第100話
テンジは藪の中に隠れ潜み、小川の辺りで休憩を取っている二人の女子を盗み見るように観察していた。
その姿は傍から見れば、ただの変態にしか見えないのが少し気の毒だ。
(えっと……何を運んでいるんだ? あの二人は)
その視線の先には、大きくて黒い卵みたいなものを「いっち、にー、いっち、にー」と掛け声を言いながら運んでいる二人の韓国人女性の姿があった。
「ねぇ、チェウォン……あとどれくらいかな?」
「えっ? ミナ、もう疲れたの? たぶんまだ半分くらいだよ」
「え~、まだそんな距離しか進んでないの? もう……これ重くて嫌だよ~」
「弱音吐かないでよ。私だって運びたくないけど、加点されるんだからちゃんと持って行かないと。ミナはこれをゴール付近まで運んで、私はそれを手伝えば加点されるんだからさ」
「でも~、重いものは重いのぉ」
弱音を吐く純朴なミナと、そんな彼女を制御する華美なチェウォン。
二人は堂々とこのダンジョンのメインルートである小川の道を辿って、頂上のゴールを目指していたのだ。
テンジは遠くの方から「いっち、にー、いっち、にー」という掛け声が聞こえ、可愛らしい声が特徴の二人の声だと気が付いた。目的の二人がいることを知り、慌てて駆け付けたのだが――。
(試験の残り時間は40分。ようやく見つけたと思ったら、あんなものをゴールまで運ばなければならないのか。普通にあるいても15分はかかる道のりだぞ……あのペースだと本当にギリギリじゃないか)
奇襲を仕掛けてきたデミリアとは打って変わって、のほほんとした雰囲気を纏う二人を見て、テンジは少し魂を抜かれたような気持ちになっていた。
それでもテンジがゴールするには彼女らと共闘を申し込むしかない。
できるだけ自然に……自然に話しかけるのだ。
テンジは藪から立ち上がり、一歩前に歩み出た。
「うわっ!?」
ズザザザザァー、と滑り落ちてしまった。
ちょうど藪の先は土がむき出しの断面で、その砂に足を取られて頭から小川の地面に落ちた。
その瞬間、ミナとチェウォンは反射的に声のした方向に振り返った。
「や、やぁ……あんまり痛い子を見るような目で見下ろさないでほしいな」
彼女らの視線の先には、こけた拍子に制服を土だらけにして仰向けに転んだテンジの姿があった。
あまりにも間抜けな姿に、二人も思わず呆れた表情を浮かべている。
「何か用?」
ミナと話す時とはまるで違う、冷たい声でチェウォンは言い放った。
「えっと……良かったらなんだけどさ。共闘をお願いできないかな?」
「何で私たちが」
「一度ゴールを目指したんだけど、ゴール付近にデミリアが待ち伏せしてたんだよね。拘束って言ってたから、生徒を拘束するのが役割らしいんだよね」
「それで……デミリアと対等に戦える私たちに助けを求めてきたと?」
「うん、僕一人じゃあデミリアに勝てないから。剣士はデミリアには勝てない」
「そう、でも私たちは……」
チェウォンがそこまで言いかけたときであった。
隣で必死に黒繭を持ち上げていたミナが、「もうげんかぁ~い」と弱音を吐いて、ドシンッと地面に置いてしまった。
そのまま溜息を吐いて、地面にどさりと座り込む。
「ちょっとミナ!」
「え~、だってもう腕がぷるぷるしちゃったんだもん。ねぇ、テンジだっけ? 私とここを変わってくれるならいいよ。私がちゃんと護衛してあげる」
「ちょっとミナ! 勝手に……」
「いいじゃん、いいじゃん。五等級のテンジが私たちに牙を剥くわけがないよ~。そもそも一等級の私たちと五等級じゃ、地力が違い過ぎるからね。襲い掛かて来ても、逆にこうよ! こうっ!」
「まぁ、そうなんだけど…‥‥もしもの可能性ってのが」
「あはははっ、チェウォンは昔から神経質だよねぇ。別に私はテンジ嫌いじゃないよ? いつも真面目に講義を受けてるし、毎日ダンジョンで頑張ってるみたいだからね。五等級も五等級なりに足掻いてるなら、私は可愛いと思うけどなぁ」
「それはまぁ……別に私も日本人は嫌いじゃないけどさ。日本のアイドルもカッコいいしね。特に
「じゃあ決まりだね。テンジ、よろしく!」
どうやらミナが押し切る形でテンジが共闘することを許可してくれたようだ。
思わぬ方向からの応援に、テンジは内心でガッツポーズをする。
「うん、よろしく。僕の役は『平民』だよ、はいこれ」
握手するよりも先に、テンジは自分のゴーグルを二人へと渡した。
ミナがそれを徐に受け取り、レンズの中を覗き込むがこてんと首を傾げた。そしてハッと何かに気が付いたように、チェウォンの方へと視線を向ける。
「そういえばチェウォン、少し日本語読めたよね」
「えぇ、ほんの少しだけよ。日本は奇怪なほどに文字や読み方が多すぎて、さすがにわからない文字もたくさんあるけどさ」
「じゃあこれは? 二文字しかないっぽいから読めるんじゃない?」
ミナの言う通り、チェウォンもテンジのゴーグルを覗き込む。
「あっ、これは読めるわ。『アイドルの祖先から学ぶ日本語』って語学書に同じ言葉が載ってた! ヘイミン、ね。テンジ、読み方合ってる?」
「うん、合ってるよ。凄いね、チェウォン。日本語が読めるなんて知らなかったよ」
「ま、まぁ……少し勉強しただけよ」
チェウォンは褒められて嬉しかったのか、頬をほんのりと朱色に染めてテンジから視線を逸らした。
彼女が小学生の頃、好きだった日本のアイドルにファンレターを書こうと日本語教室に通っていた経験があったのだ。高校に入るころには辞めてしまった習い事ではあるが、日本語を学んだ歴としてはかなり長い方だろう。
どんな人でも、意外な動機で動くことが多い。例え将来の一級探索師も、普通にアイドルが大好きな女の子なのだ。
「私のことはミナでいいよ。はい! 早速、場所変わって! 私はもう腕がぷるぷるでーす」
ミナがようやく腰を上げたかと思うと、徐にテンジの背後に回り肩を押し始める。
薄っすらと時間がやばいことを知っていたようで、今すぐにでも出発したいと考えているようだ。
テンジは「何を?」なんて野暮なことは聞かずに、すぐに黒繭の片側に位置付けた。
「テンジ、本当に持てるの?」
逆側を担っているチェウォンが心配そうに問いかけてきた。
「うん、五等級でも人の数倍は力が強いんだってことを証明するよ」
「そう、怪我だけはしないようにね。私たちは国を代表して来てるグループじゃないから、点数目当てで人に怪我される方が嫌だからさ」
「わかったよ。怪我だけは絶対にしない」
テンジは平然と言い切った。
その自信はどこから来るのか、そんな疑問をもやもやと抱き始めたチェウォンであった。
こうしてテンジは、ミナとチェウォンの二人組と共闘することに成功したのであった。
あとは、三人でゴールまでたどり着くだけである。
テンジとチェウォンはせっせと黒繭を運んでいく。
対して、『運び屋』であるはずのミナは、自慢のバトルアックスを握り締めながら周囲の警戒を率先して行っていた。
そうしてミナが運ぶよりも順調に山道を進んでいた、ある時だった。
「そういえば私たちの役を言ってなかったわね。私は――」
チェウォンが突然、テンジに話しかけてきたのだ。
しかし、テンジはその言葉に被せるように話し始めた。
「あっ、知ってるよ。ミナが『運び屋』で、チェウォンが『世話好き村娘』でしょ?」
「「えっ!?」」
面白いほどに二人の声がハモった。
そんな二人の驚き顔を見て、テンジは面白そうに笑った。
「あっ、なんで知ってるのかって? 普通に木陰で休憩してたら、二人の会話が聞こえてきちゃったんだよね。禿げ山のエリアで」
「あっ……。だからテンジは役を知っていて、信用にたる私たちに共闘を申し込んできたのね」
「正解。デミリアみたいにブラック探索師ではないことが、僕が共闘を申し込む最低条件だったんだ。それとデミリアと対等に戦える一等級天職を持つ生徒、という条件もだね」
「なるほどね、テンジは意外と機転が利いて優秀なのね。そ…‥それとさ……!」
「ん? 答えられることならなんでも答えるよ?」
「チサトと結婚してるって本当なの?」
何を聞かれるのかと身構えていたテンジは、予想していた斜め上の質問をされたことに、思わずぽかんと口を開いていた。
そんなテンジの様子を見て、勘違いだったのだと気が付いたチェウォンは頬を朱色の染めて、そっぽを向く。
「えっと……そんな噂が出回ってるの?」
「いや、私が勝手にそうなのかと思っていただけよ。クラスのみんなも先輩もみんながテンジとチサトは一緒に暮らしているって言ってたから」
「あぁ、そこは間違ってないよ。だけど、一緒に暮らしているというよりも、僕が居候している感じかな?」
「そうなの? その……二人はそういう関係じゃないの?」
チェウォンの初心な心が面白いと思ったのか、周囲を警戒していたミナがくすくすと口元を押さえて笑い始めた。
テンジも、チェウォンがこんなにも初心な女の子だったなんて知らなかったので、ミナに釣られてくすくすと笑ってしまう。
「ちょ、ちょっと! なんで笑うのよ!」
「あははっ、チェウォンはまだ初恋もしてないからねぇ~」
「ミ、ミナ! 私だって初恋くらいは……」
「アイドルでしょ? それは初恋って言わないの。初恋は手の届く相手だからこそ、初恋なんだよ。その方が甘酸っぱくて……美味しいの」
ミナの赤裸々な語りに、チェウォンの耳は朱色を通り越して真っ赤な色に染めあがってしまう。
その姿を見て、テンジとミナは同じように笑う。
「意外だね、チェウォンは凄く綺麗だから彼氏とかたくさんいたのかと思ってた」
「テンジ、ノンノンだよ。チェウォンはまだまだ初心で、可愛い女の子なの。その化粧も全部、好きなアイドルの真似をしてるだけ」
「そうなんだね」
「ち、違うわよ! もうミナのバカ!」
チェウォンの綺麗な瞳には、うるうると涙が溜まっていた。
† † †
――モハメット・パイン。
「……1、2、3、4、5、6……これで7人目だね。そろそろゴール付近で待ち伏せでもしようかな。他の人たちも来る頃だよね」
パインは一人の生徒を見下ろしながら、そう呟いた。
「お、お前……なんで!」
「ん? 私はムシュタさんにいい報告をしたいだけだよ? そのためだったらなんだってするし、例えブラック探索師に成りきれと言われてもなりきるよ」
パインは何を当たり前な、という言いたげな顔をして見せた。
その無表情でいかれた思考回路のパインに、その生徒は恐怖のあまり後ろに後ずさった。
生徒の四肢はすでに力が入らない状態になっており、逃げると言っても遠くへ逃げることはできない。
パインのステルスボルテッカーで四肢の腱を斬られてしまっていたのだ。
彼女は生粋の暗殺を得意とする天職を持つため、森林エリアでは無類の強さを誇っていた。
道中のモンスターをすべて背後から倒しつつ、クラスメイトの二等級天職持ちを見つけては、四肢の腱を斬り、無力化することで役割を成し遂げていたのだ。
「た、頼む! 俺は国から推薦を受けたグループだ。俺も自国にいい報告をしなくては、ここにいられなくなってしまう……」
「うるさいよ。私は君のことをクラスメイトとは思っているけど、それ以上じゃない。じゃあね、すぐに君の審査役の探索師が来ると思うから、安心してゴールまでキャリーされてね」
パインは笑顔一つ浮かべることなく、冷酷な表情を浮かべたまま、彼の前から音もなく姿を消し去った。
それからすぐのこと――。
(……ジョージかぁ。私の敵と成り得るのは、ジョージとデミリアの二人だけ。もしその一人を私の手で脱落させられれば……。でも、一対一じゃあ少し分が悪いかも。漁夫の利を狙いつつ、後を付けてみようかな)
ブラック探索の役割を持つパインは、モンスターと戦うジョージを見つけ、密かに後を追い始めた。
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