第3話  僕たちと杏の過去ともう一人の僕

振り下ろそうとした。

しかし振り下ろせなかった。


体は刀を上段に構えたまま、硬直してしまっていた。

振り下ろしたのは妄想の僕だった。


僕は激怒する。


まだ僕を止めるのか僕は、なぜだ!


僕は固まったまま、目線を正面に向けていた。


そして杏が目の前にいることに、再び気づいた。


杏だ。

目の前に杏がいる。


僕は仮面越しに、杏と目を合わせ続けていた。

杏の眼差しは鋭く、真剣だった。


僕の体を蝕んでいる刀の浸食を意識しながら、僕は尋ねた。


「どうしたの?杏?」

僕の声は優しく、震えていた。


「そうじゃないよ、どうしたの湊?」

杏はそう言った。


僕に再び涙が溜まる。

僕は涙をこぼさないように努める。


「どうしたのって、僕は君を殺すんだよ?」

こめかみが痛い。


僕はこの緊張を終わらせたい。


「どうして、君をそうさせるのは何?」

杏は優しく、しかし叱るような声色で僕に尋ねる。


「………なんだろうね、…わからない。だけど苦しいのはわかるんだ。僕はこの苦しみから逃れたい事だけは、わかるんだ。」


一粒、涙がこぼれた。


仮面をつけていてよかったと、頭の端っこでそう思った自分がいた。


「…分かったわ湊。私を傷つけたいのね?」


「違う!」


僕は杏がほほ笑んだように見えた。


「…違うのね?…ほら、一つ分かったじゃない。こうやって、私とお話ししましょう。そうすればきっとよくなる。」


僕の胸が暖かくなる。


しかし体を楽にしたい。


さっきからこの体勢が、辛い。腕を振り下ろしたい。

僕の体は、細かく震えている。


「いいのよ湊、私は死なないわ。一度振り下ろしてしまいましょう。」

僕の様子を見限った杏は、ほほ笑みながら言った。


僕は気が楽になった。

その一瞬で、刀は彼女の前に振り下ろされた。


だめだ!


僕は腕をねじった。

刀は地面を裂き、杏に傷はつかなかった。


「………ほら、あなたはできる人なのよ。」

杏は言った。


「さぁ湊、お話ししましょう。まずは私の手錠を外してほしいわ。」


僕は放心しながらも刀を置いた。そしてレバーを引いた。

手錠は下に流れ、杏の手は下る。


そして僕は杏の手枷を引きちぎった。

杏は手をグーパーさせている。


「助かったわ、ありがとうね」

そう言って彼女は両手を僕の顔に近づけて、仮面を外した。


「やっぱりあなた、かわいい顔してるわね。悔しいけどタイプよ。」


その言葉は僕に明かりを灯した。


「ねぇ湊、私が何で泉にいたと思う?」

杏は僕に尋ねた。


「………クジラに会うため、だったよね?」


「そう、クジラに会うため。じゃあなんでクジラに会おうとしていたと思う?」


「………死ぬため?」


僕は杏と出会った時のことを思い出していた。

なんで殺してくれないの、と言っていた気がする。


「そう、半分正解ね。私は自分を殺すためにあそこにいた。私ね、あのおじいちゃんと一度会っているのよ。お城で。あのおじいちゃんが夜、私の枕元に現れたの。急に現れたものだから、びっくりしておしっこ出ちゃいそうになったわ。」


杏は微笑して言った。


「でね、私ちょうどその頃この体の原因を知ってね、死にたくなっていたの。そしたらおじいちゃんが、助かる方法があるって、私にあの場所に来るように言ったの。クジラが目印だといってね。そしてそのあとすぐいなくなっちゃったんだ。最初は自分が幻覚を見始めたのかと思ったけど、少しでも抵抗できるならって思ってね。この運命に。」


「運命?」


「私ね、人を殺しながら生きているの。私の魔法は、多くの人を犠牲にして成り立っているの。」


どういうことなのだろう。


「私が死ぬと、国で働いている人たちから集めた生気が、私に注ぎ込まれる仕組みになっているの。だから何度も死んだわ。その貯蓄をすべて無くしてしまえばって。でも無理だったわ、いくら死んでも彼らの命を無駄にするだけだったわ。国を治めるものとして、それは一番やってはいけないことなのに。」


「でもどうして、そんなことに?」


「私の父と母、国王と王女が私に魔法をかけたの。いえ、もうこれは呪いね。私の国は今、貧富の差がとても大きいの。しかも意図的に作られている。私はそれが許せない。でも私も、その一因なんだって、みんなを苦しめている原因なんだって、それが許せなくて、苦しくて。私はその貧困のうえで成り立っている国のお姫様、お金だけじゃなく、この体はみんなの生きがいも奪っている。魔法によって、国のシステムによって、みんなの魂を奪っている。」


杏は唇をかみしめた。


「それで…、みんなから命を奪っているのが嫌で、死のうとしたんだね?」


「そう。私はそんな体で、王女の地位を受け継いで、生きていかなきゃいけなかった。」


人を殺しながら生きていかなきゃいけない。


「ごめんね、私の話になっちゃったね。」

杏は微笑んでいる。


「いいよ、もっと聞かせてよ」


「…じゃぁもう一つだけ。それ聞いてもらったら、もうちょっとは楽になるかも…。………それとね、わたし、自分の人生が設計されていたの。」


「設計…?」


「うん、設計。私が何歳の何ヵ月の何日に、まるまるをする。みたいに。王を含めた、大人たちによって。」


「な…」


「私が勉強することとか、趣味にすることとか、王女になることとか、結婚する相手とか、…子供の数とかまでね。」


杏の口角は上がっていたが、目は笑っていない。


「そのことを召使の子が話しているのを偶然聞いちゃって、その時、私のすることくらい私が決めなきゃ!…って思って、恐怖と怒りがわいてきちゃって、その日から強く抵抗するようになったんだ。………壁壊したりしてね。」


杏は最後、自分に対して笑っていた。目には涙がたまっている

僕は笑えなかった。


「そんなの、生きながら死んでいると思わない?」

その言葉を言い、杏は涙をこぼした。


「だから死んでやろうと思ったんだ。生きるために。私が生きるために死んでやろうと思った。」


杏は涙をこぼしながら微笑んだ。


僕は何も言えなかった。


杏は僕に駆け寄ってきた。そして顔を僕の胸にうずめた。


「胸かしてね」


僕は彼女を抱きしめる


何分間かそんな状態が続いていた。


僕は杏を助けたい。

僕の刀で切れるんじゃないか。

杏の呪いを断ち切る事が出来るんじゃないか。


わからない。


でも


彼女を見る。


「杏。」


「うん?」


杏は僕の目を見つめる。


「僕が君の呪いを解く。できるかわからないけれど、でも本気で、やってみたくなった。助けたくなった。挑戦したくなった。できるかわからないけど、やってみたい。」


僕は大きく息を吸い込む。


できるかわからないけど、やってみたい?

できるかわからないけど、やってみたい、という言葉に僕は反応している。

僕はは反応している。

僕は反応している。


なぜ反応している。

僕が反応している理由はなんだ。

僕が反応している理由はなんだ。

なぜ。

僕はこれまでできないと思っていた。

僕はこれまでできないと思っていた、と思っている。

僕はこれまでできないと思っていた、と思っている。

なぜ。

なぜ僕はこれまでできないと思っていた。

やっていないのに。

やってみなきゃわからないじゃないか。


僕は当たり前のことを悟った。

悟る事が出来た。


「湊?」

「ありがとう。今、また君に助けられたよ。」


僕は両手で杏の肩に乗せ、彼女を離す。


「僕は君が好きだ。君のおかげで僕は、何度も救われた。そんな君を、僕は救いたい。助けさせてもらいたい。いや、そんな大きなことは正直、僕にできるかわからない。けれど、僕は君の力になりたいんだ。」


杏は目を見開いて、僕を見ている。


「あ、ありがとう…。気持ちは、…うれしいわ。本当よ。でも、私の呪いは…」


「僕が刀で、君の呪いを断ち切る。」


杏は僕の事を見つめている。


「………分かったわ。あなたに、助けてもらいたい。…力を貸してちょうだい。」

杏は言った。


僕はうなづいた。


「ちょっと待っててほしい。その、僕を、見守っていてほしい。」


僕は杏から離れ、床に落ちた刀を拾った。

刀から出てきた闇は少ない。


僕は床に座り、刀を膝に乗せた。

ゆっくりと呼吸をする。

そして意識を呼吸に合わせ、自分の感覚を、心を、意識を眺め始める。

ありのままに観察する。

















目を開けるとそこは、白い部屋だった。

目の前に僕がいた。

僕は刀を構えている。

僕はただ、彼を眺め続ける。


































































もう一人の僕は苦しんでいた。

僕は眺め続けていたが、彼は限界だった。

正面にいる僕は刀を構え、僕に突進してきた。


「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」












































目を開けると目の前に、杏がいてくれた。

「おかえり」彼女は僕にほほ笑んだ。

「ただいま」僕も彼女にほほ笑んだ。

そして僕は刀を握った。


部屋は青色の光に包まれた。

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