作戦開始

 その後は民兵を一〇名ほど召集し作戦のリハーサルを行った。その結果、レナードには間違いなくいけるとのお墨付きを頂くに至った。

 ただ本番で上手くいくかは、やはりエレノアの頑張りにかかっていて、その自信に満ちた態度を信じるとの事だった。そう言われたからには何としても期待に応えなくてはいけない。


 その日の食事も村長宅でお世話になった。村長の妻ヘーゼルと、リリアによって振舞われた手料理は、エレノアに確かな幸福感を齎した。

 もし無事に作戦が完了したら、しばらくノーラスでゆっくり羽休めをして欲しいとも言われた。エレノアはそれを楽しみに、作戦を無事遂行したいと考えていた。


     ◇


 翌日の作戦決行当日。

 エレノアの体調は万全だった。村長宅の良質なベッドで二泊を迎えたという事もあり、魔法力マジックパワーはほぼ全快状態。魔法力マジックパワーが満ち溢れると共に、今までの弱気が嘘のように無敵感にも似た自信に満ち溢れている。


 昼間過ぎには召集をかけられたノーラス村の精鋭五〇名が、村中央の監視塔に集結していた。レナードの言っていた勇敢な一線級の民兵で、自信に満ちた良い面構えをした者が多く見える。

 民兵団の者はショートソードと革鎧、枠を金属で補強した木盾で統一された武装をしている。無個性となるがレナード曰く、共通の方が訓練や指揮する上で利便性があるという理由らしい。

 そして民兵たちの首筋にはうっすらと輝く呪印がエレノアによって施されていた。今回の作戦の要となるものである。


「気取られる可能性があるから大声は出せねえが。……今回俺たちには、光の女神が付いている。首筋に付いた光の加護が証拠だ。俺が先陣を切って示す。後に続いてくれ」


 レナードが壇上に居るエレノアに対し手を掲げると、エレノアは思わず真顔になった。


「……レナード、光の女神って私の事? ……冗談は止めて欲しいのだけど」

「エレノアお嬢ちゃんよ、そういう事にしておいてくれや。どんな時でも士気を高める雰囲気作りは大事なんだよ。ほら笑え笑え」


 レナードが意地悪そうに笑いながら、エレノアの背を叩いて促すと、エレノアは顔を若干引きつらせながら、自警団員に対し両手のピースサインをもって答えた。


「エレノアさん」


 慣れない事を唐突にさせられて狼狽するエレノアに、グレイが近づいてきた。

 出会った頃と同じように、ブラウン色フード付きの外套マントを身に纏っている。


「……グレイ。本当に出撃するつもりなの」

「ああ。部外者というていでね。僕はレナードの指揮下には入らず自由に動くつもりだ。心配はいらないよ」

「私の作戦が上手くいけば、貴方は戦わずに済むはずだけど。……ノーラスに肩入れして問題ないの?」

「僕が戦いを主導しているわけではない。……これは、あくまでレナード率いるノーラス民兵団の戦いだ。そして、本当の処は君にかかっている」


 そう言い終えたグレイは、エレノアの方を振り向いて片膝を突き、エレノアの手を取った。


「……何?」

「光の女神、エレノアさんの御加護がありますように」


 唐突ともいえるグレイの所作に、エレノアは気恥ずかしさからか顔が真っ赤になった。


「……ちょ、グレイ、悪ふざけは止め」

「光の女神、エレノアさんの御加護がありますように」

「光の女神、エレノアさんの御加護がありますように」

「光の女神、エレノアさんの御加護がありますように」


 他の民兵たちも、本気なのか面白がってかグレイに倣い出したので、再び顔を引きつらせた。

 きっと作戦の緊張を解く為の手法なのだろう。どうにも恥をかいている気がしてならなかったが、許容しなくてはいけない。

 そんな様子をリリアが不安そうな面持ちで見ていた。


「……エレノアさん、緊張してきました」


 リリアも勇ましく小振りに調整されたショートソードと革の胸当てで武装しているが、今作戦ではエレノアの護衛と補佐を行う予備兵として後方で待機する事が決まっている。


「大丈夫。なんか光の女神がついているらしいから。……リリア、カウントをお願いね。重要な役目よ」


 エレノアがリリアに伝えると、リリアは緊張した面持ちで頷き、皆と同じような覚悟の表情を浮かべ、同じ動作をした。


「……光の女神、エレノアさんの御加護がありますように」


     ◇


 作戦開始の号令と共に、レナード率いる総勢五〇名の民兵はノーラス東にある門を目指し移動を開始した。

 小鬼ゴブリン本陣がある西側と違い、東側は小鬼ゴブリンの配置が手薄だった。それでも総勢八〇匹ほどと、民兵団五〇名を超える数で待ち構えていた。


 自警団の進軍開始から数分経過した後、東門にある跳ね橋が下ろされ、同時に開門すると、民兵と小鬼ゴブリンとの交戦が始まった。

 射撃防御ミサイルガードの風魔法を使い、先制の矢の雨を排除するグレイの姿。そして矢が止んだ後、盾を突き出しながら突撃するレナードと民兵たち。

 それを見たエレノアは空高く手を翳した。


全域防護エリアプロテクション


 魔法の光が広がり、エレノアの手元から、ノーラス東側に五二束の光が放たれた。この数は民兵五〇名と、グレイ、レナードを合わせた五二名に効果が及んだ事を意味している、


「……始まったわね。リリア、お願い」

「はい! 五九・五八・五七……」


 リリアは、エレノアに促されると、六〇からカウントダウンを始めた。

 リリアの数える数字はだんだんと下がっていく。


「……五・四・三・二・一・ゼロです!」


 カウントをゼロまで数えると、それに応じたように、エレノアは天に向かって手を翳した。


全域総合治癒エリアマルチヒール


 再びエレノアの手元から、ノーラス東側に五二束の光が放たれると共に、歓声が響き渡った。


「わあ……」

「リリア、カウントを続けて」

「は、はいっ! 五九・五八・五七……」


 エレノアに促され、リリアは慌てながらも、再びカウントを六〇から刻み始めた。


 聖王国で一〇年間、聖女として厳しい修練を積んできたエレノアだったが、戦術は全くの素人である。そんな彼女が提案した作戦は以下の通り。

 まず鬼門となる東門の攻防で、ダメージを三割軽減させるレベル5光魔法の全域防護エリアプロテクションで守備を固め、強行突破の手助けをする。

 その後は六〇秒刻みに、複数を対象に負傷・異常の回復をする、レベル6光魔法の全域総合治癒エリアマルチヒールを唱え続ける。それを交戦開始から作戦終了までの一時間、六〇回繰り返すという、単純明快かつ脳筋とも呼べるほど強引なものだった。


 これらの魔法の実行射程範囲、効果強度は術者の魔力値の大きさに比例する。魔力値999以上のエレノアであれば、五〇〇メートルと少し先くらいならば到達する事が可能。そして全域総合治癒エリアマルチヒールの回復力は、エレノアの魔力量をもってすれば瀕死の重傷や致死毒からも全快が可能。よって、村中央部の塔から一歩も動かずに回復魔法に専念する事が出来た。


 ただ、この範囲魔法は敵味方の区別がつかないという欠点がある。

 そこで、選別方法の一つである光の簡易呪印を用いる事にした。エレノアは出撃にあたった民兵五〇名全員と、グレイ、レナードの二人の身体に光魔法の効果対象とする簡易呪印を施し、その対象のみ全域防護エリアプロテクション全域総合治癒エリアマルチヒールが及ぶようにした。この挙動は昨日のリハーサルで予め確認済みである。


 理知のある生物である以上、死の恐怖からは逃れられない。負傷して生命の危機に陥れば、痛みや恐怖によって戦闘の継続は困難になる。そして逃走者や脱落者が相次ぐようになれば、士気が崩壊する。

 だが、六〇秒刻みで、いかなる瀕死の重傷をも完治させる回復魔法を継続できれば高い安全性が担保される。致命傷を負ったとしても、生命活動を停止する前にエレノアの魔力をもってすれば、完全に癒し切る事が可能だった。

 不死を確信した兵は、恐れる事を知らない勇者となる。逆に不死の兵を目の辺りにしたものは、理不尽さに恐れ慄き、士気崩壊を起こしていく。


 村の外縁から響き渡るのは小鬼ゴブリンの悲鳴、そして、自警団員の雄叫びと歓声ばかりだった。

 エレノアによって六〇秒おきに放たれる回復の光は、東門から外縁を回り込むように西門に向かっていた。進軍が上手くいっている証左である。


     ◇


全域総合治癒エリアマルチヒール


 交戦開始から五〇分。エレノアが五〇回目の全域総合治癒エリアマルチヒールの発動を果たした時、西側に陣取っていた小鬼ゴブリンの大群は全て霧散していた。

 

「終わったみたいね。……リリア、手筈通り西門の跳ね橋を下ろしましょう。作戦終了の鐘の合図を」


 四五回目を数えた辺りから、疲労でエレノアは肩で息をし始めていた。約束通りの六〇回まではいけるとは思っているが、当然ながら、楽々とまではいかなかった。

 そして、エレノアは劇的な勝利にも関わらず、不安そうな表情を見せていた。


(……誰か一人、全域総合治癒エリアマルチヒールの対象から外れたわ……どうして)


 戦場が西門側に移動して数分、放たれる回復魔法の光が一束減っていた事にエレノアは気付いていた。誰か一人だけ、回復対象の条件を満たさなくなった。

 対象から外れる条件は、光魔法の射程範囲から離れる、あるいは生命活動を停止し付与した簡易呪印が効力を失った時。


(グレイ……どこにいるの)


 監視塔から見下ろす戦場、跳ね橋が降りた西門に凱旋する、レナードや民兵団の中にグレイの姿だけがなかった。

 とても嫌な予感がする。エレノアの鼓動は、普段の倍近くにまで高まっていた。

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