第49話 弟の本棚から一冊
先日、片付けをしに実家に泊まり、久しぶりに弟とふたりでお酒を飲んだ時のことです。途中、本の話になったのですが、「そう言えば」と弟が話し始めました。
「ふだんは僕は特にエッセイを読んだりしないのだけれど、ひとつ、とても心に残っているエッセイがあるんだ」
そう言って、本棚から一冊の本を手にしました。
「これ。この本の最後に短いエッセイがあるんだけどね」
その時点でもう結構な量を飲んでいたので、
「あ、じゃあ明日にでも読むから貸してよ」
とその場ではぱらぱらとページをめくるにとどめ、翌日、昼食後に寝転がって読んだところ。
ああ、なるほど。
これはたしかに。
思わず頷きました。
新聞や週刊誌、雑誌、ウェブマガジンなど、文字があるところならどこでもという勢いで、それはたくさんの読み応えのあるエッセイが咲き乱れています。読もうと意気込まなくても読めてしまう手軽さがエッセイの魅力ですよね。イラストや漫画などが添えられていると余計、敷居が低くなる気がします。
彼が心惹かれたエッセイはそういうものとは少々、趣が異なりました。
まず、その本はエッセイ集ではありません。
人気のあるエッセイだと、それだけをまとめて書籍となって出版されますが、ひとりの書き手によるエッセイの本ではありませんでした。
かと言って、いろいろな方が書かれたエッセイを集めたエッセイ集でもありません。
ひとりの作家さんが書かれた本の巻末に、別の方が書かれたエッセイがひとつだけ載せられているのです。
それがまたその本と作家さんにとても相応しいだけでなく、そのエッセイ単独で読んでも本当に味わい深い珠玉のエッセイなのです。
ここで全文ご紹介したいのですが残念ながら不可能なので、ものすごく雑にまとめてみます。食指が動かなかったとしたら私が下手くそ過ぎるせいで、もし興味を持って頂けたとしたらそれは元のエッセイの魅力です。
📖 📖 📖
ある男がひとりの若者と3度、出会った話である。
一度目は競馬場からの帰り道。早めに引き上げたにも関わらず帰路が混んでいた為、立ち寄った屋台の焼き鳥屋で。最終レースを店のラジオで聞いていて、お互い同じ馬を買っていたと知る。若者はその馬の馬券を買った理由を「自分と名前が同じだから」と言った。そんな名前の馬ではなかった為、不思議に思ったが、尋ねることもなく別れた。馬券はハズレ。
二度目の再会は新宿ゴールデン街の飲み屋で偶然に。その日、「同じ名前の馬」で馬券を取ったので、このあとその馬を応援するため京都まで行くつもりだと言う。名前が同じだと言う理由を尋ねたところ、若者は韓国出身で、馬の名前を漢字に置き換えると自分の名前と同じになるのだと教えてくれた。京都ではその馬絡みで高配当の馬券が出た。年末、同じ店に久しぶりに顔を出すと、店員からボトルを差し出された。京都での当たり馬券での若者からの贈り物だった。
三度目は、その馬の引退の日、競馬場で。彼なら来ているのではないかと思ってパドックに行ったところ、やはり来ていた。その日の有り金全部を引退する馬に突っ込んだ若者と、スタンドで並んで観戦。11頭立ての6着でゴールした馬を見届けた若者は「いい思い出もできたし、これでひとり韓国に帰ろうと思う」と言った。
母を早くに亡くし、再婚した親とうまくいかず家を飛び出し多くの苦労を重ねてきたらしい若者は、それまでその馬の全てのレースの単勝馬券を買い続け、手元に残し続けていたという(単勝馬券は紙で買うと、日付やレース番号などだけでなく、馬の名前も印字される)。
それから二十年近くが過ぎた頃。男の知人が、韓国で偶然入ったスナックで、日本のある一頭の馬の単勝馬券がずらりと飾られているのを見たと教えてくれた。店の名前と飾られていた馬券の馬の名前を尋ねたところ、店の名前はアルファベット表記で「同じ名前の馬」。馬券ももちろん「同じ名前の馬」。
店では「時には母のない子のように」が何度も流れていたという。
その馬が走っていた時の曲である。
📖 📖 📖
このあと、書き手である彼の思いがごく短く綴られていますが、そこに至るまでの文章は淡々と事実を羅列するだけです。それがまた抑制が効いている分、一層味わい深く思われました。
そんなエッセイをどんな方が書いたかといいますと、これがまたプロでないから悔しい(笑)。本当に素敵なエッセイでしたので、忘れないうちにここに記します。
機会があれば読んで頂きたいな、と思いつつ。
いつかこんなエッセイ、書けたらいいな、と思いつつ。
「競馬場で逢おう」 寺山修司
巻末の「解説」という名のエッセイ 書き手/井崎脩五郎(競馬評論家)
「時には母のない子のように」 作詞/寺山修司 歌/カルメン・マキ
https://www.youtube.com/watch?v=Iyf3Qy9Ro5I
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