第95話
「よっこらせっと。テンジ、着いたよ」
冬喜の温かくて大きな背中に揺られながら、一時間半ほどが経過していた。
彼が本気を出せば数分と掛からないでフィールドの端に着くのだが、どうやらテンジにスタート地点を知られないために、あえて色々な道をぐるぐると歩いてきたらしい。
その事実に途中から気が付いたテンジは、すでに自分がどこの場所にいるのか探るのを諦めていた。
冬喜の背中から降りると、テンジは大きく背伸びをする。
「もう目隠しは取っていいの?」
「いいよ。疲れた?」
「なんだか変な気持ちだよね。おんぶされたのなんて、幼稚園以来だよ」
そんな感想を漏らしながら、テンジは黒く塗りつぶされた目隠し用のゴーグルを外した。
第15階層は、一つの巨大な山が中央にそびえ立つフィールドだ。
剥げたように砂地が広がっているエリア、鬱蒼と背の高い木々が続くエリア、モンスターの巣窟と化しているエリア、湖が広がるエリアなど、一つのフィールドで様々な環境が備わっている。
山の頂には転移ゲートの噴水広場があり、テンジが今いるのはどこかの森林エリアの麓であった。
ゴールは転移ゲートのある噴水広場なので、麓から頂に上るように坂を進めば自然とゴールにはたどり着けるはずだ。
「やっぱりここは少し寒いね。日本で言うと10月くらいかな? 羽織ものが一枚欲しくなるけど、動いたらどうせ暑くなるよね」
「だね、ちょっと体温調節しづらい階層ってのはわかる。俺もここはあんまり好きじゃないし」
二人とも少しだけ薄着で来ていたので、寒そうに鳥肌の立っている二の腕を擦った。
「冬喜くんが僕の試験官なの?」
「あっ、やっぱり気が付いてた? 一応、リィメイ学長が気を利かせてくれて、俺か千郷ちゃんにする予定だったらしいよ。それで千郷ちゃんは朝に弱いから、俺が抜擢されたわけだね」
「なるほど、朝が弱いってだけで試験官が免除されるんだね。……緩いなぁ」
「あははっ、まぁそれがここの良いところでもあるんだけどね。でも、生徒も教師も成績が悪ければすぐに除籍されてしまうから、みんなやる気だけは人一倍だよね。日本ではあんまり見ない光景って面白いから好きだな」
「僕もそこは否定しないよ」
「まぁ、ということで一応俺が試験官だけど、贔屓目なしで採点するからね。とはいっても、あんまり派手に立ち回りすぎないように」
「うん、わかってるよ。僕がベテラン一級探索師相当の強さを手にするまで、ゆっくりとこの秘密の時間を楽しむことにするよ」
「わかってるならいいんだ。正直、俺も試験官をやるように言われているだけで、何が起こるのか知らないからさ。まぁ、俺は一応ハイドしながら採点しているから、あんまり気にしないでね」
「了解。適当に戦って、適当にゴールしておくよ」
「じゃあ、頑張って」
「冬喜くんもね」
いつも通りの緩い会話をすると、冬喜はテンジに背中を向け適当にこの場を離れていくのであった。
そして《幻獣王》の一つである『シャドースナイパー』に変身し、完全にテンジの感知範囲から姿を掻き消す。
その様子を見て、テンジは「さすがだなぁ、全くどこにいるのかわからないや」と感心していた。
そして――。
『これより前期実技演習、1-Aクラスの部を開始します。探索師としての役割を全うし、この試験に臨んでください。それでは……開始です!』
突然、手に持っていた目隠し用のゴーグルからイロニカの声が鳴り響いたのだ。
思いもよらぬ場所から声が聞こえたことに驚きつつも、テンジはその目隠し用のゴーグルをジッと見つめる。
先ほどまで黒く塗りつぶされていたはずのレンズが、いつの間にかミラーレンズのような色に変化していたのだ。
不思議に思いつつも、テンジはそのゴーグルを覗いてみる。
「あー……そういうこと。抜かりないな、この試験も」
ゴーグルを冬喜に返し忘れたと思っていたテンジは、ミラーレンズの内側に刻まれた文字を見て心の底から納得していた。
冬喜はゴーグルを回収し忘れたのではなく、あえて回収しなかったのだ。
テンジのゴーグルに刻まれていた文字は――。
「僕がなりきる役は『平民』か。要するに、普通に試験を続ければいいんだね」
平民、つまり普通の生徒として振舞えばいいのだ。
普通があるということは、普通ではない役を与えられた生徒もいるはずだ。それが何かまでは予測できないが、このルールが生徒たちを疑心暗鬼にさせるものなのだと知った。
「さてと、僕は普通にゴールを一直線に目指しますよ」
すでに武器袋から取り出しているアイアンソードを持ち直し、テンジは周囲を警戒しながら山の頂に向けて斜面を登り始めた。
このフィールドには踏み固められたようなちゃんとしたルートもあるのだが、そこを通ると他の生徒と鉢合わせるとも限らない。
だから、テンジはあえて獣道すらない山の道を切り開いて進むことに決めていた。
そうして間もなく、テンジの前に三体のモンスターが立ちはだかる。
その姿を先に察知したテンジは、念のため近くの太い木の陰に隠れた。
(うーん、運が悪いなぁ。誰か来る)
テンジは感知系の能力を有してはいないので、決して感知範囲が広いというわけではない。
それでも千郷とマンツーマンで磨き上げた探索師としての技術は、そこら辺の生徒よりも断然優れている。
そう言った理由もあり、遠くの茂みが不自然に揺れた音と影をすぐさま察知したのだ。
ガサガサ、と茂みが揺れる。
「ラッキー、ゴチネントーイじゃん。始まってすぐに四等級モンスター三体の群れと鉢合わせるなんて……ついてるな」
茂みの先から現れたのは、1-Aクラスでも常にいい成績を収めているアメリカ二大原石の一人、ジョージ・マクトイーネであった。
彼は国が認めた優秀な探索師の卵であり、この試験でももちろん1位を目指す生徒である。
テンジは彼と面と向かって話したことはない。皮肉めいた暴言を吐かれたことは数え切れないほどにあるのだが。
そんなジョージの様子を、テンジは気配を殺して木陰から姿勢を屈めて観察する。
「ゴチネントーイ。戦ったことはないけど……すぐに木々の影に隠れて、木登りが得意。頭上からの奇襲攻撃を得意とし、群れを成す場合は天と地両方からの奇襲もあると。それで……攻撃手段は異様に鋭くて硬い爪だ。まぁ、余裕だな」
まるで講義の復習でもするかのように、モンスターを前にしてブツブツとゴチネントーイの習性を呟く。
実際にジョージの言う通りで、ゴチネントーイは鋭い爪と奇襲攻撃を得意とする四等級モンスターだ。
そのモンスターはミーアキャットを小学生ほどの身長まで大きくしたような風貌をしており、目の周りには隈のようにも見える黒い毛並みが不気味さを演出している。
意外とすばしっこくて、このような森林エリアではすぐに見失ってしまう厄介なモンスターでもある。
とはいっても、一等級天職《グリッドブレイク》を持っているジョージにとっては、赤子のようなモンスターに感じているのだろう。
「おい、子猿ども……さっさと来やがれ」
ジョージは煽るように、ゴチネントーイ三体に向かって指笛を拭いた。
三体は音に反応し、びよーんと伸びるように二本足で立ち上がる。そして指笛を鳴らした、ジョージの姿を視界に捉える。
その瞬間、ゴチネントーイ三体はそれぞれ別の方向にある茂みへと散会した。
「なるほど、そうやって奇襲攻撃の機会を伺うのか。三体いるということは……天と地からの奇襲攻撃だろっ!」
ジョージの読み通り、次の瞬間には近くの茂みから挟み込むように二体のゴチネントーイが現れ、もう一体は木の上から猛スピードで迫りかかってきた。
その速さはかなりのもので、四等級モンスターの中でも上位に位置する速度を持っている。
それでも――。
アメリカの二大原石の一人とまで謳われる天才、ジョージ・マクトイーネにはまるで敵わない。
「……『グリッド・スパイラル』ッ」
ジョージは、チャリオットの二級探索師である福山のような、手の先から第一関節にかけて装着するようなグローブ型の武器を両手に装着していた。エメラルド色のそれは、美しい機能美を思わせる。
その美しい武器を纏う両手を、おにぎりを握るようにおへその辺りで構えた。
ブワァンと音が鳴ると、両手の中には緑色のグリッド線が生まれる。
「ゴネィッ!?」
「ゴネッ!?」
「ゴゴィッ!?」
その瞬間――。
格子状の緑の攻撃が、ジョージの周囲に勢いよく展開されていく。
そして気が付いた時には、ゴチネントーイ三体の体が無惨にもバラバラに斬り裂かれたのだ。
いや、正確には体の細部までグリッド――立方体――に刻まれて、盛大な血しぶきを拭き荒らしたのだ。
まさに圧倒的な一撃。
例え奇襲と言えども、そんなちんけな攻撃を強力な一撃でねじ伏せる。
ジョージの戦い方はまさに、一級探索師としての正統な戦い方であった。
彼らのほとんどは力技でどうにかなる……いや、なってしまうのだ。
(凄いな……これが一等級天職の殺意を持って放った、攻撃スキルか)
テンジは今までストレートな攻撃スキルを持つ一等級天職を、その目で見たことがなかった。
クラスの中でも一番出会いたくなかった人物ではあるが、実際にその攻撃力を自分の目で見られたのは良い収穫だった。
テンジは木陰で一人、ニヤリと悪戯な笑みを浮かべた。
「――誰だ!?」
その時、ジョージが何者かの気配を感じ取った。
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