幸せを求めて〜ディスプレイ〜


 食事もそこそこに,お店を出た。トオルさんと楽しそうに話すあの女をこれ以上見ていられなかった。

 こぼれでたため息が白い蒸気となり、暗闇へと立ち消えていく。

 この呼吸とともに,この世界から消えることが出来てたらどれほど楽だろうか。そう思った。

 私は,まだ戦ってもない相手を前にして戦意を喪失し,結果として負けている。これまでの生活において,劣等感を感じることはそうそうなかった。もちろん,私よりきれいな人やアイドル的な存在がいなかったという訳ではないが,その人とたちとははなから生きている世界が違ったり,同じ土俵にたつことは無かった。

 しかし,名前も知らない美人と同じ相手を取り合うことを今初めて想像したとき,こちらに軍配が上がるとは到底思えなかった。あの女には私にはない魅力を持ち併せている。それだけでリングにタオルを投げてもらうには十分だった。それぐらいに私とあの女には埋めようのない差があった。

 辛い。

 むなしさと共に空腹感が襲ってきた。どこかでご飯を食べてから帰って寝よう。

 手軽に食べられるお店がないか辺りを見回していると,カバンの中でバイブ音がして,規則正しく振動している。携帯のディスプレイを見ると,高槻トオルの文字が黒いディスプレイの中で白く際だって浮かんでいた。




 繁華街が煌々ときらびやかに光っているのを横目に見ながら,冷たい風の吹く公園にも関わらず体温が上昇するのを感じながら座っていた。


「ごめんね。急に呼び出してしまいました」


 柔らかい表情から敬語の混じった言葉をかけられる。その包まれるような表情と肩の力が抜けるような声を聞くと,恥ずかしくて顔を直視できず思わず背けてしまう。


「お店は大丈夫ですか? まだやっている時間なのに・・・・・・」


 携帯の電源に表示された時間を見ると,もう少しで一時になるところだ。三時までやっているはずなのに。


「今日は早めに閉めさせてもらいました。このまま別れると,なんだか二度と会えない気がして」

「そんなおおげさな・・・・・・。どうしてそう思ったのですか?」

「だって,あの女優さんとの間で火花が散ってましたよ。そして,炎が消えたようにシュンとして,何かと決別したみたいでした」


 小さく,放ってはおけません,という一言に胸が熱くなった。




人のことをよく見ているんだな。そういうところが,相手への配慮を生み出すのだろう。自分のことばかりで主張の激しい人には決して出来ないさりげない心配りが出来る人なのだ。

それにしても,お店を閉めさせてまで気を遣わせて申し訳ない。自分の大切な店なのに・・・・・・。

ふと,トオルさんのことを知りたくなった。


「トオルさんは,いつからお店を出そうと決めたんですか? 私とそんなに年が離れているようには見えないですけど・・・・・・」

「そうだね,30半ばで店を出すなんて早すぎるって周りには言われた。でも,やりたいことをやりたいときにやっておかないと。明日死ぬかも知れないんだから」


 トオルさんは笑いながら鼻頭をかいた。


「明日のことはもちろん分からないけど・・・・・・,それでもそんな勇気は持てないです。もともとお酒が好きなんですか?」

「いや,お酒はもちろん好きなんだけど,実は最初の頃はおいしいコーヒーを入れる喫茶店を出したかったんだ。それがまさかバーを経営しているなんて予想もしなかったな。でも,これで良かったし,まず踏み出すことが大事だったんだ。・・・・・・長くなりそうだな。もし良かったら,うちでコーヒーでも飲んでいく?」


 最後の言葉に心臓がはじけ飛びそうになる。考える前に返事をした。間髪入れない返事だったため,勘違いされないか不安になった。頭の中で「処理をしたっけな」と考えている当たり、結局私は勘違いされても仕方がない人間なのだと悟った。



 一等地というほどではないが,大道路を入って五分ほど歩いたところにそのマンションはあった。オートロックをカードキーで解除して,高槻と書かれた宅配ボックスの中を開けると,そのままチラシをゴミ箱へ捨てた。

 「最近マンションの購入案内が多くて・・・・・・。どうやって入れていくんだろうね」と呟きながらエレベーターに向かって歩き出す。確かに,投函するにはオートロックを解除する必要がある。これじゃあ宅配や郵便配達の人も困りそうだ。

 大きな観葉植物を置いた広めのエントランスは,ワックスでピカピカに磨かれていて掃除が綺麗に行き届いている。高級タワーマンションというほどではないのだろうけど,かなり家賃が張るだろうと想像できた。


「こんなに素敵なマンションに入ると,ちょっと緊張しちゃう・・・・・・」

「まだ部屋に入ってもないのにおかしいね。でも,結構こだわって探したんだ。予算は少し超えたけど,毎日生活するところだからね。部屋も男臭くて散らかっているけど,設備は結構しっかりしているんだ。気に入ると良いな」


 まるでこれから一緒に生活する二人のような会話に一人胸が躍ってしまう。何を一人で舞い上がっているんだろう。ばかみたい,私。

 エレベーターに乗り込むと,トオルさんさんは六階を示すボタンを押した。小さい頃から,エレベーターが階をあがるこの無重力感が好きだった。体がふわっとする感覚。まるで異世界へと誘われているような心地。

 ふと,手と手が重なり合う感触がした。二人で使うにはゆったりとしたエレベーターで距離を縮めて並んでいる。手元を見ると,確かに私とトオルさんの手は接触をしていない。トオルさんの顔に目をやると,現在の階を示す表示をじっと見つめている。あまりにも居心地が良すぎて,接触を感じるほどのつながりを感じていたのかもしれない

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