第105話



 当たり前のように笑って前に歩み出たテンジの後ろ姿を、チェウォンとミナはただ見つめていた。止めることができなかったのだ。

 たかが五等級の剣士が、ブラックケロベロス相手に善戦すらできるわけがない。なのに、テンジは二人を守ろうと前に歩み出た。


「テンジ! ダメ!」


 少し遠くの方からパインの怒声にも似た声が響き渡る。

 それでもテンジは足を止めることなく、ただ笑って「大丈夫だから」と言い放ち、ブラックケロベロスの前へと向かっていく。


 テンジが何を考えているのか、チェウォンとミナにはわからなかった。


 自分たちはもう戦力にならないと判断されたのか、自ら殿を務めようとしているのか。

 ただ――テンジの手の中にある短剣だけからは、どこかおどろおどろしい恐怖を感じた。

 テンジが愛用していたはずのアイアンソードは、気が付けばチェウォンのすぐそばの地面に突き刺さっており、彼の手の中には誰も見たことがない、それこそオークションやサイトでは一度も見たこともない新種の短剣が握られていたのだ。


 その事実だけが、少しだけテンジを信用してもいいかもという感情を抱かせていた。

 数人のクラスメイトも薄々は気が付いていたのだ。名門であるマジョルカエスクエーラに、たかが五等級の剣士が入学できるわけがない。天城典二という日本人には、何か秘密があるのだと。


「待って! テンジ!」


 そこでミナが瞳に涙を浮かべながら、必死に叫んだ。使い物にならない足を引きずりながら、テンジの手を掴もうと必死に前に進み出ていく。

 その様子を、チェウォンは後ろから見ていることしかできなかった。怖くて怖くて、動けなかったのだ。



 その時、ブラックケロベロスが自然な動作で口を開いた。



「グロォォォォォォォォォォォオッ!」


 あのレーザー攻撃が、テンジの眉間目掛けて無慈悲にも放たれてしまったのだ。

 ミナとチェウォンは届かないと知りつつも、一生懸命手を伸ばす。少しだが、一緒にいたテンジは本当に優しい日本人だった。

 その少しの時間が、彼女たちを必死に駆り立てた。


 それでも届くことはない。


 そのはずだった。


「えっ?」

「ッ!?」


 ミナとチェウォンは無傷で佇むテンジの後ろ姿を見て、思わず口から声が零れていた。

 その異常な光景を見て、つい手の中からぽとりと武器を落とす。


 テンジは、ジュゥゥゥと焼けた音のする赤鬼ノ短剣を興味深そうに見つめている。


「……なるほど、リィメイ学長が屈折させなければ対処は簡単だね。それに赤鬼ノ短剣の性能も十分に把握できた」


 テンジは難なく短剣でレーザー攻撃をいなしてしまったのだ。

 その動きは到底五等級の剣士などではなく、あきらかに彼女たちすら上回る反応速度で対処して見せたのだ。

 その事実に、三人の頭は混乱していた。


 そこでテンジは、不意にパインに視線を向けた。


「パイン、今は休んでて。あとは僕がやるから」


「……これがテンジの秘密?」


 パインは首を傾げて問いかける。


「うん、これが僕の秘密。やっぱり気が付いていたんだね、ごめん」


「謝らなくていいよ」


「うん、ありがとう」


 パインはすでにテンジが何かを隠していることに気が付いていた。

 それでもテンジが話したがらないということは、聞いてはならないことなのだと考えた。

 だから、パインはいつも通りにパッション溢れる性格でテンジに向き合ってきた。


 そんな理解の早いパインに、テンジは少し安堵していた。


「グロォォォォォォオ」


「ブラックケロベロス、か。本当になんの因果なんだろうね、僕たちは運命の糸で繋がってるのかな?」


 ブラックケロベロスは、いとも簡単に攻撃をいなしたテンジを警戒するように吠えた。姿勢を通常よりも低く屈め、いつでも対応できるような格好になる。


 しかしテンジは自分のことを語るように、ブラックケロベロスに向かって話しを始めた。

 懐かしくもあり、怖かった因縁の相手だ。

 つい、思い出してしまうのだ。

 あの日のことを、あの日の力がなかった自分を。絵本の王様じゃなかった自分を。


 ただの荷物持ちでしかなかった、天城典二を。


 テンジが天職に覚醒したのも、ブラックケロベロスに殺されかけた時だ。いや、すでに半分は死んでいたのだが。

 その時、何を狂ったのかテンジはブラックケロベロスの片目を体内に摂取した。


 そして――特級天職《獄獣召喚》に目醒めた。


 あまり思い出したくはない、記憶の片隅に追いやっていた過去だ。

 それでも今はその過去を払拭できるいい機会が巡ってきた。この絶好の機会に、テンジは全力でブラックケロベロスと戦うことを決めた。


(まだ僕のステータス値は、半一等級レベルだ。正直、全ステータスがブラックケロベロスに勝るわけではない。それでも……千郷ちゃんが貸してくれた指輪と地獄武器の性能を組み合わせれば、十分に勝機はある)


 テンジは悟られないように閻魔の書を捲っていき、今できる最高の装備を組み合わせていく。

 試験前に念のためと全て外していたので、それらを再び付け直す。


(『赤鬼リング』、『赤鬼バングル』、『赤鬼ネックレス』、『赤鬼イヤリング』、『赤鬼アンクレット』……『赤鬼ノ爪剣』、『赤鬼グローブ』を召喚……スキル『力導』、スキル『鼓導』、スキル『御導』を発動)


 心の中ですべての準備を終えると、テンジの両拳に赤と黒の手袋型グローブが出現し、右手の指先には人差し指と中指にハマるように小さな指輪型の小剣が装着された。

 他人には見えない装備品が四つも瞬時に肌身に装着され、テンジのステータス値は現在の最高レベルまで達する。



 ――――――――――――――――

【名 前】 天城典二

【年 齢】 16

【レベル】 4/100

【経験値】 623,989/625,000


【H P】 4840(4018+16)(×1.20)

【M P】 4819(4000+16)(×1.20)

【攻撃力】 10,493(5980+16)(×1.75)

【防御力】 4862(4036+16)(×1.20)

【速 さ】 7047(4011+16)(×1.75)

【知 力】 4869(4042+16)(×1.20)

【幸 運】 4854(4029+16)(×1.20)


【固 有】 小物浮遊(Lv.8/10)

【経験値】 133/182


【天 職】 獄獣召喚(Lv.4/100)

【スキル】 閻魔の書

【経験値】 623,989/625,000

 ――――――――――――――――



 最高のポテンシャルを発揮した時、テンジの攻撃力と速さだけは、ベテラン一級探索師相当のステータス値を発揮する。いや、攻撃力だけはそれを遥かに上回る。

 その他のステータス値は普通の一級探索師とそう変わらないが、テンジの戦闘スタイルでは速さと攻撃力さえあれば問題はなかった。


 そこに様々な赤鬼シリーズの効果が上乗せされている。

 現在、テンジが発動しているスキルはこの通りだ。



・パッシブスキル『泥酔』は、20%の確率で、敵を泥酔状態にする。【赤鬼ノ短剣】

・パッシブスキル『爆破』は、10%の確率で、攻撃に爆破(300%)を上乗せする。【赤鬼グローブ】

・パッシブスキル『貫通』は、50%の確率で、敵の防御力を無視することができる。【赤鬼ノ爪剣】

・アクティブスキル『力導』は、使用者の攻撃力を1.75倍にする。【赤鬼バングル】

・アクティブスキル『無導』は、地獄武器を自在に操作する。【赤鬼ネックレス】

・アクティブスキル『鼓導』は、使用者の全ステータス値を1.2倍にする。【赤鬼イヤリング】

・アクティブスキル『御導』は、地獄武器の確率効果を1.5倍に増加させる。【赤鬼アンクレット】



「グロォォォォォォ!?」


 予備動作なくテンジの装備が増えたことに、ブラックケロベロスは驚きの声を上げていた。

 後方からは「えっ?」とミナの声が、「いつのまに……」とチェウォンの声が聞こえてきていたが、この期に及んでテンジは性能を制限するつもりはなかった。


「グロォォォォッ!」


 痺れを切らしたブラックケロベロスが、全速力をもってテンジに襲い掛かった。

 普通なら逃げるところだが、テンジは違った。


「来い、第一小鬼隊」


 ブラックケロベロスのすぐ真下に、二十個の連なる紫色の扉が出現した。

 何もない場所から巨大な何かが出てきたことに、ブラックケロベロスは驚きつつもそのまま真っすぐテンジに向かって襲い掛かっていく。


 しかし――。


「おん」


 赤鬼刀を手に持った小鬼くんを筆頭とした第一小鬼隊が地面から現れ、主の元へは行かせないと、腹に向かって刀を振りかぶった。

 赤鬼刀はすんなりとブラックケロベロスの腹に突き刺さり、血しぶきを飛び散らせた。


 思わぬ方向からの奇襲により、ブラックケロベロスは空中で態勢を崩していた。


「よそ見しないでよ、僕はここだよ」


 そこにテンジが急速に接近する。

 そのまま赤鬼グローブが装着された、左の拳を振りかぶる。


「グロォッ!?」


 ブラックケロベロスは突然現れた小鬼たちに気を取られていた。

 その間テンジの急接近に気づかずに、顎に直接拳を食らってしまう。


 同時に――。

 パッシブスキル『爆破』の効果が発動し、攻撃力の300%を与える爆破が起こった。


 ブラックケロベロスの頬は弾けるように肉片となって吹き飛び、上後方へと虚しく吹き飛ばされていった。

 ごろんと地面にぶつかり転がっていく、その中で何とか態勢を立て直したブラックケロベロスだが、自慢の下顎が消えうせてしまったことに気が付く。歯を上下噛み合わせようとも、下の顎の感覚が無くなっていたのだ。


 たったの一撃で、肉片へと変えられた。


 自分の体の一部を失ったことで、ブラックケロベロスはようやく目の前の存在が強者であるのだと認識した。


 ブラックケロベロスの目に映るのは、一人の化け物とそれに従う二十体の小鬼だった。

 その姿はまさに王のような風貌で、気が付いた時にはブラックケロベロスの体は恐怖で震えあがる。


「第二小鬼隊、召喚」


 そんなテンジの周囲に、さらに二十体の小鬼が召喚された。

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