第106話



 下顎を吹き飛ばされたブラックケロベロスと向かい合うように、四十体の小鬼を従える完全装備のテンジが堂々とした振る舞いで睨みを利かせる。


 新たに召喚された第二小鬼隊。

 彼らは二番目に呼び出した「小鬼ちゃん」を筆頭とした、小隊を築いている。その小鬼ちゃんにはレベル4になったことで手に入れた地獄武器『赤鬼大剣』を常に装備させている。


 すでにテンジが使役する小鬼の数は78体にまで増えており、20体ずつの小隊を三つと、18体の小隊一つに分類して呼び出すようにしている。

 これも召喚するときの手間を省く手段の一つだ。


 そんな静かな攻防を近くで見ていたミナとチェウォン、パイン、ジョージの四人は、驚きのあまり声を出せなくなっていた。

 剣士と思っていたはずのテンジが、今、目の前でブラックケロベロスを圧倒しているのだ。

 手元にはテンジのシンボルであった安物のアイアンソードではなく、遠目からでも禍々しさを感じる一本の短剣が握られている。両拳には指なし手袋のような武器を装備し、右手の指先には小さなアクセサリーのような小剣が備えられている。


 そんなテンジを慕うように、周囲を守り固める四十体の人型生物。

 その中でもひと際テンジと同様の禍々しいオーラを放つのは、赤黒い武器を持った二体の個体だった。


 その頼もしい後ろ姿に、彼らの知る落ちこぼれ剣士の面影はまるでなかった。


「……どういうこと? テンジは剣士じゃなかったの!?」


「私に聞かれても知らないわよ。でも……これで剣士なんて言われても誰も信じない。いえ、信じられない。それに無機物じゃなくて……生きた生物を召喚する系統の天職。そんなの、私は一度も聞いたことがない」


 ミナの動揺に、チェウォンが意外にも落ち着いて答える。


 ミナはテンジがただの剣士で落ちこぼれだということに、一度も疑問を感じたことはなかった。直感で生きるミナだからこそだ。

 対してチェウォンは、度々、テンジの妙に堂々とした言動に違和感を覚えていた。だからこそ、この状況を思いのほか早く受け入れられたのかもしれない。


 二人は足を引きずりながら、戦闘の邪魔にならないようにジョージのいる安全な場所へと移動していく。

 太ももから滴る赤い鮮血は留まることはなく、地面に赤い線を描いていた。


 その二人の逃避に合わせて、太ももに穴が開きながらも平然と歩くパインが合流する。

 なぜ痛みを感じていないのか。

 二人はパインの異常な忍耐強さを目の当たりにして一瞬動揺を見せるが、すぐに疑問の言葉を飲み込んだ。

 それでもテンジに対する疑問だけは聞きたかった。


 ミナは必死にこの場を離れながら、パインに強い瞳を向けた。


「パインは知ってたの? テンジのこと。なんでブラックケロベロスを圧倒できるの? 私たちと同じ一年生じゃなかったの?」


 一度に叩きつけられた疑問の数々。

 しかしパインはこてんと首を傾げ、徐に口を開いた。


「ん~、私もよくわかんない。テンジがずっと何かを隠していることには気づいていたけど、それが剣士じゃなくて別の天職だったとは少し意外だったなぁ」


「パインも聞かされていない? あんなにいつも一緒にいるのに」


「うん、聞いてないよ。たぶんテンジの秘密を知ってたのは……シロヌイチサトとクロウフユキだけじゃないかな。あとはリィメイ学長くらい?」


「なんで……なんで秘密にしてたんだろう」


「そりゃあ……あんな不気味な天職だもん、私がテンジの立場だったら同じように秘匿を選ぶかも。召喚系はそれだけ貴重な存在なのに……生物を召喚できる能力なんて一度も聞いたことないからね。まぁ他の可能性としては、支援者から隠すように言われているのかもしれないよ」


「そっか、そうだよね。テンジは確か……国家枠じゃなくて、個人枠での留学だったね」


 パインの説明にミナは納得したように口を閉ざした。

 パインとの会話で少し動揺が掻き消えたのか、ミナは気持ちを切り替えてジョージの元へと足早に逃げていく。

 ほんの少し早くなったミナの歩幅に合わせて、チェウォンとパインの速度も上がる。


 この世界では『天職』という存在が、人の人生を簡単に左右させてしまう。


 召喚系というだけで、例えそれが無能な能力と言えども、世界で話題になるレベルの探索師になってしまう。それほど召喚系は貴重で、世間のニュースを騒がせる可能性を秘めていた。

 その流れを支援者が嫌がったのか、はたまたテンジが自ら望んで嫌がったのか。

 テンジの本当の姿は剣士ではないのに、自分は剣士だと偽って過ごしてきた。

 クラスメイトには散々なじられても微動だにせずに、いつもいつも笑顔で過ごしていた。それが日本人なんだと、安易に考える生徒も少なくはなかった。


 真面目で、賢くて、優しくて――。

 なんで五等級なんだろう、と可哀そうに思う生徒も多くいた。


 しかし、蓋を開けてみればどうだろうか。


 まだ一年生なのにも関わらず、ベテラン一級探索師にも近い身体能力を有し、今まさにブラックケロベロスと対等に渡り合っているのだ。

 その手には、召喚したのであろういくつかの禍々しい武器がある。

 二十体近い自立行動できる生き物を、無手から召喚できるのだ。


 最弱の剣士?

 何をバカな。


 その青年は間違いなく……ここにいる誰よりも才能に満ち溢れていた。


「……凄い」


 チェウォンは後ろを度々振り返りながら、テンジの戦いをジッと見つめていた。

 思わず心の底から零れ出てきた感想に、ミナとパインも迷わず頷き肯定する。


 三人から見たテンジの姿は、まさに鬼神だった。


 そうして三人はジョージの元へと辿り着く。


 さすがにパインも出血量と痛みが限界だったのか、ミナとチェウォンがその場にへたり込むように座るのを見届けてから、同じように近くの木に腰を掛けて座り込んだ。

 そのまま三人はすぐに出血を抑えるために服の袖を引きちぎり、自分の太ももを圧迫するように応急処置を施した。こういう時のために制服の一部は破りやすくなっているのだ。


 そんな時だった――。

 居たたまれないジョージは、ぼそりと呟いた。


「イエロー剣士って嘘だったのかよ」


 ジョージも、テンジの変わりように驚いている一人だった。

 いつもイエローだとか剣士だとかいじめるように罵っていた相手が、まさか自分よりも探索師として優れた人間だとは考えてもみなかったのだ。


 彼はテンジの戦いを見て、初めての罪悪感を抱き始めていた。

 心の中にモヤモヤとした熱い何かが泳ぎ始め、それがテンジに対する今までの仕打ちだったのだと知ってしまった。


 驚き、賞賛、尊敬、そんな感情ではなく。

 ジョージ・マクトイーネは、『真実』を知らないちっぽけな自分を怖がっていた。


 上手く言葉も吐き出せないジョージに、近くに座り込んでいたパインはにやりと笑って言ってやる。


「ジョージ、今どんな気持ち? テンジが自分よりも遥か上の存在だったなんて想像もしてなかったでしょ」


「うっせぇ。今、考えてんだろ」


「なんでテンジをいじめてたの?」


 パインの素直な質問に、ジョージは少しの間黙りこくってしまう。

 そこで追い打ちをかけるように、パインが口を開いた。


「ねぇ、なんで?」


「剣士が……同じクラスにいるってのが許せなかった。早く国に帰ればいいと思ったんだ。俺は死に物狂いでこの席を手に入れたのに、剣士が何様だって。……だが、俺が傲慢だっただけのようだな。俺の目には大穴が空いていた」


「まぁ、そんなところだろうね。良くも悪くもジョージたちは国から選ばれた生徒。私たちみたいな個人枠の生徒は嫌いなんでしょ?」


「あぁ、そう思っていた。だけど今わかったかもしれない……いや、ようやく理解できたのかもしれない。個人枠の国枠も関係ないってことを。……悔しいが、テンジに思い知らされたよ」


「あっそ」


 パインはつまらない物でも見たように、興味をすぐにテンジへと切り替えた。

 その表情は、まるで支援者のムシュタでも見ているかのような、太陽のように眩しいものだった。


 四人は一瞬でも見逃してたまるかと、食い入るように一挙手一投足を観察する。

 同じクラスの剣士だったはずの……尋常ならざる戦いを。


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