特級探索師への覚醒 ~蜥蜴の尻尾切りに遭った少年は、地獄の王と成り無双する~

笠鳴小雨

第1章 覚醒編(上)

第1話 Prologue



「――ああ、僕にもっと力があれば」


 天城あましろ典二てんじは死を目の前にして、自分の弱さを嘆いていた。


 ごつごつとした薄墨色の岩肌質な壁に背中を預け、テンジはハァハァと息を荒げている。

 脇腹には片手で押さえられないほどには大きな穴が開いていて、止め処なく流れ出る血を押さえようと傷口を塞いでもすでに意味はなかった。

 モンスターに噛み千切られた脇腹には、黒い炎のような火種がちりちりと燃え上がっており、それは確実にテンジの体を蝕み弱らせていた。


 テンジはすでに痛みという感覚を失っていて、血を大量に失ったことによる寒さだけが感覚として残っていた。それゆえに怖さはもう感じず、自分の弱さに対する後悔だけが心の内で燻っていた。


 そんな死にかけのテンジを見下ろす、赤い瞳を持ったモンスターがいた。


 それは一緒にダンジョンに潜ったプロ探索師の誰もが敵わないと悟った強力なモンスターの姿だった。

 この御茶ノ水ダンジョンは『四等級ダンジョン』であり、難易度で言うと下から二番目でしかない。

 それほど難易度の高くないダンジョンのはずだったのだが、このモンスターだけはその難易度に見合わない強さを持っていた。


 三つの首に、四足歩行の獣型。

 全身には漆黒の毛並みがゆらゆらと炎のように揺れており、黒い毛並みの奥には餌を見下ろす二つの赤い瞳。

 その特徴は紛れもなく、一等級モンスター『ブラックケロベロス』の姿であったのだ。


(あの赤い瞳は間違いなく一等級モンスターの特徴だ。だけど……何でこんな四等級ダンジョンにこんな化け物が出るんだよ。……あぁ、寒くなってきた)


 テンジは掠れ始めた視界の中で、なぜこうなったのだ、と思った。


 妹のためにお金を稼ぐ必要があった。

 ご飯を食べるためにお金を稼ぐ必要があった。

 バカな両親の残した借金を返すために、人の何倍も何十倍もお金を稼がなくてはならなかった。


 だから、危険だけど高収入なダンジョンレイドの荷物持ちアルバイトを始めた。

 本来であれば、高校一年生のテンジは勉学に励む年齢である。こんな危険なアルバイトを頻繁にやる必要のない年齢なのだが、生きる為にやむを得ない理由がいくつも重なってしまったのだ。


 しかし、その結果がこれだ。


 たったの十六歳で死ぬなんて、一度も彼女すらできずに人生を終えるなんて。

 ――最悪以外の何者でもなかった。


(なのになんで! 僕が戦えないからって、なぜ裏切られなければならなかったのだ! なぜ僕が蜥蜴の尻尾切りとして生贄にされ、モンスターの餌となって時間を稼がなければならないんだ!)


 テンジは心の中で不満を吐き出すも、生贄にされた理由には薄々気が付いていた。


 ダンジョンに潜って今日がちょうど二週間。

 食料も底を尽きそうで出口も見えない中、まともに戦うことのできないテンジは明らかに足手纏いだった。

 誰にでもできる荷物持ちという役割だけで、残り少ない食料を消費されたくはないと思われてしまったのだろう。

 この切迫した状況を鑑みれば、テンジが一番の不要な存在であると誰もが分かってしまう。


 運も良くなかった。


 ダンジョンに入って二日目には迷宮内部の構造を変革してしまう『うねり』が突発的に発生し、テンジの加入していたレイドの帰り道はことごとくダンジョンの壁に塞がれてしまった。

 そこでレイドのリーダーが出口を探すべく、ダンジョンを進むことに決めた。


 そんな危機迫った状況の中で、レイドパーティーの前に現れたダンジョンの難易度にそぐわない一等級モンスター、ブラックケロベロス。

 中学の教科書にも載っているほどに有名なあのブラックケロベロスなのだ。

 太刀打ちするならば、同じ等級である『一級探索師』でも呼ばない限りは不可能だった。しかし、レイドに参加した中で最も位の高い探索師は二級探索師。圧倒的に武力が足りなかった。


 逆立ちしても勝てない敵を目の前にして、テンジを生贄にするのが一番だと思われたのも仕方のないことだった。この判断が最もレイドの生存率を上げるのだから。


 だからと言って、テンジにとって納得できるような理由なんて一つもなかった。


「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな!」


 テンジはただでは死んでやるかと思い、最後の力を振り絞る。

 今にも消えそうな"生"の灯を絶やさないよう、目の前にいるブラックケロベロスの顔を何度も何度も殴り始めた。

 しかし、ブラックケロベロスは瞬き一つすることもなく、テンジの肉をこれみよがしに咀嚼し続けた。


 ただの高校生で、それも探索師の登竜門である《天職》すらまだ取得していない人間の拳なんて、一等級モンスターにとっては「うるさいハエだ」くらいにしか思わなかったのだ。


 何度も何度も殴り続けたテンジの拳は、次第に力を失っていく。

 体から感覚という何かが喪失していくのと同時に、目の前の敵にはどう足掻いても敵わないことをようやく理解したのだ。

 死がすぐそこまでやってきてることを悟ったテンジは、途端に冷静さを取り戻す。


「僕に天職さえあれば――」


(そうすればこいつに勝てたかもしれない。成長期の妹にひもじい思いをさせずに、お肉をたらふく食わせてやれたかもしれない。……そう、誰にも負けないあの絵本の王様のような強ささえあれば……)


 そこでテンジはふと気が付いた。


「なぁ……その瞳を食ったら、強くなれるのか?」


 そう呟いたテンジの体にはもうほとんど力は残っていなかった。

 それでも本当に最後の力を振り絞って、テンジは自分の肉を咀嚼している敵の瞳を見て、不敵に笑って見せた。


 モンスターの等級、つまり強さを見分けるには瞳の色を見ればいい。


 テンジは高校でそう教わっていた。

 じゃあ、なぜ瞳の色で強さが分かれているのだろうか。テンジはそんな疑問をずっと抱いており、ある日の放課後に先生へと質問をすると、こんな答えが返ってきた。



 ――モンスターの瞳には『MP原子』が集まりやすいんだよ。人間の心臓みたいなものだな。心臓には血液が流れてくるように、モンスターの瞳にはMP原子が集中的に流れてくる。だからモンスターの強さが瞳に表れると言われているよ。……あとあれだな、どんなに強いモンスターだろうと瞳だけは脆い。もし危機的な状況が訪れたら狙ってみるといいよ。まあ、狙い撃ちできるほどの技量があればの話だけどな! モンスターたちも瞳が弱点だと知っているから難しいんだけどね、ちなみ先生は一度も成功した試しがない!



 モンスターの強さは『MP原子』の濃度で決定する。

 テンジでは全く歯が立たない一等級モンスター。そのMP原子濃度が最も高いモンスターの瞳を摂取した場合、人間はどうなるのだろうか。外道な実験過ぎて、誰も結果を知るわけがない。

 普通の人間ならば怖くてできるわけがないし、体が濃度に耐え切れずに内側から破裂してしまうかもしれないという恐怖もあった。

 そんな狂気じみた人体実験なんて誰もがやろうとはしない時代なのだ。


 ただ、今のテンジは違った。


 この時のテンジは死を目前にして、たがが外れていたのだ。


(もう僕は死ぬんだ。今は痛みも怖さも――何も感じない)


 テンジは風前の灯火だった心の炎を再び焚きつけた。


 残りの力を限界まで振り絞って、片腕に力を籠める。

 しかし、なぜか腕に力は入らなかった。すでにテンジの両腕はブラックケロベロスに喰いちぎられた後だったのだ。

 もう自分のどこが食べられているのかすら、テンジには分かっていなかった。


 だったら――。


「直接喰ってやる」


 テンジは不意に、目の前で悠然と自分を喰らっているブラックケロベロスに顔を近づけた。

 その動きはほどよく力が抜けきっており、見惚れてしまうほどに自然な動作だった。


「グロォォォォォォオッ!?」


 ブラックケロベロスの片瞳が、綺麗に噛み千切られた。


「くっそ……まずいな」


 テンジは丸い瞳を舌で転がして見せ、くちゃくちゃと赤く輝いていた瞳を噛み潰し、喉の奥へと押し込んでいく。

 瞳の触感はいくらみたいで、味は腐った鮎のようだった。ごくんとテンジの胃に飲み込まれた。


「グロォォォォオッ!!」


 自分の瞳が食われたことにようやく気が付いたブラックケロベロスは、怒りの咆哮をあげながら、テンジの横腹を蹴り飛ばした。

 すでに全身の力がないテンジはされるがままに地面を何度も転がり、ダンジョンの岩肌な壁へと背中から衝突した。


「……ゴホッ」


 その衝撃を最後に、テンジの意識は暗闇の中へと引きずり込まれていった。



 …………。

 ………………。



《特級天職クエスト『十王への道』のクリアを確認しました》


《クリア者を検索――確定しました。クリア者『天城典二』、計一名》


《天城典二へ、天職『獄獣召喚ごくじゅうしょうかん』の付与を実行します。――損傷過多のため、天職の付与が実行できませんでした》


《特級天職ギフトその一を自動消費し、損傷の修復を行います。――周囲50m以内に怒り状態のモンスターが存在するため実行できません》


《特級天職ギフトその二を自動消費し、周囲のモンスターの排除を実行いたします》


《特級地獄獣『酒呑童子しゅてんどうじ』の一時的な召喚を申請――承認が下りました》


《ただちにモンスターの排除を実行してください。天城典二の死まで、残り12秒……11秒……10秒……》


 このとき、テンジの意識は微かに残っていた。

 それでも誰かが何かを喋っているくらいにしか聞こえておらず、目の前に赤い何かがいるくらいにしかわかってはいなかった。

 薄れている視界の中には、テンジの前に立ちはだかる何者かがいた。


「……くひっ……どこだここ」


 酒に酔ったような間抜けな声を出したのは、酒呑童子だった。

 元々テンジに与えられるはずであった特級天職ギフトの一つを行使して、一時的に未来の力を使い、この地獄獣を呼び出していたのだ。


 酒呑童子の瞳は、純粋なをしていた。


「グロォォォオッ」


 その様子を見ていたブラックケロベロスが威嚇の唸り声をあげ、全身の黒い毛をゆらゆらと逆立てた。

 しかし、酒呑童子はそんなのお構いなしに手に持っていたひょうたんの中身をぐびぐびと飲み干していく。


《酒呑童子はただちにモンスターの排除を実行してください》


「くひっ……あ?」


《酒呑童子はただちにモンスターの排除を実行してください。残り7秒》


「くひっ……あぁ、なるほど。これってもしかして主が力を前借して、召喚したパターンか。はいはい、目障りな犬っころを殺せばいいんだな?」


《酒呑童子はただちにモンスターの排除を実行してください。残り6秒》


「わかってるよ、うるせぇなぁ。殺しゃ、いいんだろ?」


 酒呑童子が面倒くさそうにぷはぁと息を吐いた。

 その瞬間、ブラックケロベロスが酒呑童子に飛びついた。巨体を揺らしながら、凶悪な牙をむき出しにして首元に噛みつこうとする。


 しかし、酒呑童子は優雅にその光景を眺めていた。


「くひっ……目障りだぞ」


「グロォォ……ォォオ」


 気が付いた時には、酒呑童子は特に力む動作を見せず手刀一本で、ブラックケロベロスの体を縦から真っ二つに斬り裂いていたのだ。

 ブラックケロベロスは地面に倒れてようやく、自分が死んだのだと理解した。一等級モンスターが攻撃の瞬間すら目で捉えられなかったのだ。

 自分に迫る死の恐怖と、目の前にいる見たこともない白い瞳をしたモンスターに、有無を言わせない恐怖を抱くのであった。


 ブラックケロベロスの瞳から生気が消える。


「ちっ、早く帰しやがれ。もう仕事はやったぞ。ちょうどさっきまで大嶽丸おおたけまる衆合地獄しゅうごうじごくで飲んでたんだ、いいところで邪魔しやがって」


《モンスターの排除を確認しました。酒呑童子を地獄へ帰還させます》


 誰かがそう言うと、酒呑童子の足元に白色に淡く輝く門が出現する。門はすでに半開き状態であり、門の間にはマグマみたいなドス赤黒く光る油膜の空間が広がっていた。

 酒呑童子はその油膜に溺れていくように、堂々と沈んでいく。


 どうやらこの門が地獄と繋がっているらしい。


 帰りの間際、酒呑童子は死に掛けのテンジに向かって小さく呟いた。


「未来の主よ。早く強くなれ、俺はずっと待っている」


 その言葉を残し、酒呑童子はこのダンジョンから消えた。同時に白い門も閉ざされ、空中へと霧になって掻き消えていく。

 何もいなくなったダンジョンの中は、テンジの微かな息の音だけが静かに鳴っていた。


《特級天職ギフトその一を自動消費し、損傷の修復を行います》


《――完了。天城典二の体は万全であると判断されました》


《天城典二へ、天職『獄獣召喚』の付与を実行します》


《――完了》


 再びダンジョンは静まり返った。

 ここに地獄の王の因子を持つ人間が誕生した。


 その事実を知るのは――ずっと後のことになる。



 † † †



「……ん」


 テンジが目を醒ました。

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