悲しみは雪のように

シロクマKun

第1話 


 季節外れの雪が舞っていた。


「雪……積もるかな?」

 窓から夜の闇の中を舞う白く小さな粒を眺めながら、私は誰に言うでもなくそう呟いた。無論、何処からも返事は返って来るはずもなく、私の言葉はただ闇へと溶けていく。

  

 この山間の小さな一軒家に再び住み始めて三度目の春が来ようとしていた。

 子供の頃は両親と妹と共に、ここに住んでいたが今は私1人しかいない。寂しいといえば寂しいのだけど、一人暮らしの私を気遣って顔を見せてくれる心強い知り合いもいるし、生活していくのに特に支障はなかった。

 ただ、問い掛ける様な独り言が年々増えていくのは仕方ないなと、もう諦めている。



「雪が積もるなんて何年ぶりかな?」

 ついさっきまでは地面に落ちた途端、吸い込まれる様に消えていた白い粒が、今は薄っすらと地面を白く染め上げていた。この調子だと、本当に積もるかもしれない。雪が降る事自体珍しいこの地方では、まともに積もるのは数年振りの事だろう。前に積もったのは確か15、6年以上前、まだ私達が小学生だった頃だと思う。



 私達、そう、いつも4人で遊んでいたあの頃だ。


 やんちゃで悪戯ばかりしていた春彦

 頭が良くてしっかり者だった秋人

 天然で変な行動が多かった夏美

 大人しくて人見知りだった美冬


 当時、この辺りは子供が少なかった事もあって、この4人の団結力は固かった。知り合ったのは確か、幼稚園くらいだったと思う。以来、小学校を卒業するまでずっと仲良しだった。

 いや本当のところは、卒業する手前で少しギクシャクしたっけ。

 いわゆる思春期に入って、妙に男と女を意識してしまい、幼い頃のように何も考えずに付き合う事ができなくなっていたように思う。

 更に春彦と秋人は男子校へ進学し寮へと入ったので、その辺りから付き合いは全くなくなってしまった。成人式でも見掛けなかったので、もう何年も会ってない事になる。


「春彦も秋人もさぁ、アンタの事が好きだったんだよ?」

 窓硝子に映る自分の顔が二重になってるのをぼんやり眺めながら、私はそう呟く。


  玄関のチャイムが鳴ったのはその時だった。


 誰だろう? こんな時間に人が訪ねてくる事なんて滅多にないのに。

 ウチはインターホンではないし、ガラガラと開ける引違いの玄関だからチェーンなんて物も付いてない。

 玄関灯を付け、私は躊躇しながらも引戸を少しだけ開けた。


「あ、こんな夜分遅くゴメン。美冬? 俺の事……覚えてるかな?」


 引戸の隙間から見えたのは、まさに先程思い出していた懐かしい顔だった。

 なるほど、急に昔の事を思い出したのは、この事を暗示してたんだな、と納得した。私は引戸をいっぱいに開け、かつての友人を迎え入れようとして……固まった。


 しんしんと降る雪の中、秋人が今にも泣きそうな悲しい顔でひっそりと立っていたから。


「あ……」

 秋人、と呼びかけようとしても口が動かなかった。もどかしげに手を差し伸べようとしたが、その手も上がらなかった。その代わり、秋人の悲しいイメージが頭に流れ込んで来るような気がした。その洪水のように押し寄せる思いの圧に耐えかねて、私は膝を付いてしまう。


「えっ、美冬⁉ どうした⁉ 大丈夫か」

 フッと霞んでいきそうな意識の中、ごつい男の手が私の身体をしっかり支えるのを感じた。ふわりと抱きかかえられ、そのまま部屋へと運ばれるのをボンヤリと認識する。

 居間の畳の上ゆっくり降ろされ、なんとか呼吸を整える。


「……ごめん、ありがとう。ちょっと目眩がしただけだから……。久しぶりだね。元気にしてた?」

 オロオロと行動を決めかねている彼にそう声を掛けた。


「バッカ、お前の方が大丈夫なんかよ?びっくりしたわ〜」

 ホッとしたように彼が言う。


「大丈夫だから……あっ、お茶入れるね。待ってて」

 そう言いながら立ち上がろうとする私を、彼が慌てて制した。


「待て待て、座ってろって。お茶なら俺が入れてくるから。勝手に台所入らせてもらうぞ?」

 強い口調で言われたので、どこそこにインスタントコーヒーがあるからと指示を出して、彼に甘える事にした。しばらくすると台所からお湯を沸かす音が聞こえてきた。







「雪、積りそうだね」


 彼が用意してくれたコーヒーを二人で飲みながら、そんな事を話し出す。


「この辺りは滅多に降らないからなぁ。子供の頃さ、一回だけ凄い積もった事あったろ?」

「うん、あったね。みんなで雪ダルマ作ったり、雪合戦したり、楽しかったなぁ」

「やったなぁ。でも、溶けるのも早かったからさ、溶けてない雪探して山の方まで入り込んじゃって、危うく遭難するとこだったよな」 


 ああ、確かにそんな事もあった。子供4人で雪を求めて裏山の結構奥まで入り込んでしまったのを覚えてる。途中で道に迷い、なんとか自力で降りてきた時には薄暗くなっていて、親達に酷く叱られたものだ。あの時、よく自力で降りられたなと思う。


「あれマジでやばかったけどさ、夏美がいたから助かったよな。ほら、夏美って霊感強かったもんな」


「……そうだね」

 私はチラッと秋人の顔を見た。でも、その表情からは何も伺えない。


「そう言えば夏美は元気かい?」

 そう無邪気に聞いてくる彼は、あの出来事を知らないんだろう。言うべきか少し迷った私は、結局言い出す事が出来なかった。


「……今日は夏美に会いにきたの?」

 そう質問で返して答えをはぐらかす。


「いや……実は俺、今から遠いトコ行くからさ、その前にちょっと美冬の顔が見たくなって……なんでかなぁ? 急に思いついてさ……」

 彼はそう言って目を伏せた。


「もう帰ってこないの?」


「……わからない。当分、帰れないと思う」

 

「そう……」


 テーブルの上に置いた私の手を彼が握ろうとするのを一瞬早く察知し、私は手を引っ込めた。彼の手が何もない宙をさ迷い、暫く所在なさげに留まった後、名残惜しそうに引かれていく。



 



 どこか白々とした空気の中、子供の頃の話や、卒業後の話、今現在の話をしながらも、お互い心ここに有らずだったと思う。


「じゃ、そろそろ行くわ」

 一時間ほどたった時、彼がそう切り出した。


「うん」


 外まで見送りに出ると、雪はもう止んでいた。


「結局、積もらなかったなぁ」

 そう言いながら、彼はうちの前に止めてあった車に乗り込んだ。


「この車で来たの?雪道危なくない?」


 どう見てもその車のタイヤはノーマルタイヤだった。もっとも、めったに雪が降らないこの辺りではノーマルタイヤが当たり前なんだけど。


「そうだよ?雪も止んだしさ、大丈夫だって」

 彼はそう言って笑うけれど、私は心配で仕方なかった。私は3年前に両親と妹を交通事故で亡くしているのだ。


「峠越えるんでしょ?ホントに気を付けてね?」


「ああ。じゃあな、美冬。お前に会えてよかったよ。俺、ずっとお前が……いや、なんでもない」

 そう言いながら車の窓を閉めていく。


 窓越しに右手をひょいと上げ、彼の車は峠の方へと消えて行った。



 ◇



 その深夜、何台も通るパトカーや救急車のサイレンで私はなかなか寝付けなかった。やはりこの地方の人には慣れない雪で、事故が多いのだろうかと思う。交通事故で家族を一気に失った私にとって、緊急車両のサイレンの音はトラウマだった。遠くからかすかに聞こえるその音でさえ、私の心臓を締め付ける。結局その夜は殆ど眠りにつけないまま、朝を迎えた。


 


 その事故を知ったのは、お昼の地域ニュースでだった。

 TVの画面に映し出されたフロント部分が壊れた車は、確かに昨日家の前に止められていた車だった。私は画面を食い入るように見ながら、激しく鼓動する心臓をぐっと押さえ、アナウンサーの言葉を待つ。


 『……○○春彦さんの死亡が確認されました……』








 ごくありふれた交通事故だったはずが、その様相が大きく変わってきたのは夕方のニュースからだった。

 車のトランクから、キャリーバッグに詰められた男性の遺体が発見されたのだ。その遺体の歯型から、被害者は〇〇秋人さん、とニュースキャスターが伝える。



 その後、捜査が進むにつれ、いろいろと事件の内容が明らかになった。

 春彦は事業に失敗し、秋人から多額の借金をしていたらしい。それが原因で二人は揉め、春彦は秋人の首を締めてあやめてしまう。遺体をバックにつめ、車で何処かに捨てに行こうとし、その途中の峠で雪の為、路面スリップして自分も命を落としてしまったのだ。



 それは既に私にはわかっていた出来事だった。

 あの日、私の家に立ち寄った春彦の背後にひっそり佇む秋人の霊が、私にイメージを流してきたから。それは秋人の意思でも恨み言でもなく、単なる映像として私の頭の中に流れ込んできた。だから秋人がどんな想いでいたか、私にはわからない。秋人はただ悲しそうな顔をして佇んでいただけだった。あの時春彦は「何故か急に思いついて」ここに来たと言った。それは秋人の思いに引っ張られたのかもしれない。秋人がここに来ることを望んだのではないかと思う。


 そしてあの時、自分では明確に気付いていなかったけど、春彦のその後の運命は見えていたのかもしれない。私は春彦の身を案じながらも、強固に止める事はしなかったのだ。あるいは、自首を勧める事だってできた。だが私はその選択をせず、運命に委ねたのだ。彼への罰を。

 それは逃げだったのか、それとも彼がここにきて犯した間違いに流されたのか、どちらにしても許される事ではないと思う。この思いは私がこれから一生背負い続ける業なのだ。


 



 



 いかにショッキングな事件でも世間ではすぐに風化していく。事件発覚当時はあれ程騒いでいたマスコミも、ほんの1週間程度で話題にも上がらなくなった。そんな頃、やっと秋人の供養が行われたらしい。

  


 その夜も季節外れの雪が降っていた。地表に届く前に消えてしまいそうな雪が静かに天から落ちてくる。

 私は何かに誘われるような予感がして、窓から外をぼんやり眺めていた。

 ゆらゆらと落ちてくる白い粒に逆行して、地面から天へと昇っていく白く儚い光が見えた。

 それはまるで地面から天へと降る雪のようだった。

 弱々しく光を放ちながら、でも決して消えることなくしっかりと、周りの雪を溶かすように昇っていく。


「秋人……」


 秋人の魂はやがて雲の中へと消えていった。



「ねえ、美冬……。これでよかったのかな?」

 私は背後にひっそりと立つ、妹に問い掛ける。



 春彦はここに訪ねて来て一つ間違いをおかした。

 彼は私を美冬だと思っていたけど、私は夏美だ。

 でも、彼が間違えたのは無理もない事だと思う。

 

 なぜなら私と美冬は一卵性双生児だから。


 心優しい美冬は死してなお、私を心配してずっとそばに居てくれている。

 でも彼女はただそばに居るだけなのだ。


 硝子に写った自分と同じ顔が、泣いているように見えた。


「ねえ美冬、ほんとにこれでよかったのかな?」

 私は同じ言葉を再び繰り返す。


 でもやはり美冬からの返事はなく、言葉はただ闇へ溶けていくだけだった。















 完





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