第99話
テンジの頬のすぐそばを、淡く緑に輝く魔弾矢が通過していった。
後方からの不自然な風切り音を事前に感知していたので寸前で避けることはできたが、一歩間違えれば頬肉を抉っていた軌道だった。
(危なっ!?)
そんなギリギリな奇襲を回避したテンジは即座にその場に姿勢を屈め、アイアンソードを引き抜いた。
後ろへと振り返り、矢が放たれた方向に視線を向ける。
「ちっ、避けんなよ。イエロー剣士が」
木の陰から一人の青年が舌打ちをかましながら出てくる。
それはアメリカからジョージと共にマジョルカエスクエーラに入学してきた、アメリカの二大至宝の一人、デミリア・ガルシアであった。
ストレートな髪を左側だけ降ろして、右側をオールバックにした生徒だ。その手には豪華な装飾の施されたアーチェリーのような機能的な弓が握られている。
「……デミリア、何の用?」
「イエロー剣士がいっちょ前にかわしやがって。大人しく俺に拘束されろ。そもそもお前に勝ち目なんてないんだからな」
「嫌に決まってるじゃん。それに……逃げ足だけは誰にも負けない自信があるからねっ!」
その瞬間、テンジは気配を限りなく小さく収め、近くの茂みに飛び込んだ。そのままジグザグと音を立てないように駆けだし、デミリアから逃げ始める。
「なっ!? 本物のイエローじゃねぇか」
遠くで、デミリアの驚いたような声が聞こえてきた。
彼も気配を消すことは得意なようで、すぐにテンジも彼がどこにいるのかわからなくなっていた。それにデミリアはこういった森でのサバイバル術を心得ているようで、四方八方いたるところから石がぶつかる音や木が折れる音が聞こえてくる。
(あの超精度の弓矢で僕をかく乱させるつもりか? デミリアがどこから追ってくるのか、まるでわからない。……凄いな、千郷ちゃんに近しい技術を自己流で体得しているのか)
テンジはデミリアの技術力に感心しつつも、ひたすらに後を追われないように頂上に向かって逃げる。
もちろんテンジも追いかけっこに負けるつもりはないので、不規則なルートを選択しながらひたすらに走った。
あれから三キロほど逃走劇を繰り広げていた。
テンジは自分でもどこにいるのかわからなくなっており、近くで見つけた妙に新しいプレハブ倉庫の壁に腰を掛けて休息を取っていた。
「ふぅ、さすがに撒けたようだな」
途中から、テンジは少しだけ全身に力みをいれて本気でデミリアからの逃走を図った。
本当はステータスの恩恵すらあまり使いたくはなかったのだが、さすがに一等級天職を持つデミリアと恩恵なしで逃走劇を繰り広げるのは無理というものだ。
二キロほど走ってからは、完全にデミリアもテンジを見失ったようで、明後日の方向から木の枝や石が割れる音が響いていた。
(それにしても僕が狙われていた? ……これも『役』なのか? 確か拘束って言ってたよね)
なぜ自分が狙われているのかと考えたとき、それは明らかにデミリアの役なのだと考える。
テンジ個人を拘束したいのか、他の誰でもいいのか、そこまではわからないが拘束することで大幅な加点があるのだろう。
(これは困ったなぁ……もう少しでゴールだったのに、ますます遠ざかったじゃないか)
そう考えながら、テンジは頂上の方に視線を向ける。
(何となくはわかっていたけど、頂上付近での待ち伏せは少なからずあるようだな。あきらかにデミリアはどこかにハイドしながら、僕の隙を狙っていた)
未だに未熟なテンジでさえ、プロでもないデミリアが近づいてくればその気配には気が付くはずだった。それだけの訓練を千郷とみっちり重ねてきたのだから。
しかし、実際には一切の気配を感じ取ることはできなかったのだ。
考えられるのは、デミリアが相当なハイド技術の使い手なのか、元々あの場所で待ち伏せしていたかのどちらかしかない。
「まぁ、十中八九……待ち伏せされてたんだろうな」
どうやってゴールを目指すべきか、思考を巡らせる。
おそらくテンジ一人ではカモと思われて、また待ち伏せからの奇襲を食らってしまうだろう。
もちろん天職の本領を発揮すればなんてことはない策なのだが、剣士として振舞うべきテンジにはその力技ができない。
「……やっぱり、共闘を申し込むしかないか」
こうなると、テンジは誰かに共闘を申し込み一緒にゴールを目指してもらうしかない。
しかし、それにあたって一つ大きな問題がある。
「でもなぁ、誰を信じればいいのか。パイン、チェウォンさん、ミナさん、この三人は恐らく大丈夫な『役』を持った人たちだよね」
切羽詰まったテンジに、光明を刺せる人物は今のところ三人だけだ。
ばったり出くわした『平民』のパイン。
会話が聞こえてきてしまい『運び屋』と判明したミナ。彼女と一緒にいた自称『世話好きな村娘』のチェウォン。
彼女らならばブラック探索師役である可能性が極めて低い。
そこでふと、テンジは腕時計を見る。
「試験終了まで残りちょうど一時間。僕が剣士のまま試験に合格するには、ゴールする以外に道はない」
このまま制限時間が過ぎれば、テンジに大幅な減点が入り試験には合格できない。
逆に減点を考慮してモンスターを倒しまくれば、本当に剣士なのかと教師や生徒たちに疑いの目を向けられてしまう。
そうなると、合格への道は一つしかないのだ。
「……三人の誰かと合流して、共闘を申し込むしかない」
† † †
――デミリア・ガルシアの現在。
「ちっ、本当にすばしっこいイエロー剣士だな」
小川の近くに鎮座していた大きな灰色の岩の上で、舌打ちをしながら休息を取っていた。
そのすぐ傍には、この実技テストのイレギュラーとしてこのフィールドを徘徊していた二等級モンスターの魔鉱石化を始めた死体が転がっていた。
弓矢のかく乱術には精密射撃が要求されるため、走りながら矢を打っていたデミリアは相当な消耗をしていた。
「いいカモが見つかったと思ったのによ」
デミリアが試験開始と同時に与えられた役は『拷問官』。
生徒の一人を捕獲――支給されている手錠を両手にかける――をすれば、採点された点数に旨い倍率を掛けられるという報酬だった。
一人捕獲すれば1.5倍、二人で2.0倍、三人で2.5倍と、適度に点数を稼いであとは誰かを拘束すれば1位になるのも夢ではない報酬であった。
デミリアは、ジョージと双璧をなすアメリカが生んだ金の卵である。
元は田舎でトウモロコシを育てながら、趣味で父と一緒に狩猟に出る、どこにでもいる普通の少年だった。
しかしエレメンタルスクール時代にその才能を見出されて、晴れて一等級天職『ホークレンジャー』という遠距離主体の天職を手にした。
そしてジョージと共にアメリカが保有するマジョルカエスクエーラ入学の枠を二つ使い、ここに入学してきたのだ。
国の支援を受けているということは、それ相応の結果が要求される。
デミリアがこの試験に躍起になって挑むのも、仕方のない圧力だったのだ。
「しゃあない……他のやつらでも探すか」
むくっと立ち上がったデミリアは、気合を入れ直すために深呼吸をする。
その時だった。
「おう、デミリア」
ちょうど対岸の藪の中から、見知った太々しい顔が現れたのだ。
デミリアの親友でもあり、戦友でもあり、ライバルでもあるそれは――。
「おう、ジョージか。調子はどうだ? 俺はもうノルマの50体を超えてるぞ」
「範囲攻撃が得意なお前と比べられても困る。俺は近接型なんだ」
「はははっ、まだノルマ行ってねぇのか」
「うるせぇ、もうじき超える予定だ。それよりもデミリアの役はなんだ? あぁ、もちろんデミリアをどうこうしようって考えはないぞ。俺はデミリアを正々堂々と倒したいからな」
「言ってくれるぜ。まぁ、ジョージならいいか。俺は『拷問官』、誰でもいいから生徒を捕獲しろって話らしい」
デミリアの話を聞いて、その場に立ち尽くしてジョージは考え込むように顎に手を当てる。
そうして頭の整理がついたのか、ゆっくりと顔をあげる。
「デミリアには思いつかないような語句だな。嘘は付いていないらしい」
「おい、俺の語彙力で嘘を確かめたってか!?」
「実際、そうだろ。デミリアは勉強が嫌いだからな。アメリカで育成受けていた時も隙を見つけては施設を抜け出して、狩猟に出かけてただろ」
「うっせぇ! そんな過去の話を掘り返すな!」
「ははっ、ジョークだ、ジョーク」
「ちっ。で、ジョージの役は?」
「俺は『復讐者』だ。イエロー剣士を戦闘不能にするか、ゴール地点の傍にあるプレハブ内に隔離すれば大幅な加点が入るらしい。とはいっても、あいつがどこにいるかもわからないからな、あまり当てにはしていない」
「イエロー剣士だと? ちょうどさっき逃げられたところだぞ。たぶんこの近くのどこかで息を潜めている」
「ほぅ、デミリアが逃げられたと? 焼きでも回ったか? それともここにきて衰えたか? アメリカの森じゃ無双してただろ」
少し、ジョージは感心したように言った。
そんなライバルの顔を見て、デミリアは憎たらしいテンジの顔を思い浮かべ、ちっと舌打ちをした。
「あいつもここに来れる剣士だろ。普通な剣士なわけがねぇ、ってことだよ。そもそも剣士って話自体が嘘くさい話だがな」
「まあな……五等級の野郎がここに入学できるわけがないからな。とりあえず情報ありがとう。時間までこの辺りを中心に狩りでもしている」
「おう、精々アメリカの恥にはなるなよ」
「デミリアこそ、やられんじゃねぇぞ」
お互いを認め合い、お互いを尊敬しあってるからこそ、二人は自分の役を赤裸々に語り背中を向けた。
二人は小さな頃から同じ施設で育ち、このマジョルカにやってきた。
そんな優秀な二人は、何の因果かテンジを狙っている。
いや、イロニカの腹黒い画策であったか。
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