ」


 千郷が肯定すると、近くに座っていた冬喜が突然部屋を出ていこうと立ち上がった。

 みんなの視線が冬喜に集まるが、冬喜は彼らに背中を向け扉の前へと歩いていった。そして、そのままドアノブに手を掛けた。

 冬喜はこちらへと振り向かずに、徐に口を開いた。


「ごめん……俺はその話を聞けないよ。それを聞くと、俺はたぶん無理をする。自分がそういう性格の人間だって知ってるからこそ、聞きたくないんだ」


「別に聞かなくてもいいと思うよ。探索師には案外そういう人が多いって、リオンも言ってたし」


 千郷は当たり前のように、冬喜の意見を肯定してあげた。

 その言葉を聞き、冬喜は部屋を出て言った。


 一級探索師には『代償』の力について話すことが許可されているが、その話を最後まで聞こうとするものは僅かなのだ。

 それもそのはずだった。『代償』による人間への影響ってのは、何も久志羅のようなものだけじゃないのだ。他にももっと、残酷な未来を与えられた者もいる。


 昔、『代償』の力を使った者がいた。

 手足を失い、耳を失い、鼻を失い、心臓を失い――何もかもを失った探索師がいた。その探索師は代償ののち、ただの肉団子になったという。

 普通であれば、その姿で生きることは不可能だ。物理的以前に、生物として成り立っていなかったのだ。それは生きている「何か」でしかなかった。でも、意思疎通はできる。

 心臓も何もかもがない肉団子のそこにあるのは、目と肉だけだった。


 ただ――その探索師はなぜか生きていた。


 その当時の映像が残っており、一級探索師たちには講習時にその映像が見せることとなっている。『代償』を使えば、こうなることだってあるのだと。

 冬喜はその映像を見たことがあり、思わず吐いてしまったのだ。


 だから、千郷も聞かないことへの理解はあった。


「まぁ、冬喜くんの反応が妥当なんだよね。テンジくんもよく考えてほしいやん。確かに私は『代償』によってこんな体になったけど、まだ優しい方なんだよ」


「久志羅先生で優しい方……ですか?」


「うん、過去にはもっとひどい目に遭った人もいる。ただの肉団子になっても生きている人とか、モンスターのような容姿になった人とか、聴覚が発達し過ぎて地球の裏側までの全ての音が聞こえて、発狂して自殺した人とか……本当にひどいやつはもっとひどいやん」


「…………」


「それでも聞く?」


「……はい、それでも僕は聞きます」


 テンジは少し動揺したものの、すぐに力強い意志で久志羅の瞳を見返した。


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